推論A/根拠Bもしかしたら半田には好きな奴が居るかもしれない。そんな推論を立てて、俺はロナ戦の新作を書く予定の真っ白な原稿ファイルを眺めていた。
「……はぁ」
「そんなため息を吐いても締め切りは変わらないよロナルド君」
「締め切りに怯えてんじゃねえよ!」
「フクマさんが来てからは怯えっぱなしじゃあないか」
ドラルクが殊勝にも紅茶をパソコンの隣に置いてくれたので、特に温度も気にせず口に運ぶ。瞬間、熱よりも焼けるような感覚が口腔を襲い、声も無くはくはくと空気を吸い込んだ。妙な空気が擦れる音が響くと、ドラルクは呆れたように俺を見た。
「完成したばかりの紅茶をそんな飲み方するから火傷をするのだよ、ほらジョンだって憐れんだような瞳で君を映している」
「嘘だよな、ジョンは俺を馬鹿にしないよな?」
「私も別に君を馬鹿にしているわけではない、心配しているんだ」
珍しくも本気で此方を心配しているような声色にドラルクの方を見れば、脚を組んで諦観に近い表情で見つめられていた。
「なんだよ、気持ち悪ィな」
「最近の君が上の空過ぎるから、ちょっとどうにかしてあげないと本職も副業も弊害が出るんだろうと思っただけだよ」
もし君に仕事がなくなったら私も生きるのが面倒だからね、吸血鬼だけれど。と言いつつもドラルクは首を振る。
「てめーはすぐ死ぬだろうが」
「死んでも生き返るから良いのだよ、折角楽しい暇つぶし……いや、共同生活をしているのだから相談の一つくらいしてくれたって良いんだよ」
「相談つってもなぁ……」
足元でジョンがズボンの裾を引っ張りながら「ヌー!」と声援を送ってくれる。こんなにも俺を思ってくれているのだと思うと、何故か知らないけれど涙が出そうになり「ジョン~ッ!」とその小さな体躯を抱きしめた。ドラルクは先ほど自分が言ったことを忘れているのか、スマートフォンで誰かとやり取りをしていて「特売日は明日までなのか、良い情報をありがとう!」と会話を終えていた。
「おい、ドラ公。心配するならちゃんとしろや」
「それは心配される側がいう事じゃないね、というか本当に締め切りに怯えていたわけじゃないのかい?」
真っ白なディスプレイを見つめながら、俺は先ほど考えていた半田のことを渋々口に出した。
「いやー、半田って好きなやつ居るのかなって思ってさ」
「思春期の童貞みたいなことで悩むのはやめたまえよ」
「違えーよ! ただ、その、同い年だし……あいつ黙ってればモテるし、俺が絡まないと仕事出来るし、そういう相手が居てもおかしくないよなって思うとなんか、上手く言えない気持ちになるんだよな」
せめて何かその雪原のような原稿を文字で埋めようと思い、ゼンラニウムの特徴を延々と書いてみた。しかし書けば書くほど世間一般の理想である「ロナルド様」とかけ離れていくような気がしてこっそり涙を流すことしか出来ない。仕方がないから全裸であることを除き、ゼラニウムの特徴をウェブ百科事典からコピペしてみたがこれでは盗作だ。
「どうすりゃいいんだよーッ!」
「まずは落ち着いたらどうだね」
「お前にだけは言われたくねえ!」
「人間には類は友を呼ぶという言葉があるだろう、君も半田君も似た者同士なんだから別に困ることはないだろう。それより先に君が、結婚願望があるとかそういう話でもないんだろう?」
まともな切り口の質問をよくよく考えてみたら何がどうしてため息に繋がるのか、自分でもうまく説明が付かなかった。どうしてだろうか、自分がモテないのに先を越されるのが悔しいから、とかそういう理由ではない気がするのだ。改めて、淹れてもらった紅茶を今度は慎重に口にすれば、幾分か落ち着いてきて、思考も緩やかに固まってきた。
「別に妬みとかじゃないけど、疎外感っつーの? アイツは変な奴だけど、それでも友達だし。それに仕事だって真っ当だから、引く手数多なんだろうなーとか思うと、それに比べて俺って……とかなるじゃん」
「同意を求められても頷けないが、確かに半田君のビジュアルはダンピール故の良さがあるし、仕事も君が絡まなければとても出来る男だ。しかしだね、それよりも前に大きなハードルがあるのだよ」
言われた内容を咀嚼できずに首をひねれば「これだから若造は」と嘆かれ、一回殴って砂にした。その度にジョンが悲し気な声を上げるのは少し切なかったけれど、突発的な衝動に勝てる道理もない。
「で、そのハードルってなんだよ」
「人にものを頼む態度かね、それが!」
「頼んでねえよ恐喝じゃ!」
「うわーっ! 蛮族モードに入ってるよこの人面倒くさい!」
大きな声でメンタルを殴りかかっていると、床からヒナイチが出てきて「もう夜だぞ」と言いながらキッチンで冷ましてあるドラルクのクッキーをタッパーに入れて持って帰って行ってしまった。こういう光景が当たり前になっているのがおかしいのだとは思うが、突っ込む気力もない。ドラルクは「まだ味見もしていないのに!」とまた大声を出していたので「うるせえ」と軽く殴ったらまた死んだ。
「そんで、ハードルってなに」
「一度ならず、二度までも……薄情な退治人だこと。ねえジョン?」
ジョンは俺とドラルクの顔を交互に見ては顔を小さな手で覆い隠し逃げて行ってしまった。選べない、ということなのだろう。そのことが、若干俺の気持ちを大きくさせた。