無題 もう十月だというのに、ここは夏だ。
照りつける黄金の太陽、からりと晴れ渡った青空、どこまでも続く白い砂の海。
アニエスとアーロンは初めて蜃気楼を見た。砂漠に街があって、近代的な建物も見える。到着までそう時間は掛からないだろうと、華やかな街を想い心が躍った。運転をするヴァンやその隣で地図を見るフェリは街までまだまだ距離があると言うが、二人には信じられなかった。
遊興都市サルバッド。カルバード南東に位置する砂漠の街。オアシスの近くに築かれた都市は、古くからこの地に暮らす人々の生活圏である伝統地区と、近年開発された歓楽街から成る。共に昼と夜で顔が異なるのは砂漠と同様だ。特に歓楽街は他所の人間が持ち込んだ文化の裏の色が強い。
「あっちぃ」
「あっ、ヴァンさん言いましたね」
「しまった」
地図から目を離さずにフェリが指摘すると、ヴァンは口元を歪めた。少女の手により、地図の余白に線が一本書き足された。その付近に乗車しているメンバーの名前があり、横には縦の線に短い横線を四つ入れたものがいくつか並んでいる。
砂漠が近くなってきた頃からフェリ以外の者達が暑いと言い出し、ヴァンが自分を含め暑い暑いと連呼する事に腹を立てた。曰く、暑いって言うから暑いんだ。最年少を見習って少し黙っていろ。
こうして始まったのが、一回「暑い」と言う度にカウントされるという謎のゲームだ。ちなみに、一回につき10ミラの罰金がある。アルバイト料からは引かれないが、街に着き次第集められて日焼け止めや冷涼スプレーなどの追加分の購入に充てられる予定だ。
アーロンは口の中でぬるいミントキャンディを転がしながらチラッと隣を見た。同じくキャンディを口に含んだアニエスがじっと前の一点を見つめている。前方に見えるサルバッドの街を見ているにしては角度が合わないように思え、視線の先を追って直ぐに顔を窓側へ向けた。
アニエスが見ていたのは、ヴァンの顔だ。正しくは、ヴァンの耳の後ろ辺り。
アーロンは口笛でも吹きたくなったが、止めた。
「待ってろ、俺の生カカオ……」
そこは依頼人であるニナの名前ではないのか。運転手の本気を感じる低い声に、三人は心の中でため息を吐いた。
「ヴァンさん、もう少ししたら上りは終わりです。下りになって直ぐに右カーブがあるので気を付けて下さい」
「了解」
サルバッドに近付くのが嬉しいのか、生カカオに近付くのが嬉しいのか。ハンドルを握るヴァンの目が輝く。