おやすみのホットミルク日付が変わる頃に布団に入ってからというもの、私は寝付けずに何度も寝返りを打っていた。
寝なきゃ、寝なきゃ、と思えば思うほど、なんだか動悸はするし、頭が冴えてくる。
特に不安なことがあるとかそういうことでもない。理由はなくても時々こういう日がある。
無理やり閉じていた目を開けてスマホを見ると、時間は深夜2時。
だめだこりゃ……。
観念して起き上がり眼鏡をかけた。暖かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷える。椅子に適当にひっかけていたカーディガンを羽織り、とりあえず何か飲もうと厨に向かった。
自室から出ると、遠くで誰かの話し声や笑い声がする。男士たちが宴会をしているのだろう。元気だなぁ……と思いながら廊下を歩いていると、厨の方からも灯りが漏れていることに気づいた。
酒の肴でも準備しているのかな?と思いながら厨の扉を開けると、夜着の広い背中、そして赤い髪が目に入った。えっ。
「主?」
大包平はこちらを振り向きながら言った。
「うぇっ!?」
「どうした?こんな夜更けに」
びっくりしすぎて厨の扉を閉めてしまった。急な大包平は心臓に悪い。好きな人に夜中に会ったらそうなる。
中から「ちょっと待て」という声がする。こちらのセリフである。
いや、失礼すぎる(私が)と思い直して、
「ごめんなさい!」
勢いよく扉を開けると、大包平はすこし驚いたような顔をしていた。
さっきまで横になっていたので髪の毛も適当だしパジャマで少し恥ずかしい。いつものことだが、どぎまぎして大包平の顔がうまく見れない。
「えっと、あの…眠れなくて。何か飲もうかなって」
「そうか、眠れないのか」
「うん……ところで、大包平こそ何をしてたの?」
「実は俺も目が覚めてしまって、寝付けなくてな。何か温かいものでも飲もうかと考えていたところだ」
「そっか……」
偶然に驚く。今まで何度も夜中に厨に行っているが、大包平と会ったのは初めてだった。
会えて嬉しいような、でも今じゃなかったような……忙しく考えながら見上げると、大包平がじっと私を見ているのに気づいた。
「主も何か飲むか?」
「えっ!う、うん……。どうしようかな、大包平はなに飲むの?」
「そうだな…」
大包平は冷蔵庫を開けて「そうだ」と呟いた。
「少し待っていてくれ」
「?うん」
大包平は冷蔵庫から牛乳を取り出すと、小鍋に注いでコンロにかける。
「もしかして、ホットミルク?」
「そうだ。好きだろ?」
「うん…」
私がホットミルクが好きだって言ったことあったっけ?言ったかも覚えていないことを覚えていてくれて嬉しい。浮き上がる気持ちを抑えて大包平を見た。
大包平は腕組みをして鍋をじっと見つめている。ミルクが温まるまでそうやって見張っているんだろう。そういう真面目さが愛おしくて好きだ。
私は厨に置いてある椅子に腰掛けて、鍋を見張る大包平の背中を眺める。
「大包平も眠れない時あるんだね」
意外に思って、思わずそう言った。
「もちろんある。俺をなんだと思ってるんだ」
大包平は少し笑って私の方を振り返った。その目が優しいので、私は顔が赤くなりそうになって慌てて目をそらした。大包平の前だといつも挙動不審になってしまう。
大包平はそんな私の様子を気にする様子もなく、鍋に視線をやりながらこちらに身体を向けた。
「お、大包平はいつでも寝れるのかなって……勝手に思ってた」
「そんなことはない、時々あるぞ。そういうときは温かい飲み物を飲んでから床に着く。そうすると大体眠れるんだ……なぜかは知らんが」
「ちょっとわかるかも。なんだろうね、落ち着くのかな」
「さあな。そうかもしれんな」
とりとめのない会話をしていると、鍋のミルクがふつふつと音を立てる。大包平は火を止めて、マグカップをふたつ出し、それぞれに注いだ。
「ほら」
熱いぞ、と言いながら大包平が私にマグカップを渡してくれる。
「ありがとう」
大包平がマグカップを持つと、小さく見えるな…と考えながら受け取る。両手のひらで包むようにマグカップを持つと、じんわり手が温まるのが心地よい。少し息を吹きかけてからそっと口をつけた。
「おいしい…」
はあ、とため息が出る。ホットミルクはいつ飲んでもほっとする。
ほっとしたと同時に大包平とふたりきりでホットミルクを飲んでいることに気が付いて、急にどきどきしてきた。今更だけど。
そんな私をよそに、大包平も椅子に腰掛け、黙ってマグカップを傾けている。
どきどきして頭がいっぱいなのもあり、特に喋ることがみつからなくて、私も黙ってホットミルクを飲んだ。
じっと黙ったまま、マグカップ越しにちらと大包平を見ると、目が合った。大包平は柔らかく微笑んで、「ホットミルクもなかなかいいな」とつぶやくように言った。声が出なくて、私は首だけで頷いた。その私を見て、大包平はまたマグカップに視線を戻した。
喋るのがあまり得意でない私のことをわかってくれているのか、大包平はいつも話を聞いてくれるときは黙って真剣に聞いてくれるし、こんな風に話さないでいてくれる時もある。本当にそういうところが優しいと思う。無言の空間が苦ではないということが、私にはありがたかった。
飲み終わり、少し肌寒くて冷えていた身体が温まってきて、眠くなってきた気がする。
しょぼしょぼする目をこすっていると、大包平に「眠いのか?」と聞かれた。
「うん……、眠くなってきたかも」
「そうか、よかった。それなら部屋に戻るといい。きっとすぐに眠れる」
いつもの自信のある笑顔でそう言った。この顔で言われると、きっとそうだという気持ちになれる。
「うん、もう眠れる気がしてきた。でも、私が片付けてからにする…作ってもらったから、やらせて」
「わかった。じゃあ頼む」
きっと俺がやるって言うだろうと思ったので、先回りして片付けさせてもらう。申し訳ない。きっとその気持ちを汲んでくれたんだと思う。
手早く鍋とマグカップを洗う。その間、大包平は待ってくれていた。
「ごめん、お待たせ。先に戻っててもよかったのに」
「いや…」
大包平が珍しく口ごもった。
「どうしたの?」
「その、言ってなかったなと思ってな」
大包平は私の目をじっと見た。優しい目をしている。
大包平と関わるのは近侍の仕事を通してが多い。近侍の大包平はいつも真面目な顔をしている印象があった。眉間にしわが寄っていることも多い。でも、今はその時の顔とは違う。こんな顔をすることもあるんだ……とぼんやりしてしまった。
「…おやすみ。」
あたたかくしてゆっくり休めよ。
と、(私しかいないのだけど)私にしか聞こえないような声で大包平は言った。
「お、おやすみなさい。大包平もゆっくり休んでね」
「ああ」
厨を出て、私が自室の方に歩き出すのを見送ってくれた。
どうしよう、初めて大包平に「おやすみ」って言われたかも……。しかもあんなに優しい声も初めて聞いたかも。
ずっとどきどきしていたのがさらにどきどきする。眠くなったと思ったのに眠れないかもしれない……。
そう思いながら早足で自室に戻り布団に潜り込んでぎゅっと目を閉じた。
……眠れないかも、なんて思っていたわりにあっさり眠りに落ちて、気づいたら朝だった。