宇宙でたったひとりだけ① レティシアの名代として、アベラルドは航宙艦テラヌスの封印作業に立ち会っている。
和平が成立し、総統派スコピアムの危機も排除した今、有事に紛れて自由に国境を跨ぐことが出来なくなった。特に王族であるレティシアやテオは、大義名分をつけなければ帝国に足を踏み入れることが出来ない。テラヌスの封印作業はオーシディアスにとっても大きな意味を持つが、超機密事項であるため、訪問の理由を表向きにすることが難しい。星の世界の存在を知っている必要もある。そんな事情から、必然的にアベラルドが立会人を務めることとなった。当然レティシアは自分が行きたがったけれど、こればかりはどうしようもない。ニルベスからはマルキアが来ているが、ニルベスは国として対処したというよりもトラッセン族として戦った背景が大きい。
テラヌスはアスター四号星からサルベージされるのが本来の運用であるそうなのだが、議論の末、銀河連邦の混乱が収束するまで、ヴァイル帝国領で引き続き保持されることとなった。連邦が懸念した先進惑星の技術流出についても、入り口を塞ぎ擬装を再度施すことで素材の採集を事実上不可能にすることに決まった。早晩動力切れを起こし技術の粋であるシステム解析の術が無くなることも、決定に影響したようだ。
「その……転送収容、というのが可能なのだとばかり思っていました」
アベラルドは、マリエルが銀河連邦を代表してテラヌスをヴァイルの地形に馴染むよう擬装を施すのをじっと見つめる。レイモンドが自身のポッドに施していた技術とは、また異なるものであるらしい。
「艦を収容できる艦が無いわけでは無いですが、そういった規模の艦を寄越すほどではない……ということですね」
「壊れた艦が起こす問題なんて、今連邦が抱えているそれに比べたら瑣末なことと思われてるのね」
『総統』を輩出した星だっていうのに。同席しているゲラルトの手前、ロラははっきりとは言わなかったが、呆れた口調を隠さない。
「なぁに、悪用しないと信用されていると思おうではないか」
マルキアがいつもの鷹揚な態度で当事者に水を向ける。
「とはいえ、実際に監理するのは帝国の仕事になるがな?」
「賊や残党に手を出されないよう、尽くそう」
ゲラルトは、マリエルから受け取った解除キーを胸に掲げてぎゅっと握りしめた。
今はここにいないレティシアが聞いたらどう思っただろう。
アベラルドからしても見るからに頼りなかった彼が、一国の代表としてすっくと立っている。喜んだだろうか。自分も気を引き締めなければと頷いただろうか。
レティシアにとってみれば、ゲラルトは、国を継ぐ者同士として苦悩を分かち合えるたったひとりの存在だ。アベラルドにはもちろん、王位継承権を持つテオにも計り知れない、重責。星の世界にはどれだけ敬ってもキリがないほど王女や皇太子がいるのだろうが、この星の歴史を知り、スコピアムや『総統』と対峙した経験を持つのは、レティシアとゲラルトだけなのだ。
(私には、分かってさしあげられない……)
もどかしいような疼きが湧いてくることにはっとして、アベラルドはそっとゲラルトから目を逸らした。
「ロラ」
「はい、陛下」
「今度のオーシディアス訪問に合わせて、ベランジェを見舞いたいが、容態はどうだ」
「ありがとうございます。最近は身体を起こして読書できるまでになりました。きっと喜ぶと思います」
「良かった。レティシア殿下にお会い出来るのも楽しみだ」
「あ、ああ、はい。姫も楽しみにしておられました」
王国と帝国は少しずつ交流を再開している。ゲラルトが皇帝となって初めてのオーシディアス訪問は、理術師育成の意見交換及び理術監理院の視察が目的である。基幹技術として秘匿されてきた理術の開放は、両国の歴史上革命的な出来事だ。代わりに、ヴァイル帝国はヴィープスによりもたらされた船舶や銃などの工業技術を提供することになっている。銀河連邦は渋い顔をしたものの、既に定着した技術とみなされ、星に残る総統派スコピアムへの対抗措置にも必要であると判断されたようだ。
「リーゼロッテも良くやっていますよ。メルティア院長が褒めていました」
アベラルドの僅かな動揺を他所に、ロラが話を継ぐ。
「そうか、頼もしいことだ」
「ほう? 話には聞いていたが、もう留学生がオーシディアスに来ているのか?」
マルキアが目を瞬かせた。知らない名だったが、育成の一貫で理術監理院に留学生を受け入れるという話そのものは、アベラルドも聞き及んでいる。
「昔同じ立場だった者として、良き出会いがあることを祈ろう」
「早速ニーナと仲良くなったそうよ。レティシア殿下が嬉しそうに話していたわ」
「ニーナさん……レティシアさんとミダスさんにも、今回は時間がなくて会えないんですよね」
擬装実行完了の通信を終えたマリエルは、寂しさを隠さずに肩を落とす。
「とても残念ですけど、私はこれで帰還します」
「ありがとうございました。次はぜひ、姫にも会っていってください」
「もちろんです。ああ、ヴァイル帝都のショートケーキ、食べたかった……」
お土産です、と地球産のコーヒーを三国それぞれに託して、マリエルは連邦の艦に転送収容されていった。
「それでは、私もオーシディアスに戻ります」
「あら、あなたはショートケーキ食べていく時間くらいあるんじゃない? 甘いもの好きなんでしょ」
「い、いえ。私はーーその」
当然のようにロラに言われ、アベラルドはたじろいだ。公言したことは一度だって無いはずなのに、いつの間にか自分の甘味好きが広まっている。
(帝都のショートケーキは少しスポンジが弱い気がするんだが)
思わず眉を寄せると、遠慮していると勘違いしたらしいロラが続けた。
「あなただって、そうおいそれと帝都には来られないのだし、後悔の無いように食べていったほうがいいと思うけど?」
「ええと。そうですね、ショートケーキも良いですが、昨夜の晩餐会の最後に頂いたワインが。気に入りました」
「それは嬉しいことを聞いた、貴腐ワインだな。持って帰るかい? 一度城に寄ってくれたら用立てよう」
「えっ! いや、いえ! お酒の類は姫の機嫌が悪くなりますのでーー」
アベラルドが慌てふためいていると、マルキアが感慨深げに言った。
「そういえば飲んでいたな。少年も成人か」
「あ……はい。おかげさまで先日二十歳を迎えました」
アベラルドは命の恩人であるマルキアには頭が上がらない。上がらないのだが、せっかくなのでこれを機に主張したいことがひとつ浮かんだ。旅の最中にレティシアと一緒に訴えたときは軽くはぐらかされてしまったが、果たして。
「ですので、もう少年という呼び方はやめていただけるとありがたいのですが」
「んー?」
遠慮がちに、けれどもはっきりと伝えるも、マルキアは思わせぶりににやにやと笑うだけだ。
「マルキア様……」
アベラルドが途方に暮れていると、にやにやした顔のまま、ゲラルトとロラにさりげなく背を向け、マルキアが囁いた。
「そうそう。私の骨核をな、ミダスにいくつか預けてきた。監理院には無いぞ? お主の腕はヴァイル帝国には秘密だ」
務めて表情に出すまいとしたつもりだったが、一瞬視線が揺れたかもしれない。マルキアはーー優しい眼差しで一度頷き、何事も無かったかのように離れていく。
「少年は少年よ。そう呼びたいから呼んでいる、許せ少年」
盛大に肩を竦めてみせれば、マルキアも朗らかに笑った。釣られてゲラルトがくすっと笑う。人柄の出る、柔和な表情だ。
ーーレティシアもこんな風に笑うゲラルトを見たことがあるのだろうか。つい、考えてしまう。
「そうね、あなたは早くレティシア殿下に会いたいわよね。私はヴァイル城に少し用があるから陛下と一緒に行くわ」
「ではワインはロラに預けることにしよう」
ロラの誤解を招く表現を訂正する間もなく、ゲラルトはアベラルドに向き直った。
「改めて、レティシア殿下に伝えてくれ。また会えることを心から嬉しく思う、と」
「承りました」
アベラルドは静かに頭を垂れる。王女の忠実な騎士として、完璧な態度であった。
ラインバウト国王に帰還と任務完了の報告を終え、アベラルドは姫に顔を見せに行くことにした。元々、帰還したら用を頼みたいと言われていたこともあったし、姫の顔を見てほっとしたい気持ちもあった。用というのがほどほどの無茶であればいいが、などと考えているうちに、執務室が見えてくる。レティシアの明るい声が漏れ聞こえてくるが、会話の相手は誰だろう。
見張りの衛兵に軽く礼をして部屋に入ると、嬉々としてローテーブルに何やら広げているレティシアと、ぐったりと額に手を当てソファにへたり込んでいるテオという対照的な王族二人の姿があった。
「ね、ね、日程を詰めてしまいましょうよテオ兄」
「勘弁してくれ〜……」
ローテーブルを覗き込めば、女性の姿絵が4枚並んでいる。
「釣書ですか」
「おかえりなさい、アベラルド」
「おかえりアビー、なあ、レティに俺じゃなくて自分の方のことを考えろって言ってやってくれよ!」
テオの隣に腰掛けて、姿絵の身分を釣書で改める。全員オーシディアス国内の、身元も経歴も明らかな女性達のようだ。
戦乱が起こる前、若く逞しい『テオ将軍』はレティシアよりも国民に人気があった。未成年であるレティシアに先んじて、数えきれないほど縁談が挙がっていたことを、アベラルドは知っている。
テオ自身は、レティシアが結婚するのを見届けてから自分の番と考えていたようだ。けれどそれも、選べる立場だったからこそ取れた態度なのだった。
「慶事で国民感情の醸成をするのも良いことなのでは?」
「だったら! なおさら俺じゃなくて、レティが結婚した方が国民は喜ぶだろうが!」
実際、姫の婚姻は王家と王国にとって大きな懸案事項となっている。未成年のうちは、という理由でラインバウト国王が一切を押し留めているために、アベラルドはその全容を知らずにいるものの、ベルトランド大佐や自分の両親の様子から、四方八方から話が舞い込んでいることは容易に窺い知れた。
レティシア本人は知らん顔である。
「確かに、城下では姫の結婚相手が誰になるかの噂話で持ちきりでしたよ」
「あのねぇ、テオ兄。四人も残ってくださったのよ。テオ兄が良いって、四人も! この方達のうちどなたを選んでも、きっとテオ兄を幸せにしてくださると思う。なのに今選ばないで、誰ともお会いもせずに、愛想尽かされてしまったらどうするのよ! 侯爵家が断絶してしまうわ!」
「それでも良いと思うがなあ」
「良いわけない!」
アベラルドの軽いジャブはきっぱり無視され、テオの縁談に話を戻される。
テオより姫が結婚した方がいい、というのには、アベラルドも同意する。一見動揺少なく見えるオーシディアス城下も、よくよく耳をそばだたせてみると、侵攻の際に兵に取られていた家族を喪った者がおり、経済の停滞で職を失った者がおり、クーデターによる王家への不信がありーー問題は山積であるのだ。
国全体を曇り空のように覆う、手応えのない澱みを晴らすほどの国民人気があるのは、レティシアを置いて他にいない。そんなレティシア王女に民がどんな夢を見ているのかといえば、
(ゲラルト陛下との悲恋……か)
バルダーでの電光石火の花嫁奪還劇は、当時の帝国の工作もあり、少々歪んだ形で一般に広まってしまっている。
政略結婚に違いはないが、皇太子と王女は確かに想い合っていたと。想い合う二人が一緒になれなかったことは悲劇であると。悲劇を幸せな結末に書き換えたくなるのは、一般論として自然な感情だ。
(政略結婚でも想い合っていたとするのは、いかにもヴァイル帝国的というか)
ボルドールとタチアナになぞらえているのは明らかで、帝国側では、よりレティシア待望論が根強いという。
生まれてこの方二人がまったく接点が無かったことを知っているアベラルドからすると噴飯ものなのだが、民はそんなことまで顧みない。
テラヌス封印に際し一泊したヴァイル城内で漏れ聞こえてきた兵や使用人のする噂話は、確かに待望論を裏付けていた。
面白いことに、オーシディアスの方では、帝国を足蹴にしたということもあってか、『実は王女には別に好きな人がいた』とする噂話のバリエーションもよく囁かれている。その場合の相手は、テオであったり、ネヤンであったり、はたまた一風変わった装束の異国人(まず間違いなくレイモンドである、意外にも民はよく見ている)であったり、様々であるが、共通しているのは誰と結ばれてもうっすらとした悲劇性を孕んでいるということだった。逆境を跳ね除けて平和を成した王女だからか、恋物語にもそういった要素を好まれている節がある。耳に入ってこないように気を遣われているだけなのかもしれないが、誰より一番王女と共にいるところを目撃されているであろうお付きの騎士である自分は、あまりその俎上には上がって来ないようだ。当然だと思う。何せ噂話にするには面白みも意外性も無い。時折熱烈に推されている現場に出くわすこともあるのだが……、
(いやいや)
いずれにせよ、王女の幸せな結婚という『物語』は、王国でも帝国でも、民に望まれている。
アベラルドも、粉う方なき民のひとりだ。姫には幸せな結婚をしてほしいと、心から願っている。他の民と少しばかり違うところがあるとすれば、悲劇性など必要ないと思っているところぐらいで。
現実問題、姫にもテオにも渋らず早く結婚してほしいとアベラルドは思っていた。王統が絶えるのではないかと気が気でないのだ。
姫自身はその宿命をよくよく理解している。市井の噂や自身の縁談については黙りを決め込んではいるものの、必要なときに必要な相手と結婚する意思は在るようにみえる。でなければ偽装結婚などという捨て身の作戦は立てないだろう。
順当に結婚したとしても、万が一姫が子を成せなかったなら、王位はクレムラート侯爵の血筋に移る。その時テオにも子がいなければ、これまで以上の権力闘争が勃発することは火を見るより明らかだった。アベラルドは、それが怖い。
テオも分かっていない訳ではないのだ。自分自身への強い処罰感情から、いちいち判断が迷子になるだけで。レティシアはその都度軌道修正に腐心している。正に今がそうだった。
「こんな俺に今さら残った縁談なんて、野心丸出しの家からだけに決まってるだろ」
「言わせてもらうけど、選べる立場だと思っているの?」
「姫、それは痛いです。刺さります」
アベラルドは思わずぎゅっと肩を竦めた。テオはといえば、ソファの背もたれに身体を預けたまま、天井を仰ぎ目を閉じて完全に沈黙している。
本来は選べる立場であるはずだった、のだ。姫は残った四家の令嬢の釣書をじっと見つめている。
「うん?」
何かに気付いた姫は、テオの正面に置かれていた釣書と姿絵を持ち上げた。
「テオ兄、この方とは前から何度も会ってるじゃない」
沈黙。
「テーオー兄〜?」
レティシアが身を乗り出してテオに詰め寄る。彼女が近付いた分だけ、テオの身体はどんどんソファに埋まっていく。
「……余計無理だ」
「テオ?」
「幸せになって欲しいから、俺以外を選ぶべきだ」
ぽつりと。降り始めた雨のひとしずくがやっと頬を叩いた時のような小さな声で、テオが吐露する。
姿絵を持つ姫の手がわなわなと震えていることに、テオは気付かない。
「ーーアベラルド」
レティシアはローテーブルにそっと姿絵を戻すと、そのままソファから立ち上がった。
「はい、姫」
アベラルドも合わせて立ち上がる。
「任務帰りに呼びつけて申し訳なかったわ。少し王都の向こうまで出かけたいからついてきて欲しかったのよ」
「無論、お共いたします」
部屋を出て行こうとするレティシアに続きつつ、ちらりとテオを見やる。テオは両手で顔を隠して、身体全部で深く息を吐いた。
「……意気地なし……」
やっと聞こえるくらいのか細い声でそう呟いた姫の顔も、後ろを行くアベラルドからは見えない。
軽口を叩いて茶化すこともできたはずだった。けれども。
(ーー……)
ふさわしい言葉を思いつけないまま、浅い息をこの場に残していくことしか、出来なかった。