① 微睡みながら視界の端から端を瞬く間に走り去っていく景色を眺めていれば、汽笛の音で目が覚めた。途中で脱いだ外套を傍に抱え長時間揺さぶられた為に悲鳴を上げている腰を宥めながら降車する。重いトランクがさらに腰を虐める。これでも減らした方なのだ。改札を過ぎればもう何度見たか判らない町並みが広がっていた。
駅があるくらいだから本当に何もないと云う訳ではないけれど、それでも辺鄙なところだ。目印になる様な建物があるわけでもなく初めてこの土地に足を訪れた時は大層迷ったものだ。けれど、邸宅から行き来する回数が百を過ぎる頃には景色の変化を楽しむ程の余裕が生まれた。
けたたましく鳴く蝉が気温を一層上げているようだった。煌々と照りつける日差しが、後ろへ撫で付けた髪を湿らせる。それでも自らの足で向かうのは愛しい男が終の住処としたこの場所を、光景を何より自分が感じたかったからだった。道のりは長い。途中茶屋などに立ち寄って、いくばかの休息を挟めば目的地はもうすぐそこだった。
1964