アローラチャンピオンに特訓をつけたトレーナーがいるらしいアローラチャンピオンに特訓をつけたトレーナーがいるらしい
ポケモンワールドチャンピオンシップス。最強の八人によるトーナメント戦は熱狂の渦に包まれていた。会場のボルテージも戦いごとに増していく。
ダイゴを降したサトシと、アイリスに勝利したシロナとのバトル。お互いの技と戦略のぶつかり合い。一進一退の攻防の末、勝利の女神が微笑んだのは、サトシであった。
弱冠十歳の新設リーグのチャンピオンが、ホウエンさらにシンオウのチャンピオンに勝利した。もはや彼の実力は疑いようがない。世界が、サトシというトレーナーに注目していた。
「おめでとうサトシくん。初めて出会ったときからこんなに強くなったのね」
「ありがとうございます!」
試合を終えたふたりが固い握手をかわす。全力を出し尽くし、勝利したサトシの笑顔は眩しい。シロナは慈しむような表情で、自分よりも小さな少年を見下ろす。
負けて悔しい気持ちはどんなに登り詰めても変わらない。だが、未来あるトレーナーの成長をこの身で経験できることは喜ばしい。シロナは微笑みを絶やさず、サトシへ話しかけた。
「それにしても、やっぱりサトシくんの戦い方は面白いわね。特にカイリューのりゅうせいぐんには驚かされたわ」
「ありがとうございます! あれはシンジと特訓して身につけたものなんです!」
「シンジくんと……!」
シロナの脳裏に、シンオウで出会ったもうひとりの少年を思い出す。サトシとはまるで正反対の考えを持つ少年。はじめて出会ったとき、ふたりはポケモンに対する考え方で衝突していた。
ふたりは幾度となくぶつかり合い、とうとう大舞台でひとつの決着を見た。ふたりの間には絆が生まれた。
そんなふたりがシロナたちに勝つために特訓し、実際に勝利した。シンオウリーグの戦いの先を、サトシとシンジは見せてくれたのだ。
(なるほど。ふたりの共同作業というわけね)
「ありがとうサトシくん。いつか、シンジくんとも本気のバトルをしてみたいわね」
「オレも! シンジとシロナさんのバトル見てみたいです!」
シンジくん、次のPWCS
に出てくれないかしら? あいつ、お祭り騒ぎは好きじゃないって言ってました! などと先ほどまでバチバチに戦っていたふたりは和気藹々と会話を繰り広げている。
ゴウと共に試合を見守っていたホップがポツリと呟いた。アイリスも困惑した声をあげる。
「シンジって……誰だ?」
「サトシとシロナさんの共通の知り合い、みたいだけど……」
PWCSでは、各選手にピンマイクが取りつけられている。それは観客に選手たちの指示や掛け合いを届けるためのものだ。試合後に交わされる会話もまた観客たちの楽しみである。
つまり、ふたりのマイクは未だに切られていなかった。サトシとシロナの会話はマイクを通して、観客どころかお茶の間に筒抜けであった。会場でふたりの会話を聞いていたゴウは、シンジに振りかかるであろう今後の展開に同情を禁じ得なかった。
こうして、“シンオウチャンピオンがバトルを望む”、“新進気鋭の初代アローラチャンピオンに特訓をつけた”トレーナー“シンジ”の存在が囁かれるようになったのである。
* * *
シンオウ地方・トバリシティにある兄の育て屋で、シンジは頭を抱えていた。その隣で、兄レイジが苦笑いを浮かべている。シンジは地を這うような低い声で、一言、サトシを罵倒した。
「あの……バカ……!」
「サトシくん、シロナさんに勝ってテンション上がっちゃったのかな?」
すごいバトルだったからねえ。他人事のようなレイジをシンジはギロリと睨みつける。その眼光の鋭さは、かつてサトシと衝突していた頃の、いや、それ以上の剣呑さであった。
「個人情報をペラペラしゃべる奴がいるか」
「サトシくんも悪気があったわけじゃないと思うよ」
「なお悪いだろ。ほんとふざけるなよあいつ……!」
今後のことを考えると、シンジの眉間に深い皺が寄る。すると家の電話が鳴り始めた。嫌な予感がする。普段はなんとも思わない着信音が煩わしい。電話を取ろうと立ち上がったレイジを引き止めた。
「兄貴……頼む、出ないでくれ」
「そういうわけにもいかないよ。お客さんだったら信用に関わる」
「このタイミングなら客からの電話の可能性は低いだろ……!」
「でもゼロじゃないだろ?」
シンジの嘆願は聞き入れられなかった。レイジが電話のモニターをオンにする。聞こえてきた声はやはり客のものではなかった。
『あっ、レイジさんお久しぶりです!』
『ポッチャー!』
「やあヒカリくん、久しぶりだね。元気だったかい?」
『はい! レイジさんも元気そうでなによりです!』
リビングにいるシンジにも聞こえる声量は、やけに聞き覚えのある女の声だった。誰だったか。記憶を引っ張り出して、サトシと共に旅をしていた女だと思い出した。たしか兄貴がヒカリと呼んでいたか。あの頃は、あまり他人に興味がなく、おそらくサトシという接点がなければいまも思い出せなかっただろう。サトシの仲間がこのタイミングで連絡してくる理由を、シンジはひとつしか思い至らない。
『急に連絡してすみません! でもどうしても誰かとお話したくて! さっきのサトシとシロナさんのバトルなんですけど!』
案の定、ヒカリの用件は先ほどのサトシとシロナの戦いについてのようだ。声だけでも彼女が興奮しているのがわかる。シンジはゲンナリしながら電話口へ向かう。姿は見せたくないので、部屋には入らず様子を伺う。兄は椅子に腰かけてヒカリと楽しそうに会話していた。
「もちろん見ていたよ。あれはすごいバトルだったね」
『ですよね! まさか、シロナさんに勝っちゃうなんて! でもいちばん驚いたのが、サトシとシンジがいっしょに特訓したって!』
やはり、本命はその件か。レイジの笑い声がする。きっと困ったような顔をしているだろう。だが、通話を切ろうとはしない。レイジの人付き合いの良さに、シンジの眉間の皺が一層深くなる。
『もー私テレビで見てポッチャマのこと潰しちゃうところだったんですよ!』
『ポチャ~……』
『レイジさんはこのこと知ってました!?』
ヒカリはその衝撃的事実を目の当たりにして、衝動的にレイジに電話したという。潰されかけたというポッチャマは、思い出しているのか少し元気のない声で鳴いている。
「ああ、知っていたよ。家でポケモンたちの調整をしていたからね」
『そうなんですか!』
兄は通話を切らないどころか、余計な情報まで与えていた。裏切り者! と心のなかで叫ぶ。シンジが聞いていることなど知るよしもないヒカリは、なおもしゃべり続けていた。
『なんだか感慨深いなあ……。初めて出会った頃は喧嘩ばかりだったのに。それにシンオウリーグからふたりとも連絡もしてないみたいだったし。そっかぁ、ふたりで特訓かぁ……』
「うん。サトシくんとの出会いは、シンジにとっていい影響を与えてくれたよ。とても感謝してる」
『それ、サトシに直接言った方がいいですよ。サトシもシンジに出会えて良かったって思っているだろうから』
そこで限界がきた。なんと気恥ずかしい会話か。兄貴はともかく、ヒカリはシンジとサトシの保護者か? むしろもうひとりいた男に面倒見られていた側だろうお前は。
ずかずかとふたりが通話していた部屋に乗り込んだ。画面の向こうでヒカリとポッチャマが驚いた顔をしている。
『シンジ!? いたなら言ってよ! 聞いたわよサトシと特訓したんですって? あの頃のシンジからは考えられないけど、大人になって、』
マシンガンのごとく話しかけてくるヒカリに構わず通話を切った。プツンという音と共に真っ暗な画面に切り替わる。苦笑する兄のと、苛立った顔のシンジの顔が映りこんだ。シンジの頬が仄かに赤らんで見えるのがなお腹立たしい。
「勝手に切るなよ。ヒカリくん、きっとすごく怒ってるぞ?」
「知らん。訳の分からんことを騒いでいる方が悪い」
機嫌の悪い弟に、レイジはそれ以上はなにも言わなかった。ただ、スマホロトムを取り出して、外に出ていこうとするシンジに「どこに行くんだ?」と声をかける。
「少し電話をするだけだ。文句のひとつも言ってやらないと気が済まない」
そう言ってシンジは部屋を出ていった。あとに残されたレイジがポツリと呟く。
「連絡先、交換したんだ……」
たったそれだけのことに、レイジの頬が緩む。その後、再び電話をかけてきた怒り心頭のヒカリを宥めつつお喋りに興じるのだった。
* * *
その頃。シロナとの激闘を終えてホテルに戻ったサトシとゴウ。サトシは、ベッドに大の字になったピカチュウの体を揉みこんでいる。単なるマッサージだが、普段の様子を知らなければイチャイチャしているように見えるだろう。ピカチュウは実に気持ち良さそうだ。
一方ゴウは、スマホロトムを起動して今日の試合についての反応をSNSでチェックしていた。SNSには試合の感想や戦術の考察など悲喜交々を見ることができる。サトシの公式戦後にSNSを確認するのはゴウのルーティンだった。ただ、今回の目的はサトシだけではない。
予想通りの盛り上がりを見せるSNSにゴウはひきつった笑いを浮かべた。未だにピカチュウと戯れているサトシを手招きする。
「サトシ、ちょっとこっち来て」
「どうしたゴウ」
呼んだのはサトシだけだが、当然のようにピカチュウもサトシの肩に乗ってついてきた。それはもういつものことなので、ゴウは気にせずに話を続ける。
「SNS、すごい騒ぎになってるぞ」
「えすえぬ……って、ゴウがいつも見てるみんなの日記みたいなやつだっけ?」
「そうそう」
サトシはSNSに興味がないらしい。科学の力に目を輝かせる割には、スマホロトムも最低限の機能しか使っていない。最近まで連絡ツールも持たずに旅していたらしいし。ゴウには信じがたい世界だったが、それがサトシの世界なのだろう。
「なんで日記が騒ぎになってるんだ? オレがダイゴさんに勝ったから?」
「それもだけどそれじゃない。“シンジってトレーナーは何者だ”って騒ぎになってるんだよ」
「えっ!?」
「ほら」
ゴウがサトシに向けてスマホロトムの画面をスクロールする。サトシは上から下へ文字を追った。
「ほ、ほんとだ……」
SNSにはサトシとシロナの試合のことも書かれていたが、最後にはシンジの話題に帰結していた。
“サトシ選手が最後に話してたシンジってトレーナー何者?”
“シロナ様とも知り合いっぽいぞ。あの反応見るに”
“初代アローラチャンピオン(ダイゴとシロナに勝った)に特訓つけたトレーナーとか只者じゃない感”
このようにシンジは、すっかり“初代アローラチャンピオンに特訓をつけた謎の実力派トレーナー”として話題になっていた。しかもちらほら“もしかしたら特定したかも……”という書き込みもちらほら見えるようになってきた。サトシの顔が青ざめる。
「ど、どうしよう……」
「シンジって各地のリーグ戦にも出てるんだよな? 特定は時間の問題かも……」
「シンジ、お祭り騒ぎは好きじゃないって言ってたし……。絶対怒ってるよな……」
「早めに謝った方がいいんじゃないか? 連絡先、交換したんだろ?」
「そ、そうだな。すぐに電話……」
その時、スマホロトムの着信音がなった。ベッドに置きっぱなしになっていたサトシのスマホロトムだ。サトシとゴウが顔を見合わせる。このタイミングでの着信に、ふたりは同じ人物を思い浮かべていた。すぐに、スマホロトムが答えを示す。
『シンジから着信です』
「もしもし!」
「……」
サトシは反射的に通話ボタンを押していた。ベッドまで移動する勢いで、ピカチュウが肩から落ちてしまう。ピカチュウに謝罪しながら、通話に神経を傾けた。
向こう側にいるシンジは沈黙している。それがなお怖い。サトシは恐る恐る口を開いた。
「し、シンジ……」
『……その様子だと、オレがなぜ連絡してきたか分かっているようだな』
「ほんとゴメン! まさかこんなに大騒ぎになってるとは思わなくて……。お、怒ってる?」
『……』
再び沈黙。サトシの様子にそばで見守っていたゴウとピカチュウもハラハラしている。やがて、シンジの深いため息が聞こえてきた。サトシの体がびくりと跳ねる。
『いや、それはもういい。お前に、そこまでの配慮ができるわけがなかったと思い直した』
バカにされている気がしたが、実際に配慮できなかったからこうなっているわけで。カチンとはきたが、サトシはなにも言い返せなかった。
「じゃあ、なんで電話してきたんだ?」
『……次の試合』
三度長い沈黙が訪れると思っていたが、今回はすぐにシンジからの返答がきた。
『次の試合、オレに気を遣って全力が出せないということはないだろうな?』
「っ! そんなわけないだろっ!!」
これには申し訳なさよりも、怒りが勝った。シンジのことは本当に悪かったと思っているが、それはそれだ。何よりも、シンジに自分がそういう奴だと思われるのは心外だった。
「次の試合、オレは全力で戦う。そこにシンジの事情は関係ない! お前はオレがそんなことで本気で戦えない奴だと思ってるのか!?」
『いや? まったく思っていない』
「へ?」
予想外の返答に、サトシは怒りも忘れて呆けてしまった。すると、通話口の向こうから押し殺すような笑い声が聞こえてくる。そこで、サトシはハッとした。
「シンジお前、やっぱり怒ってたんだろ! それで腹いせに電話してきたんだろ!」
『なんの話だ。怒ってないと言っただろ。イラッとはしたが』
「同じだろ!」
『まあ、もし本当に腑抜けているようだったら乗り込んで殴ってやったがその心配はないようだ』
そんなことはないだろうとは思っていた。シンジの言葉に、カッと胸が熱くなる。シンジに信用されていると思った。その心がサトシに力を与えてくれる。サトシはにっと笑みを浮かべ、シンジに告げた。
「シンジ、次の試合見ててくれよな。最高に熱いバトルをしてみせる。それで、絶対に勝つんだ!」
『情けない結果を晒すなよ』
「分かってる!」
すると遠くからシンジを呼ぶ声が聞こえてきた。きっと兄のレイジだろう。時計を見ると、かなりの時間通話をしていたようだ。シンジが黙り込んでいた時間、長かったからなあとぼんやり思う。そろそろ、話を切り上げなければならないだろう。サトシは、少し名残惜しかった。
『兄貴がうるさいので切るぞ』
「分かった。……シンジ、今度はオレから電話するな」
『……期待しないで待っててやる』
プツンという音のあと、『通話が終了しました』とスマホロトムが報せる。サトシは沈黙したスマホをじっと見つめていた。だが、遠慮がちにつつかれた感触に、そちらの方を向く。
「サトシ、大丈夫か? なんかすごい百面相してたけど……」
「ピィカ?」
ゴウが心配そうにサトシを見ていた。ピカチュウも困ったように首を傾げている。確かにおろおろしたり怒ったり笑ったり。情緒が忙しかったかもしれない。シンジとの会話が聞こえなかったふたりは、やきもきしていたのだろう。サトシは安心させるように「大丈夫だよ」と笑った。
「シンジ、ちょっと怒ってたみたいだけど許してくれたよ」
「そっか、よかった……」
「少し腹いせにカチンとくること言われたけどな!」
「ええっ!?」
ゴウがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、サトシから投下された言葉に目を剥いてしまう。だが、サトシは笑っていて、あまり深刻な様子ではない。
「まあ、それもオレに気合い入れるためだったみたいでさ。でも言い方ってもんがあるよなぁ」
「……なんか、サトシ嬉しそうだな?」
「ピカピカ」
口では文句を言っているものの、サトシの表情や声色は明るい。ピカチュウも「うんうん」と頷き、ゴウに同意していた。サトシはゴウの指摘にキョトンとする。
「そんなに嬉しそうだったかな……?」
「めちゃめちゃ嬉しそうだったよ」
「そっか……そうかも。オレ、シンジに気合い入れてもらって嬉しかったんだ」
シンジとバトルして、電話をもらって発破をかけられた。彼の言葉に胸がカーッとなって、全力で挑みたいと思った。シンジからの信用を裏切りたくない。
サトシはゴウの膝の上にいたピカチュウを抱えあげた。
「やろうぜピカチュウ。目指すは優勝だ!」
「ピカ!」
頼もしい相棒は力強く同意してくれた。
PWCSの頂点が決まるまで、あと……。