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    地味に続いてしまったのでまとめました

    指輪の話 1.指輪を渡せなかった話


    「ありがとうね、サボくん」
    「いいよ。うちにあってもどうしようもねェしな」
    「エースくんはいいって?」
    「なんか渋ってたけど、おれがあいつにもらったものだし大丈夫だろ。珈琲でいいか?」
    「あ、お構いなく」
     ここに越してからコアラを招くのは今日が初めてだった。
     パタパタとスリッパを鳴らしながら廊下を進む。きょろきょろと物珍しそうに部屋の中を見回すコアラは、小奇麗にしていることに関心しているようだった。あまりにそれが顔に出ていたので、サボがエースだよ、と告げれば妙に納得されて少し複雑な気分になる。
     存外エースは綺麗好きなのだ。二人を知る人のイメージからすれば、おそらくサボの方が綺麗好きな印象を与えやすそうだが、どちらかと言えばサボの方が大雑把なところがあり、エースの方が神経質な面がある。風呂掃除以外は特に役割分担を行ってはおらず、気づいた方が気づいた時にやるというスタンスの二人であったが、掃除を行っている頻度は圧倒的にエースの方が多かった。
    「家具とかもエースくんの趣味?」
    「おれの趣味だと思うか?」
     ほとんどの家具をダークブラウンに統一し、モダンで落ち着いた空間が広がるリビングを見て、コアラは改めて嘆息をもらした。
     引っ越しの際、ベッドソファーをはじめ、ほとんどの家具を新調してしまうほどの気の入れようだ。これから二人で過ごす家だからと言って、妥協したくないと言ったのはエースで、とくにこだわりがないサボはエースが思うようにすればいいと答えた。そうして、エースが選んだ家具はどれもこれもこだわり抜いたものばかりで、特に寝室の真ん中を陣取るクイーンサイズのベッドに関しては選ぶのに相当時間を費やしたのもまだ新しい記憶だ。
    「まさか」
    「……どういう意味だよ」
     ふふっと笑みを零して、コアラは後ろ手に組みながら部屋中を見て回った。
     サボにとってはようやく見慣れた空間だが、コアラにとってはすべてが目新しく興味深いのだろう。少しの間ではあるが、二人は同じ時間を同じ児童養護施設で育ってきた。サボを弟のように思い、なにかと心配していたコアラだったが、この部屋の雰囲気から伝わってくるサボの現状にようやく安心する。同時に少しだけ寂しさも感じていた。穏やかな笑みを浮かべて部屋を眺めるコアラの横顔を見て、サボもまたどこかほっとした気持ちでキッチンに向かい、二人分のコーヒーを入れる。
    「わっ、本当にたくさんだね!」
    「な? 馬鹿だろ、あいつ」
     驚いた声を上げるコアラにサボは肩をすくめながら、ダイニングテーブルへと移動し、持っていたマグをテーブルの上に置くと、椅子を引いた。コアラが驚いたのは大きな四人掛けのソファでくつろぐ、テディベアたちの数の多さだった。
     今日コアラがやって来たのはこれらを引き取るため。子供の頃に過ごした施設にコアラは最低月に一回、イベント時には必ずといっていいほど顔を出していた。そして、今回、クリスマスも近いということで、このテディベアたちを施設に住む子供たちへのプレゼントとして引き取ってもらうことになったのだ。
    「これ、全部エースくんが?」
    「おれが自分で買うわけねェだろ?」
    「まあ、そうか。にしてもいっぱい!」
     そのうちの一体を抱きしめたいまま、コアラはサボの前に腰掛けた。
     そもそも何故こんなにも男が二人で暮らす家にテディベアといったものがたくさんあるのかというと、すべての原因はエースにあった。それはサボにとってはいささか恥ずかしく、できれば話したくはない内容ではあったが、引き取ってもらうにあたり、コアラには誤魔化切れなかった。酔っぱらったエースが、サボに似ているといってそれらを買って帰ってくることを。
    「エースくんの愛もたくさんってわけだね」
    「いや、馬鹿なだけだよ」
     酔って呂律が怪しい口調で、サボの髪色に似た毛色のテディベアを見つけると、どうしても連れて帰らなければという使命にかられるんだと言って渡してきた。その度にサボは呆れて言葉を失った。だけど、「かわいいだろ~、こいつサボに似てんだ」と言われれば、間接的だとしても自分に向けられる言葉に、酔っ払いの戯言だとわかっていても聞き流すことができなかった。特に滅多にそういうことを口にしない男の言葉だからこそ余計に響いてしまうのだろう。
     サボも男だ。可愛いと思われたいなんて微塵も思ってはいない。だけど、エースからの言葉となると別なのだ。不覚にもそれが「かっこいい」ではなく「可愛い」であっても、まるで魔法にでもかけられたかのように、心が浮き立つのを誤魔化すことができない。
     それにしても、自分に似ているというテディベアを可愛いだろと言って抱きしめるエースの姿を見るのは、直接言われるよりに何倍にも気恥ずかしいものだった。唯一の救いはそのやりとりを本人が次の日にはすっかり記憶ごと忘れてしまっているということ。おかげでこの話を知るのは今ここにいる二人だけということになる。
     思い出して、いたたまれない表情を浮かべるサボに、コアラはくすりと笑った。
    「寂しくない?」 
    「そんなわけないだろ。むしろ助かるよ」
     確かに少しも手放しがたい気持ちが存在しないかといえば嘘になる。初めてもらった青いセーターを着ているテディベアなんかは特にそうだ。元々物に執着しないし、可愛いものに惹かれるといったこともないけれど、エースがサボに贈ったものとなると話は変わってしまう。だけど、如何せん数が多い。一体だけなら置いていてもよかったが、次第に増え続け、ついには置き場にも困り始めてきたのでこれはいい機会なのだ。それに、ただ置いておくより子供たちが喜んでくれるのなら、その方がよっぽどいいに決まっている。
    「でも、エースくんは嫌だって?」
    「うーん、嫌とは言ってねェけど……あいつ、馬鹿だから」
    「もう、そればっかり! でも、私、わかっちゃった」
    「わかっちゃったって、なにがだよ?」
    「エースくんが渋った理由だよ。確かに何となくキミに似てるもんね、この子たち」
     テディベアを譲る。その話をしたとき、エースは思いのほか渋る素振りを見せた。口ではサボにあげたものなのだから、サボの好きにしたらいいと言いながらも、サボに似ているそれを誰かにわけ与えるというのが嫌だったらしい。人形遊びに興味はないし、買ったときの記憶もないくせに、それでも何か嫌なのだと中々首を縦に振ってくれなかった。
    「で? サボくんはなんて言って説得したの?」
    「説得ってほどでもねェよ」
     それを見事に言い当てたコアラは、少し困ったような顔をするサボを見て、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。いつもサボに振り回されてばかりいるコアラが、珍しく優位にたてたことで気分がいいのだろう。
     それにしても女というものはよくわからない。どうして他人の色恋沙汰にそこまで興味が湧くのだろうか。めんどくさいなぁ、とコーヒーを一口啜ってから、サボは昨日のことを振り返った。
     存外渋って見せたエースだったが、丸め込むのはそう難しくはなかった。たった一言。演技などは必要なく、たった一言だけ思っていたことを素直に口にしただけで、エースは簡単に頷いてくれたのだ。
     だけど、それはまるでテディベアに嫉妬しているように思われる発言なので、サボとしては口外したくない内容だった。絶対揶揄われるとわかっているからだ。だけど、コアラに引く様子はなく、サボは深くため息をついて、少し言い淀みながら答えた。
    「……おれ以外を、可愛がったって意味ないだろ……って言った」
    「やだ、なにそれ! つまり、おれだけを可愛がってってこと?」
    「いや、そこまでは言ってねェよ」
    「でも、そういうことだよね? なるほど、なるほど……クマさんに嫉妬しちゃったってわけだ! サボくんってばかわいい~!」
     きゃっきゃっとひとしきり騒いだあと、コアラは頬杖をつきながら揶揄うように笑った。
     コアラの勢いに押され、サボは頬を引きつらせる。だから、言いたくなかったのだ。本気で嫉妬したわけではないが、自分がいるのだから、自分に似た何かなど必要ないだろう、と思ったのは本当だ。本音なのだから何も恥じることはないのだが、サボは昔から何故かコアラには対してムキになって言わなくてもいいことまで言い返してしまいがちだった。そうしていつもくだらない言い合いをすることが多かった。その度にいつも思う。姉に反抗する弟はこんな感じなのだろうかと。
    「まあ、コアラにはわかんねェもんな」
     スッと冷静さを取り繕ったサボは、マグをそっとテーブルに置くと、伏し目がちになりながら飲み口を指で拭う。そして、挑発するように緩く口角を上げた。
    「相手もいないんじゃ嫉妬もできねェしな」
    「ちょっと、サボくん?」
    「そろそろコアラもクマをくれるような男でも作ったらどうだ?」
    「失礼だよ!? 私だってモテるんだからね!?」
    「じゃあ、今までもらったクマの数は?」
     目じりを吊り上げて、大きく頬を膨らませたコアラが激怒するが、サボは一切悪びれず、それどころか舌を突き出してさらに挑発した。コアラも負けじと言い返す。こうなったらもういつもの喧嘩と変わらない。
    「もうっ! やっぱり全然可愛くない! そんなんだとエースくんに嫌われるんだからね!?」
    「ありえねェな」
    「あるよ!」
    「ねェよ!」
    「あーる!」
    「ねーえ!」
     勢いはヒートアップするものの、内容はどんどんくだらないものへと変わっていった。もう本人たちは何に怒っているというよりも、とにかく互いの意見を否定したいという意地だけで言葉を発しているのだろう。そんな声は廊下まで響き渡り、帰ってきたばかりのエースの元にまで届いていた。
    「なんだ、お前ら。またやってんのか」
    「「エース(くん)!」」
     リビングのドアを開けると、二人一斉に振り返る。エースは思わず苦笑いを浮かべた。面倒なので巻き込まれたくないが、このまま放っておいても面倒なことになりそうだ。
    「おう、コアラ。ずいぶん元気そうだな。で? 今度は何で揉めてんだ?」
    「おれが可愛いか可愛くないか」
    「私の方がモテるって話でしょ!?」
    「なんだそりゃあ」
     仕方なく、あくまでも中立な立場を装って二人の間に入ってみるも、思ったよりもくだらなさそうでさっそく耳を塞ぎたくなった。
     二人はいつもエースを巻き込むとき、エースを味方につけたがる。エースが味方になったら勝ちというふうにされるのは勘弁して欲しかった。そして、そうなるとさらに厄介なのだ。エースからすれば本当にどうでもいいことなのに、選ばされた挙句、選ばなかった方からはあたりがきつくなる。サボを選べば贔屓だと言われ、コアラを選べば一週間サボは夜の誘いを受けてくれなくなる。エースにとって良いことなど一つもないのだ。
     だけど、放っておくといつまでも言い合いを続けてしまう。
     巻き込まれるのも、放っておくのもどちらも面倒であることに間違いないが、ひとまずまだまだ白熱しそうなので、静かに観戦しながら場を収める方法を考えようと、テディベアたちに囲まれるソファに座った。そして、エースはその中からサボに最初に贈った青いセーターを着たテディベアを手に取る。
     飲み会の帰り道で通りかかった店のショーウィンドウにこいつはいたのだ。
     最初は単純にサボの髪の色に似ていたから目に止まった。そうして外からぼーっと眺めていると、店員と目が合って店内へと招かれた。最初は本当に買うつもりなどまったくなかったのだ。自分にもサボにもぬいぐるみを愛でる趣味などない。だけど、それがただのテディベアではないと説明を受け終えたあとには、レジで会計を済ませていた。
     それは、結婚式などでリングベアラーと呼ばれる指輪を運ぶ役割の人が持つリングピロー代わりとなるテディベアだった。また、最近ではプロポーズの際にも用いられ、ぬいぐるみを贈ったと見せかけて本命は指輪だったと、サプライズで彼女を喜ばせようと購入する人も多いそうだ。
     エースが見つけたそれは、テディベアの中に仕込めるようになっていて、着ているセーターを脱がすと、仕掛けがあることに気付けるというものだった。
     テディベアを購入後、エースは一旦実家へ戻り、渡す方法が思い浮かばず、いつまでも渡せないまま実家に隠していた指輪を回収した。そして、その指輪をそっと忍ばせた。それでも素面で渡す勇気は出ず、酔ったふりをして贈ってみたが――。
     エースはテディベアのセーターを脱がせ、忍ばせていた指輪を回収する。結局サボが指輪の存在に気付くことはなかった。
     指輪の存在に気付いてほしくて、テディベアの存在をアピールするために似たようなものを買い続けた結果、随分と増えてしまったっものだ。またしばらく酔って記憶がないふりをしてテディベアを買う日々が続くのだろうか。それとも、別の作戦を考えるべきだろうか。何がいいだろう。そう新たな作戦を企てていると、サボがエースを呼ぶ。
     どうやら選択する時間がやってきてしまったようだ。どちらが正しいかなんてエースには本当にどうでもいいし、わかりようもない。だけど、今回は指輪を見つけてくれないサボに少しの八つ当たりの意味を含めてコアラを選ぶ。
    「お前、それでもおれの恋人かよ」
     すかさずサボから批判をかって、だったら早く指輪に気づいてほしいものだとエースはひそかに思うのだった。



     2.指輪をもらえなかった話


     とんでもないものを見つけてしまった。
     率直に抱いた感想はそれだった。
     偶然だったのだ。すっかり温かくなったと思った春先に、時期外れの寒波が列島に押し寄せ、三月になったというのに今日はひどく冷え込む一日となるそうだ。これから春へ向かって暖かい気候が続きます、なんて言った天気予報士の言葉を信じ、厚手のコートをすべてクリーニングに出してしまった。出かけるのに薄手のコートでは心許ない。かといって綺麗に洗濯され、袋に入った状態のコートを取り出すのは癪だ。そんなわけでエースのものを拝借することにしたのだった。
     寝室に並ぶ二つのクローゼット。そのうちの一つがサボのもので、もう一つがエースのもの。恋人同士でもプライバシーは必要だ。こうしてわざわざ区切っている空間を、普段なら勝手にこじ開けたりはしないのだが、エースは今仕事中でこれはやむを得ない事態。それだけのために連絡を入れるのは憚れるため、心の中で一言詫びを入れることで許してもらうことにした。
     そうして、目当てのコートを取り出したのだが、その際に長い裾が何かに引っかかり、小さな影が床へと転がり落ちてきたのだ。
     床へと転がったのは一つの小さな箱。それはサボの足にぶつかって動きを止めた。
     サボは床に膝を着くと、それを拾い上げる。そして、両手に乗せて、それを自分の目線の高さまで持ち上げると、ほうっと吐息を漏らした。そして、冒頭に戻る。
     直径十センチに満たない布張りの正方形の箱。大きさといい形といい、この箱に入っているであろうものは絞られる。
     顎に手をかけ、一瞬考える素振りをみせたサボだったが、次の瞬間には迷いのない手つきでパカッと箱を開けていた。
     そこには予想通り。素材はプラチナだろうか。現れた白銀色の輝きを放つ指輪にサボは思わず両目を眇めた。
     見るからに女性の細い指には似つかわしくない大き目のサイズ。洗練されたストレートラインのデザインは、普段指輪をしない男性の指にも馴染むことだろう。
     エースの私物である可能性も捨てきれないが、上質なリングケースに入ったままの状態をみるに、誰かへの贈り物だと考える方が自然だ。
     それに何と言っても、このタイミングで見つけてしまったことが決め手だった。
     同棲してから迎える三回目のサボの誕生日。それがもう数日後に迫っていた。毎年当日まで自分の誕生日を覚えていないサボでも、これを見たら必然に思い出してしまった。
     と、ここまでわかってしまったのだから、次に取るべき行動は、詮索はせず元の位置に戻す、のが良い恋人として正解なのだろう。だけども、わかっているからこそ余計に、と言うべきだろうか。そもそもサボに良い恋人である自覚がないので。悪い恋人ですまなかった。そう、もう一度心の中でエースに謝罪を述べる。
     そうして、早まる鼓動を自覚しながらも、サボは好奇心を前にいとも簡単に屈してしまった。
     サボは指輪をそっと摘まみ上げて、左手の薬指に嵌めてみる。やはりと言ったところか。予想通り、それはサボの指にピタリと嵌った。まるでサボの指に嵌めるために作られたかのようにぴったりと。いや、実際にそうなのだろう。
     あと数日もすれば、これは正式にサボのものになる。指輪が嵌った手を高くかかげると、ちょうど窓から差し込んできた太陽の光が反射してなお一層輝きを放つそれにサボは改めて嘆息を漏らし、出かけるギリギリの時間まで目を離すことができなかった。
     エースのことだから、きっとこの指輪贈るために考え抜いた最高のシチュエーションを用意していることだろう。そして、驚くサボを何度も浮かべては三月二十日を待ち遠しく思っているに違いない。さすがに少し罪悪感を覚え、いそいそと指輪を元の状態へと戻し、クローゼットへとしまった。
     サボは心に固く誓う。見つけてしまったことを絶対にエースには悟らせないと。



    「誕生日、何が欲しい?」
     そう問われたのは、そんなことがあった夜のことだった。夕食を終え、洗い場に並んで食器の片づけをしている際。ふいに振られた話題にサボはぎくりと肩を揺らした。
    「おい?」
    「えっ? あ! あー、誕生日、誕生日な」
    「サボ、お前……」
     横から覗き込まれるようにじとりと怪訝そうな視線を向けられ、サボの目線は不自然に泳ぎ始める。まだバレたわけではないというのはわかっているのに、あまりにタイムリーな話題を振られたため動揺した。心臓に悪い。ふーっと息を吐いて誤魔化すようにへらりと笑ってみせると、呆れたようにエースはため息を吐いて、泡を洗い流したばかりの皿を水切りかごに入れていく。
    「まーた、自分の誕生日忘れてたのかよ」
     そこから皿を取り出したサボは、ふきんで水気を吹きながら小さく頷く。
     エースの言ったように、自分の誕生日にさほど興味がないので、毎年エースかルフィの一言から思い出す。だけど、今年は違うのだ。あの指輪のおかげで今日思い出したばかり。しかもそのせいで、今日何度無意味にカレンダーを眺めたことか。何度数えたところで縮まらない、残りの日数を数え、何度あのプラチナを思い浮かべたことか。だけど、そんなことは言えるわけがないので、頷く他なかった。
    「やっぱりな。で、ほしいものは?」
     問われ、サボはゆっくりと瞬く。
     十代までは、お互いに相手を喜ばせようと、自ら考え抜いたプレゼントを用意して渡していたが、二十代に差し掛かったところで、直接欲しいものを訊くようになった。いい加減ネタが尽きてしまったのだ。
     なので、“誕生日に何が欲しい?”と誕生日前になると訊かれることもわかっているはずなのに。サボはそれすらも忘れてしまう。だけど、サボの答えはいつも決まっていた。
    「エースがくれるものなら何でも嬉しいよ」
     エースは靴や服、家電といったあらかじめ答えを用意していることが多い。かくいうサボは、そもそも自分の誕生日を忘れる男だ。答えなど用意しているわけもなく、さらに厄介なことに物欲も薄く、だから毎年エースに丸投げ状態。“エースが選んでくれるもの”と言いながら、考えようとせずエースを困らせる。だけど、それは本音でもあった。
    「出た、一番困るやつ」
     そう言ってげんなりと眉を寄せるエースも毎年同じ反応だ。
     ぶつぶつと何かを言いながらエースが洗い終えた食器を渡してくるので、それを受け取る。サボの答えがお気に召さないようだが、こればかりは仕方がないのだ。
     本当になんでもいいのだ。エースが自分を想って用意してくれたものならば、例えその辺に転がっている小石だって喜んで受け取るだろう。エースには内緒だが、実際に未だに子供のころに誕生日プレゼントだと言って渡された、近場の海岸で拾ってきたシーグラスだって、その辺の堤防で咲いている花が押し花された栞だって、全部ひらがなで書かれた何でも言うことをきく券だって、未だに大切に保管している。
     自分にこんな健気な一面があったのかと他人事のように驚きつつ、やはりエースという男が自分に与える影響力はすさまじいのだとサボは幾度となく痛感させられた。
     それに今年は珍しくほしいものが決まっていたが、いきなり「指輪がほしい」なんて、明らかに不自然だ。そんなの見つけてしまったことをバラすようなもの。そのことについては口を噤むと決めた。ここは、いつも通り。エースを困らせるのが得策なのだ。
    「本当なんだから仕方ないだろ?」
    「じゃあ、おれが女もののいやらしい下着を贈っても喜ぶのかよ」
    「ああ、喜んで着てやるよ」
     間髪入れずに答えると、エースは目を瞠って、手を止めた。
    「冗談だよ、バカ」
     エースの呆けた顔がおかしくて、くっくと喉を鳴らしてしまう。
     揶揄われたのだとわかるとエースが脛のあたりに蹴りを入れてきて、仕返しに近くにあったたくましい肩に歯を立てると、泡のついた濡れた両手で頬を包み込まれた。不快な感触に文句を言う間もなく、唇に噛みつかれる。まるで動物がするようにかぷかぷと何度も甘噛みされ、そのくすぐったさに耐えきれず吹き出してしまったところで、サボは降参だと両手を上げた。揶揄って悪かった、と素直に口にすればエースは得意げな顔で鼻を鳴らした。
     指輪に対して憧れを持ったことは一度もない。左手の薬指に指輪をはめる理由はもちろん知っているが、それを望んだこともなかった。自分たちは男同士だからだとかそんな後ろめたい理由ではない。ただ単に興味がなかったのだ。
     そもそもアクセサリーを好んでつけるエースとは違い、サボがつけるものと言ったらシンプルなシルバーのアンクレットくらいで、それだってエースから貰ったからという理由でつけているに過ぎない。
     だけど、何故だろう。あの指輪を一目見たときに感じた高揚感。他のどんなものにも比べられない宝物のように思えて、喉から手が出るほど欲しいと思えた。それが何故なのかまではわからない。エースから贈られるからだろうとういうことはわかるが、本当にそれだけなのだろうか。実際に指に嵌ったとき、答えがわかるだろうか。
    「とりあえずさ、誕生日。飯何が食べたかくらい考えとけよ」
    食器を洗い終え、シンク周りの水気を拭いながらエースはそう言った。
    「エースさ、毎年それも訊くけど意味ないと思うぜ」
    「あー、それもそうか。どこのラーメン食いたいか考えとけって訊くべきだったな」
    「正解。へへっ、実は今年はもう決めてんだ」
     自分でも驚くほど浮かれていて、誕生日をこれほど楽しみに待ち遠しく思えたことは初めてだった。



     そして、当日を迎えた。
     空の青さが際立つほど、よく晴れた日だった。
     エースの運転するバイクでいつもより遠出をしてラーメンを食べに行った。
     最近の二人はサービスエリア内に出店されているラーメン目当てにサービスエリアを巡ることにハマっている。車を出すことが多いが、こんなよく晴れた日にはバイクを走らせたいとうずうずした様子のエースたっての希望で、今回はバイクで出かけることになった。
     サボの目当てとしていた場所含め、二か所を巡った。
     各地で人気のグルメを堪能し、近々サボの誕生日を祝いに来るだろう弟のために多めにお土産を買って、帰った頃にはすっかり日が落ちていた。
     テイクアウトした料理を並べて、祝い事だからとエースが用意した少しいい酒をあけて、乾杯した。
     そして、ついにその時が来た。
     腹も満たされ、程よく酔いが回り始めた頃。いつの間にか前に座っていたエースが隣にいて、手が重なったのが合図となる。ゆっくりと指が絡められ、たちまち二人の距離は縮まっていった。
     鼻先がそっと擦れ、前に垂れた前髪が払われ、耳にかけられる。こめかみのあたりにキスをされ、サボはまつ毛を伏せた。だけど、完全に影が重なることはなく、口を尖らせながら目線を上げると、バツの悪い顔をしたエースと目があった。せっかくいい雰囲気の仲に不躾な表情だと文句を言ってやろうとした矢先、
    「先に、渡したいものがあんだけど」
     そう言われ、心臓がどっと跳ね上がり、咄嗟に喉まで出かかった科白を飲み込んだ。
     無意識に背筋を伸ばし、大人しく待っていると、後ろ手に何かを隠し持つようにして戻ってきたエースは再びサボの隣に座った。
     そして、ほら、とどこか頼りない声で手渡されたのは、薄くて平たい直径二〇センチほどの箱だった。直径十センチに満たない布張りの正方形の箱ではない。
     胸の中がざわざわと音を立て始める。
     迷子の子供のように瞳を揺らしながら見詰めると、エースは柔らかな表情で目を細めた。
    「驚いたか?」
    「…………うん」
    「やっぱ箱の形でわかっちまうか。前に珍しく同じのがほしいって言ってたもんな」
     サプライズ成功だろ? とでも言いたげに、にいっと歯を見せてエースが笑う。
     確かに驚いている、だけど、エースが思っているような驚きではない。深い落胆を瞳に宿したサボに気づかず、エースは早く中身を見るようにと促した。
     震えそうになる指先に意識を集中して包装をはがす。現れたのはスマートウォッチだった。
     便利なものだとは思う。エースがつけているのを見て、あると便利そうだとは思ったことは何度かあるが、ほしいと言った記憶はない。だけど、エースがそう言うのだから、言ったのだろう。そんな自分ですら忘れているような些細な発言をエースは覚えてくれていて、こうして喜ばせようとプレゼントまでしてくれた。
     それなのに、せっかくエースがくれたものだというのに、素直に喜べない自分がひどく情けないと思う。だけど、――どうして。今はその言葉がサボの頭を埋め尽くしていて、エースが言っていることがまったく頭に入ってこない。
     おれとお揃い、そう言ってエースはすでに腕についているスマートウォッチを見せてくれる。何とか口角を持ち上げるが、果たして自分は今、うまく笑えているだろうか。
    「……嬉しくねえ?」
    「嬉しい」
    「嬉しくなさそうだけど」
    「っ、そんなこと、ちょっとびっくりして、それに……」
    「それに?」
    「いや、嬉しいよ。嬉しい。なあ、エース……キスしたい」
     ひやりとした心臓を誤魔化すため、サボは唇に熱を求めた。サボの反応に不思議そうにしながらも、エースは応えてくれる。何度も角度を変えながら優しく口づけ、離れていくと、こつんと額同士がくっついた。
    「誕生日おめでとう、サボ」
    「うん。うん……。ありがとな、エース」
     再び唇が重なる。サボは胸にポカリと空いた隙間を埋めるように、エースの首に腕を回した。
     その際に何もはまっていない自分の指が視界に入り、ずしりと胃のあたりが重くなる。咄嗟に固く目を閉じてみないふりをした。それでも何だか無性に不安に駆られ、縋るようにエースに抱き着いた。
     指輪が贈られなかった理由を今は考えたくない。



     3.指輪を渡せた話


     ふわりと意識が浮上して、ゆっくりと瞼を持ち上げる。何度か瞬きを繰り返した後、ぼうっと彼を見上げ、掠れた声で名前を呼ぶと、視線が交わった。
    「起きた? 映画終わっちまったぞ」
     困ったように眉を下げて微笑みながら、目にかかった前髪を払ってくれる。サボは本を持っている腕を下ろすと、テレビの方を指差した。首だけを動かして、テレビの方へと振り返ると、ちょうどエンドロールが流れていた。


     冬が終わり春の日が訪れ、淡く色づいた桜の花が各地で咲き誇っている。花見シーズンの到来だ。待ちに待った満開宣言が出された翌日の今日。エースの職場でも花見が行われる予定だった。
     だが、あいにくの天気で予定は延期されることになった。規制が緩和され、数年ぶりに立ち上がった企画故に、数日前から楽しみにしていたのだ。それなのに。ザーザーと今もなお降り続く雨雲を睨みつける。すっかり不貞腐れてしまったエースは、ソファに深く腰掛け、読書をしていたサボの太ももに頭を預けた。何をする気にもなれず、近くにあったリモコンを操作し、適当に映画を流すことにしたのだが、いつの間にか眠っていたらしい。
     エースは大きくあくびをして、体をぐぐっと伸ばす。だけど、すぐに起き上がる気にはなれず、横になったままサボの方へと視線を戻した。
     さらり、さらりと優しい手つきで髪を梳くようにして撫でられる。その心地よさに再び微睡みそうになった。
     窓の外を眺め、サボがぽつりと呟く。
    「雨、止まねえな。せっかく綺麗に咲いてるのにもったいねえ」
    「……うん」
    「うんって、まだ拗ねてんの? 雨だから仕方ないだろ?」
    「でも今週だったらお前も行くって言ってくれたのに」
    「どうせ来年もやるだろ」
     花見は来週に延期されてしまったが、桜の花びらは落ちずに残っているだろうか。
     エースの職場は何かと行事ごとが多い。そんなところをエースは気に入っていて、よほどのことがない限りは参加している。そして、その行事は家族まで参加がオッケーと決められていた。
     いつもは乗り気でないサボが今週ならと、珍しくエースの誘いに首を振ってくれたのだ。だから余計に楽しみだったのに。拗ねたくもなるだろう。
     だけど、実のところはもうそんなに拗ねてはいなかった。ただ、そういう風に装えば、サボは自分を慰めるために甘く接する。そんなサボの甘い態度を堪能したくて、今もなおしかめっ面を続行中というわけだ。
     そうやって、サボがまんまと騙されてくれているのをいいことに、エースはサボの太ももから離れようとしなかった。もう一度最初から映画を再生して、スマホを手繰り寄せた。サボもすでに読書を再開している。そうして、しばらくの間、二人して会話もなく各々が好きなように時間を過ごした。
     適当に選んだ映画だったからか、好みのものではなかった。見始めて一時間が経過したところで、一度停止してスマホでその映画のタイトルを検索した。レビューを見ると、案の定あまり評価も良くない。このまま見続けたところで満足できないだろうと、別の映画を探した。だけど、どれも見る気分にはなれず、リモコンを放り投げるとサボへと手を伸ばした。
     頬を包むようにすると、サボはその上に手を重ね、甘えるように擦り寄ってくる。そうやって、自ら甘えるようにして落ち込んでいるエースを宥めようとしているのだろう。エースは甘えるのが下手だから、いちいちお手本を見せないといけない。いつしかサボはそう言っていた。だけど、同じことをエースもサボに対して思っていて、結局どちらも甘やかしているようでお互いが甘えているのだ。
     うっすらとクマが浮かんでいる目元を指の腹でそっとなぞった。
    「茶でも飲むか?」
    「珈琲がいい」
    「待ってろ」
     よいしょっとという掛け声とともに上体を起こしたエースは、サボの唇に軽く触れてからソファから離れていく。キッチンでケトルに水を注ぎ、火をつけてから一度リビングから出て行った。 
     そして、しばらくして豊潤な香りとともに二つのカップを手にソファへと戻ってくる。
     立ち上がってきた時と同じように触れるだけのキスをして、サボにカップを手渡すと、隣に座った。二度もの前触れのないキスを流石にスルーできず、サボはぱちぱち瞬いてから首を傾げた。
    「流行ってんの、それ?」
    「これから流行らす予定」
     なんだそれ、とクスリと笑って、サボは口元にカップを寄せた。
     喉が動いたのを確認してから、美味いかと訊けばサボはこくりと頷いた。
    「ほんと上手になったよな。珈琲淹れるの」
    「まあな」
    「最近外で飲むと、エースが淹れた方が美味いなって思うことが多いよ」
     そう言われてしたり顔でエースもカップに口をつけた。
     同棲を始める際に越してきたこの地で見つけたこじんまりとした喫茶店。サボはレトロで落ち着いた雰囲気の店内だけではなく、まだ歳の若いバリスタの青年が淹れる珈琲を大層気に入った。出不精のサボが珈琲を飲むためだけに珍しく何度も足を運んだくらいだ。いつの間にかバリスタの青年とも仲良くなっていて、サボにしてはこれもまた珍しかった。知り合って短期間だというのに名前を間違わずに覚えるなんて。それが余計にエースの嫉妬を煽った。
     喫茶店に通うな、あいつと仲良く話すな。そんなこと素直に言えるわけがなかった。今日も喫茶店に行ってきた、珈琲が美味しかったと楽しげに話すサボを見守るふりをして、常に嫉妬を胸に燻らせていた。だけど、好いた相手にそんな醜い嫉妬を見せたくなくて、いつだって余裕のあるかっこいい恋人でいたくて。エースはどうしたものかと頭を悩ませた。
     そして、ある考えに至った。家で美味しい珈琲が飲めるのなら、サボはわざわざあの店に行かない。そしたら青年と会うこともない。そうして、エースは珈琲の淹れ方を学ぶことにしたのだ。
     勉強は嫌いだが、そんなことは言っていられない。必要な器具を買い揃え、動画を見たり、慣れない本を読んでみたり。時にはこっそり敵である若いバリスタに教えを請うたり。そんな努力の甲斐あって、今ではサボの舌を満足させることができる珈琲を淹れることができるようになっていた。
     だからといってやはりプロの味には劣る。それでもサボが「こっちの方が何かホッとする」と言ってくれたから、これからもエースはサボのために珈琲を淹れ続けるのだろう。
     半分ほど飲み終えたサボは、カップをローテーブルの上に置いた。エースも同じようにして、カップを置き、もう一度サボの太ももに頭を預ける。サボが読みかけのまま放置していた本に手を伸ばしたところで、その手をとって自分の顔の前まで引き寄せた。何だよと不思議そうにするサボを無視し、エースがポケットの中に忍ばせていたものを取り出す。すると、サボが息を呑んだのがわかった。
     エースはふっと口元を緩めると、慎重にサボの指に指輪を通した。サボに似合うものをと半年もかけて選んだのだ。当然、よく似合っている。飾り気のないストレートラインの指輪が、サボの長くしなやかな指で白銀色の輝きを放つ。
     ――ああ、ようやく見られた。指輪を購入してから、何度想像したことか。エースから贈る永遠の愛の証を受け取ったサボの姿を。
     思わず感極まって、指輪に口付けた。なのに、サボからの反応はない。ぎゅっと口を引き結んだまま、不安定に瞳を揺らしていた。あまり喜んでいるとは言えない、戸惑いを隠せないといったその表情に、嬉しいのは自分だけなのかとエースの胸に不安が過ぎる。
    「……何もねえの?」
    「……何もって」
    「嬉しいとか、そうじゃないとか……」
    「いや、そうだな……。率直になんで今なのかなって」
    「もっとちゃんとした方がよかった?」
    「違う。そうじゃなくて、これでも悩んでたんだ。……誕生日に、もらえなくて」
     エースは目を丸くして、勢いよく起き上がる。
    「知ってたのか?」
    「ごめん。コートを借りた時に、たまたま見つけた」
    「そうか」
     もう一度ごめんと口にしたサボにエースは小さく首を振る。
    「じゃあ、もしかしてこのクマはおれのせい?」
    「……このおれが、お前のこと以外で悩むわけねえだろ」
     口を尖らせながら、そんなことを言われて、申し訳ない気持ち半分、嬉しさ半分。だけど、やっぱり嬉しさが勝って、にやけそうになる。咄嗟に口を手で覆ったが、ぎろりと睨まれてしまう。耐えきれず、ふはっと吹き出すように破顔して悪かったと指輪が光るサボの手を握った。
     ぎゅっぎゅっと握って、その存在を確かめるように指先で指輪を撫でる。
    「指輪って窮屈に思うやつもいるだろ?」
    「そうなのか?」
    「してるだけで誰かのものだって証明してるようなもんじゃん。それを窮屈だって思うやつもいるし、仕事柄だったり単純に邪魔だって思うやつもいる」
    「そうなのか」
    「おれはサボを束縛したくはねえし、サボは指輪なんか興味ねえだろうなって思ってた」
    「エースはやたらおれに自由を与えようとするけど、おれは別にお前になら縛られたって構わない。同棲する時にも言っただろ? それに指輪は確かに興味なかったけど、お前にもらえるものなら何だって嬉しい。それも毎年言ってるはずだ」
    「わかってる。わかってるけど、でも、それに……」
     ハッキリと言い切られ、エースは言葉を探すように言い淀む。次第にあーとかうーしか言えなくなってしまい、一度宙を仰いでから観念したように小さくため息をついた。そして、カップの中の残りの珈琲を喉に流し込むと、大きく深呼吸をしてからサボと向き直った。
    「悪いな。言い訳しちまったけど、ただビビってただけなんだ。いらないって言われたらって尻込みした」
    「言うわけねえだろ」
    「うん、悪かったよ。不安にさせた」
    「……許さねえ」
    「許してよ」
     懇願するように言うと、サボの手をとってエースはもう一度指輪にキスを落とす。そんな仕草にサボは一瞬言葉を詰まらせるようにして、ふいっと顔を背けた。
    「ずるい」
    「なんで?」
    「そんなことされたら許しそうになる」
     すると、エースはサボの顎に手をかけ、無理やり自分の方を向かせると、下から掬い上げるようにしてサボの唇を食んだ。そして、耳元で一等甘い声で名前を呼ぶ。
    「サボ」
    「……本当にずりい」
     長いため息を吐き出すとサボはエースの首に腕を回し、今度は自ら顔を寄せた。
    「許してほしいならちゃんとしろ」
     そう言って、サボがエースの唇に噛み付くと、エースもサボの腰を引き寄せ、口づけを深める。サボが熱い吐息を漏らしたのを合図に、エースはそのままサボの身体をソファへと押し倒した。
     首筋に顔を埋め、喉から鎖骨にかけて短いリップ音を鳴らしながら唇を落としていく。シャツのボタンを外しながらこのまま甘い雰囲気に持ち込めるかと思いきや、ちょっと待ってとサボがエースの肩を押し返した。
     気分じゃなかっただろうか。それともまだ昼間なのがいけないのか。お預けを食らったエースはむっと眉を寄せた。そんな表情にサボは困ったように眉尻を下げて、先に訊きたいことがあるからと言った。
    「なんで今?」
     サボは指輪を示しながら、先程エースが答えなかった質問を繰り返した。
     誕生日の日に渡されなかったことがどうにも引っかかるらしい。確かにサボからすると気になるだろう。誕生日に用意したであろうものを当日ではなく、何故このタイミングだったのか、と。悩むくらいなら思うままに行動するサボが眠れなくなるくらい悩んだのだ。おそらく答えが明かされるまで、この先の行為には進めない。だけど、エースとしてはあまり格好のつかない話なのでできれば口を噤んでいたかった。一応どうにか誤魔化せないかと思案するが、サボの前では無駄な抵抗だとそうそうに諦め、バツの悪そうに視線を逸らして頭をかいた。
    「……先に言っておくと、これは今回の誕生日にあわせて買ったものじゃねえ」
    「は?」
     そもそもが違うのだ。サボは自分の誕生日の直前でそれを見つけてしまったが故に、最近エースが用意したものと思い込んでいるが、この指輪は以前から用意されていて、何度も渡しそびれていたもの。尻込みしたとは告げたが、何度も、とは言っていない。いつから用意していて、何度尻込みしたかはできれば訊かないでもらいたかった。
    「何回か渡そうとしたけど、お前全然気づかねえし」
    「待て。じゃあ、この指輪いつから買ってたんだ?」
    「それは、別に……いいだろ、いつだって」
    「何でだよ。教えろよ」
    「いいんだよ。とにかく! 誕生日の時は渡さなかったんじゃねえ。渡せなかっただけだ。いいな?」
     わかった、とサボは素直に頷く。
    「で、今渡したのは、そうだな……。さっき目が覚めて、ぼーっとサボを見てたら本のページを捲る指が気になって、なんか今かなって思った」
    「それだけ?」
    「それだけ。色々考えてたけど、渡し方に拘ってたのもなんか馬鹿らしくなったわ」
     本当に大した理由はなかった。
     目が覚めた時に目にした穏やかな時間の中に佇むサボの姿に、込み上げてくるものがあった。それは幸福感の類いだろうということはわかるが言葉にはし難い感情だった。
     拘っていたシチュエーションもどうでも良く思えて、あんなに尻込みしていたのも馬鹿らしくなった。気づいたら行動していた。
     それが何故今だったのかはエースですらわからない。だけど、結果渡せたのだからこの際はそんなことどうでもよかった。
     サボは自分の手を目の前まで持っていき、まじまじと指輪を見つめている。
    「不服かよ」
     その表情から感情が読めなくて、おずおずと窺うと、指輪から視線を外したサボの丸い目がこちらを見る。その瞳がゆっくり細める様に心臓が高鳴った。サボはふるふると首を左右に振ると、口元を綻ばせ、溢れるような笑みを見せる。
    「いや、嬉しい。ありがとう、エース」
     腰を浮かせて強く抱きついてきたサボの背中を撫でながら、エースもほっと息をつく。
     外は土砂降りの雨で、楽しみにしていた花見も中止になってしまった。最悪な気分で始まった一日だったが、結果的に忘れられない最高の日になることだろう。そして、もっとより良い一日にするために、
    「そろそろ、続きしていいか?」
     ぐっと距離を詰めて、“待て”もそろそろ限界だと告げる。だけど、サボはまた何かを思い出したように、エースの肩をやんわりと押し返した。
    「明日、晴れたら出かけよう」
    「今言うことか、それ」
    「だって、この指輪がおれがお前のものだって証なら、おれだってそれが欲しい。せっかくだから、お揃いにしよう。だから、これを買った店に連れてってくれ」
     そんなことを今の雰囲気に似つかわしくない、ウキウキとした様子で言われたものだから、脱力しながらも、
    「わかったから、もう黙って」
     甘く囁いて、口を塞いだ。

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