願い事。蓮花塢の畔で泳いだのはもう何十年前のことだろうか。
その頃は、魏無羨と師姉も一緒にいてくれた。
でも、父母は温氏の討伐に遭い、師姉も不夜天で魏無羨を助けるために我が命を落とし、魏無羨も亡くなってしまった。
あれから十三年の月日が流れ、魏無羨は、何者かから献舎され蘇った。
死んだ者が蘇ったのには驚かされたが、魏無羨が選んだのは藍忘機の隣だった。
藍忘機と魏無羨は道侶となり共に人生を歩むことを決めた。
ある日のこと。
雲深不知処に所用があり、江晩吟は藍啓仁のところを訪れており、帰宅する矢先に、会いたくなかった魏無羨とばったり会う。
「江澄、もうすぐで中秋節だよね?江澄は誰と過ごすの?」
「余計なお世話だ」
中秋節は家族や大事な人と過ごすのが風習とされている。
家族がいない独り身の江晩吟にとっては耳が痛くなる話であった。
誰と過ごそうが一人で過ごそうが自分の勝手である。
なぜそこまで魏無羨はしつこく聞いてくるのだろうか。
魏無羨は藍忘機という夫が居るというのに。
「そういえばさ、中秋節のまじないで満月をみながら流れ星が流れたら会いたい人が現れるっていうのが流行っていたんだって。その時に月餅を食べていたら確率があがるって。町の人が言っていた」
魏無羨は江晩吟が雲深不知処から去って行かないように追いかけ回しながら後を付いていく。
三毒に乗って帰るようにも帰れない江晩吟。
魏無羨と江晩吟の遣り取りを寒室から出て来て覗いていたのは藍曦臣。
藍曦臣は江晩吟にみつからないように隠れて覗いていた。
藍曦臣は魏無羨にある頼み事をしていた。
きっと必ず江晩吟を迎えに行くから。
貴方と家族になって過ごしたい。
という頼み事。
江晩吟の性格上、疑心暗鬼な部分があり、今まで一人で全てをこなしてきたため、藍曦臣の願い事を受け入れてくれないかも知れない。
でも一か八かで魏無羨が聞き付けた噂話を本当に頼るしかないという思いで賭けている。
「月餅を食べながら満月と流れ星をみるのか?そんな偶然あるのか?」
「願い事が偶然になるんだから、江澄も想い人がいたら試してみて」
「あぁ…魏嬰が言うならやってみる」
江晩吟には座学生の頃から憧れていた人物がいる。手が届くはずもない相手だから諦めかけていた。
もし、その相手が、中秋節の日にその場に現れたら感無量である。
願い事か偶然か必然か。
江晩吟は魏無羨が言ったことを半信半疑にして、三毒に乗って蓮花塢へと帰っていった。
中秋節当日。
江晩吟は月餅を数個、雲夢の露店で購入して、月がよくみえる場所に居座ることにした。
満月が蓮池に反射して月光が鮮やかに映える場所で一人佇んでいる。
月餅は腹を満たす食べ物だから、少しずつ食べていく。
夜も暗くなり、満月に照らされ、星も輝いてきた。星は満月の明かりほど照らされてはいないが、個性を出しながら一つ一つが輝いてみえる。
いくつもの星が流れては消えてなくなりまた流れてくる。
満月の明かりにまけないように星も光を出して流れていく。
江晩吟は月餅を一口口にしたあと、手を組んで目を閉じてとある願い事をかけた。
沢蕪君が蓮花塢に現れてくれますようにと。
江晩吟の憧れの人は沢蕪君こと藍曦臣。
現れてくれるはずもないのに。
「江宗主、ご無沙汰しております。ようやくお会いすることができました」
暗い外から声がする。
声が次第に近付いてくる。
聞き覚えのある穏やかな優しい響きの声。
「た、沢蕪君が、藍宗主がなぜここにいらっしゃるのですか?」
思わず突然の訪問客に江晩吟は驚いて声が裏返ってしまう。
満月の明かりに照されて白が美しく映えて拱手をするのを忘れるくらいに美しかった。
「江宗主が願い事をかけたからです。私も願い事をかけていたら願いが叶ったのです」
そう言って藍曦臣は江晩吟の隣に座り、江晩吟の手を握った。
「私の願い事は必ず貴方を迎えに行きます。この先、どんな困難が訪れようとも、貴方を護り、一緒に家族となって暮らします。というのが、私の願いです」
そんな重い願いを江晩吟が受け入れるはずがないと思いながら自分の願いを伝える藍曦臣。
一緒に家族になるのは無謀なことなのだけれども。
「俺は、座学生の頃から貴方に憧れていた。恋仲にはなれないとわかっていたから何も言わなかったが、魏嬰が言ったことは半信半疑だっだか、まさか貴方が現れるとはな」
思ってもみなかった。
憧れだけで終わると思っていた感情。
江晩吟は月餅を藍曦臣に渡して一緒に食べる。
嬉しいのだ。
「あと、お願いがある。冷泉ではないが、蓮花塢の畔で一緒に泳いで欲しい。もう何十年も泳いでないからな。一緒に泳いでもらいたい」
「江宗主の願い事なら喜んでお引き受けします」
満月の月明かりが照らされる中で二人は、月餅を食べながら、笑顔を浮かべていた。