欠けた幸せの中で未来を夢見ることが、一体何の罪だというのか「ほら、佐野さんとこの」
「あぁ……可哀想にね」
家の外に出れば、こうして影でヒソヒソと言われる。それが世界で一番嫌だった。
面と向かって言えねえなら言うなよ。てか、俺はカワイソーなんかじゃねえよ。
視線をそちらへ投げ掛ければ、ビクリと肩を揺らして、ヘタクソな苦笑いを返してくるのは宇宙で一番嫌だった。
少年には両親がいなかった。最初からいなかったわけではないが、あまり記憶に両親の面影はない。それでも、強い祖父と、面と向かっては言えないが尊敬している兄がいたから、別に平気だった。
ある日、そこに1人の少女が現れた。血が半分繋がっている妹。全然笑ってくれなくて、ツンケンした態度が苦手だった。
そんな少女がある日泣いていた。揶揄われて、悔しくて、母親に置いて行かれたことを実感して。1人だけ違うのが寂しいのであれば、自分も同じになってやろうと、少年は新たな名前を自分につけた。
「マイキー」
少女が笑って呼ぶ度に、どこかが満たされるような気がした。
「ほらやっぱり……」
「変よね、親がいないからかしら」
2人で手を繋いで歩く帰り道、また影で何か言われてる。
「こんにちは」
「「こんにちは〜」」
「今帰り?兄妹で仲がいいのね」
「えへへ」
そのくせ、エマが笑って声をかければいつものヘタクソな笑顔で褒めてくる。陰口を言う人間が何を言っているのかなど、少年は大体わかっていた。
血の繋がりが半分しかない兄妹が、高学年にもなって手を繋いで歩く姿が気持ち悪かったのだろう。彼らはエマのことを、浮気をするような男と、子供を置いていくような女の間に生まれたアバズレだと思っていたのだ。決して小学生に対して考えることではないのに。
そんな奇異の目でエマを見られることを、少年はひどく嫌った。だから余計に、2人はくっついて歩くようになったし、エマが外を歩くときはひとまわりほど大きい少年のパーカーを着せられるようになった。
決して触れるな。これは、俺のだ。そう主張するように。
強さを証明するたびに、エマのために変えた自分の名を広めた。エマを1人にしないために、守るために。
「エマ」
「なに?」
「……」
「大好き、マイキー」
何も言わなくても抱きしめてくれるエマの体温に溶けてしまいたいとすら思った。
「やっぱり、あの家……」
「しっ、聞こえちゃうわよ」
モノクロに包まれた家のそばで、モノクロの人間が何か言っている。そんなことはどうでもよかった。
少年は、あの日からずっと泣きっぱなしのエマを抱きしめて、腕の中に隠した。決して1人にはしないから、ずっとそばにいるから。そう言いながら柔らかな髪を撫でると、エマは嗚咽を上げながらごめんを繰り返した。
「ごめん、ごめんね、マイキー、ごめ、」
「なんでエマが謝んだよ。いいから、好きなだけ泣け」
「ちがうの、マイキーの分、までっ、ごめん」
エマは、自分が泣くせいで少年が泣けないのだとわかっていた。誰よりもそばにいてくれたから、そばにいたから。泣いていいんだよ、そう伝えたいのに口から出る言葉はごめんばかり。うまく言葉にできないことが悔しくて、更に泣いて、少年に迷惑をかけてしまう。
そんなエマの気持ちは少年には伝わらず、少年はただ困惑しながらエマを抱きしめた。
少年は、震える自分の手を強く握りしめる。これ以上、この手から零れ落ちてしまわぬように。
「佐野さんところの、怖いわぁ」
「ちょっと、聞こえたらどうするの」
少年とエマは大きくなってもずっとそばにいた。陰口は相変わらずだが、少年は今まで以上に、周りに文句を言わせなくなった。それだけの力を得た。物理的な強さも、地位的な強さも。
「おはようございますっ」
「おはようございます、総長!」
「おはようございますマイキーくん!」
「おー」
「もうマイキー、ちゃんと挨拶返しなよ」
エマと歩いていても挨拶される。別に、されなくてもいいけれど、力を見せつけることに繋がるならどうでもよかった。
「いいよ、興味ねえし」
そう言って少年はエマの腰を抱いた。これは、俺のだ。
親はいない。
兄貴も死んだ。
他人から見たら、少年は大きく欠けていた。
幸せからひどく離れた位置にいた。
しかし、少年はそこで幸せを得た。
幸せにしたいと思った。