ついてくる。 「ストーカーされること」が依頼内容だった。
「尾行されるにあたって、何か注意事項はありますか?」
「彼女を刺激することは避けてください。話しかけるなど、接触を持とうとするのは御法度です」
依頼者は「尾行されてくれ」という言い方しかしなかったが、話を聞く限り、その内容は尾行というよりストーキングのそれであった。特徴のない顔をした男は、力のない目つきで吉田を見つめ、仕事の仔細を語る。
「七日間彼女に尾行された後、最終日の七日目に此処へ彼女を連れてきてください。あなたが此処に来れば、彼女も必ずついてくる」
依頼者と吉田のいるこの部屋は、とあるオフィスビルのコワーキングスペースだった。観葉植物のモンステラが部屋の角で生い茂り、ウォーターサーバーが設置されている。蛸がこのビルを這いずり回り調べたが、不審な点は何もなかった。なんの変哲もない、各階で様々な企業が働くただのビルだった。
「なるほど。道順やアクセスに指定は?」
「ありません。此処に来てくれさえすればいい」
「時刻は」
「正午にお願いします」
話を終えて、吉田はビルを後にする。
「蛸。暫くは俺から離れないで」
ひと言、あまり唇を動かさず、ぼそぼそと呟いた。手は両方ポケットに入れて、その中で指を曲げ手印を組んでいた。吉田は独り言の振りをし、「いま自分は一人きりである」という体(てい)で振る舞い、この仕事を受ける為に契約したマンションへと向かった。念には念を重ね、治安の良い街を選んだ。歩道が広く、街灯が多く夜も明るく、やや裕福な家族連れが多く暮らしている為に、大きな公園もある。そして日中も夜も、飼い犬の散歩やランニングをしている人間が多く出歩く。かつ、駅からは離れている静かな立地にした。電車の走る音に紛れて窓を割るのは空き巣の常套手段なので、駅が近いと"彼女"も家宅侵入のハードルが下がったと思うかもしれない。
会社を通して受けた仕事ではない。個人的に構築したルートを通して回ってきた依頼だった。故に、悪魔に関係するしないによらず、奇妙だったり危険だったりする仕事が巡ってくる。法的にはグレーゾーンだが、同時に報酬も破格となる。ヨソには頼めない話を持ってくるのだから、断られて困るのは依頼者の方だ。引き受ける側にいる吉田は単価を吊り上げ放題だった。
悪魔抜きで高い報酬が得られるというのが、吉田にとっては何よりの好条件だった。割に合う以上の金が受け取れる。日頃悪魔と戦っている身からすれば、ヤクザだの殺人だのストーカーだのを相手にするのは、リスクが皆無の状態に等しい。人間に出来る事などたかが知れている、それをよく知っている。
とはいえ、楽勝だから適当にやっときゃいいと思っている訳でもなかった。
吉田はマンションを契約するにあたり、数十件の物件を比較した。その各物件の周辺の地図を全て頭に入れた上で今のマンションを選んだし、同じマンションに契約している人間も全て調べた。
ストーキングされる一週間で"彼女"に容姿を覚えられてしまうだろうから、髪をアッシュグレーに染めたし、普段のピアスは外して代わりのピアスをじゃらじゃらとつけた。耳の形を変える為だ。更に眉にもピアスを開けた。シルバーの小さいやつだが、印象には残るだろう。身体的特徴を意図的に作り出しておけば、役を終えた後、その特徴さえ消せば簡単に別人になれる。そういう意味で、ピアスやタトゥーは便利だし、身体障害者の振りをするのも効果的だった。車椅子に乗っているとか、杖をついているとか、そうしたものはより強く相手の印象に残るし、根強いバイアスとなる。サングラスをかけて白杖を持つのも、目元を隠せるというメリットも上乗せされてとても良い。
だが、今回はストーカーに舐められては困るから、脚や目が悪い振りはしないことにした。むしろ、ガラの悪そうな男を演じるつもりだった。その為の眉ピとハイトーンの髪と、ダボダボの白Tとダボダボのカーゴパンツと、ゴツい指輪とゴツいチェーンネックレスである。そして身長も誤認させる為に、シークレットソールを仕込んだ厚底スニーカーを履いているから、今の吉田は190センチ以上の大男になっていた。駄目押しで、顔の輪郭を変える為に奥歯に詰め物も入れたし、口元の黒子も隠している。眉の形も変えた。
更に、大学に通い大学生の振りをする。大学の敷地なんていくらでも入れるし、学生の多い大学、学生の多い講義を選べば"振り"なんていくらでも出来る。他の学生に不審がられたりはするかもしれないが、不機嫌な顔をしておけば、ピアスだらけの大男には誰も話しかけてこない。広い講義室の最奥の席で携帯を弄り、講義に関係のない本を読み、後半は突っ伏して眠っていれば、何処にでもいるやる気のない大学生に見えるだろう。だから講義に必要な教科書だって、手元になくたって平気だ。財布と香水しか入ってない黒いリュックを用意しておけばいいのだ。
そういう訳で、吉田は一週間をストーキングされ、その後を無事に乗り切る為に、周到な準備を重ねているのだった。その上で「悪魔退治よりよっぽどマシ」と心の内で独りごちているのだから、やはり彼は一流である。
吉田はコンビニに入り、好きでもないリプトンのミルクティーを買って、歩きながら飲み始めた。この一週間は食べ物の嗜好も偽るつもりだから、好きなものは食べないし、日頃まるで口にしないものばかり好んで食すつもりだ。
ふと、道端に突っ立っている、橙色のカーブミラーを盗み見た。其処には既に、長い髪で顔の隠れた女がジッと立ち尽くしているのが映っていた。やはり仕事はもう始まっている。