Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    2k000ng

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 8

    2k000ng

    ☆quiet follow

    五乙でマフィアパロ

    #五乙
    fiveB

    それでは世界に喧嘩を売ってみようか。 眩くも温かな太陽が沈み、冷たい夜の帳が下りていく。街には煌々と明かりが灯り出し、聞こえてくるのは活気のある賑やかな声。そんな喧騒を避けるように、己の身長ほどあるシルバーケースを背負いながら乙骨は、人通りのない裏道を歩いていた。
     くあっと漏れ出た欠伸は立て続けの任務のせいで、心身ともに疲労困憊状態。本当ならば帰って休む予定だったが、急に呼び出してきたのは自己中心的な主だ。遠方での仕事の帰り、アジトに戻ろうとしていた矢先の出来事。端末へと入った連絡に頬がひく付き、「またか」と新幹線の中で頭を抱えたのは言うまでもない。
     乙骨が身を置く組織のボスは、自由奔放な人である。上に立つ者としては文句の付け所がないが、破天荒で非常識の塊。傍若無人な彼に周りが振り回されるのは、もはや日常茶飯事だろう。頼られていると喜ぶべきか、都合よく使われていると嘆くべきか。さすがにボス直々のお願いを断れる訳もなく、駅で待っていた構成員から受け取った仕事道具。乙骨がやるべきことはただ一つだ。
     悪と呼ばれる存在が、日向で平然と暮らす時代。嘘と真実が入り混じる世の中。会合、取引、交渉、どれをとっても裏社会での話し合いなんて言うのは、基本的に腹の探り合いである。自分たちが有利になるようにと、相手の顔色を伺う様は見ているだけで嫌悪感が湧く。力のない組織は一方的に揺さ振られ、丸め込まれるのが現実。これぞまさしく弱肉強食の世界なのだが、酷く醜い在り方だとも思う。
     関係者以外立入禁止と書かれた看板には目も暮れず、入り口を閉ざすフェンスを軽く乗り越える。営業時間を過ぎたビルは真っ暗で、不法侵入ながらも「お邪魔します」と律儀に一言。堂々と内部に入るわけにもいかず、非常階段を使って屋上まで行き、持ってきたケースを下ろした。

    「わざわざ僕が出る必要はないと思うんですけどね。あの人、絶対楽しんでる」

     人の神経を逆撫でするのが上手い恋人の顔が浮かび、何とも言えない感情が芽生えて来る。きっとまた何の前触れもなく、勢いで行動したに違いない。数日前に確認したスケジュールには、面会の約束など取り付けられてはいなかったはずだ。面倒事が嫌いなくせに、思い立ったら吉日。零れそうになる溜め息を、寸でのところで飲み込む。
     乗り気ではないにしても時間は待ってくれず、渋々ながらも準備に取り掛かる。傍から見れば怪しい箱の金具を外し、蓋を開けた先に眠っているのは黒いスナイパーライフル。久しぶりに握ったグリップの馴染み具合と、程よい重さに自然と口元が弧を描く。そのまま銃口を指定された建物へと向け、照準器を覗けば、いつもと変わらず涼しい顔をした彼の人の姿があった。その向かい側、苛立ちを露わにしているのが今回の相手だろう。
     どんな会話がなされているのかは不明だが、あの人の煽りスキルは今日も絶好調のようだ。壁に掛けられた巨大な絵画に、棚へと並べられた骨董品の数々。数億と言う価値の代物がこれから、ガラクタへと変わるかと思えば苦い笑みが浮かぶ。これと言って障害物もなく、視界は良好。射程距離はざっと見積もって、三キロくらいか。
     狙撃手を生業としている人間ですら厳しい条件でも、乙骨にとっては何も問題はない。防弾ガラスであろうと、特注の弾丸が貫く。標的は茹蛸のようになっている男の、後ろに控えている護衛。油断しているトップを狙うのは簡単だが、それは彼の意に反する。あくまでも平行線となった状況を、掻き乱す一手を投じるのが役目。こうなることを予測していて、その為に駆り出されたのかと思うと複雑な気持ちだ。
     用意した三脚の上にライフルを置き、筒先がコンクリートの淵を掠めるかどうかのところで定めた銃身。より正確に撃ち抜く為に体勢はうつ伏せで、スコープのレティクルを合わせる。静寂が支配する中、渇いた唇をひと舐め、トリガーに掛けていた人差し指を引く。
     シュパンと小切れの良い音と共に、薬莢が弾け飛ぶ。ゆっくりとターゲットが倒れ、前のめりになっていた男が狼狽えた。奇襲に慌てるなど、所詮は名ばかりの三流マフィア。自分の領域に招き入れたことで、天狗にでもなっていたのか。戦力や戦略の差は歴然、喧嘩を売った相手が悪かった。少しだけ観察のポイントを変えれば、こちらに視線を向けることなく手を振る恋人の姿が映る。

    「陽気なものですね、まったく」

     狙撃手として乙骨が動く時は、余程のことがない限り味方にも行き先を告げることはない。それにもかかわらず、気付いたあの人の勘の良さには恐れ入る。何せ殺気も敵意も、気配と言う気配はすべて消していたのだ。本人も最強と豪語しているだけあって、規格外もいいところだろう。
     役目を終えた愛銃をケースへと戻し、うーんと空に向けて伸ばした腕。深呼吸をすれば宵闇独特の空気が、肺を満たしていく。身体は空腹を訴えているも、眠気はそれを上回っている。これ自体が元々、イレギュラーな仕事だった。
     報告書は後回し、帰ったらお風呂に入って、布団にダイブ。そう心に決めて迎えを呼ぶべきか否かと考えていると、地面に置きっぱなしになっていた端末が震える。出るのに悩んだのは数秒、仕方なく通話ボタンを押す。

    『憂太、寿司食べに行こう。迎えに行くから、そこで待っててね』
    「僕に拒否権はないんですか?」
    『当然でしょ。君、何も食べないで寝るつもりだったんじゃない? ただでさえ細いんだから、ちゃんと食べないとダメだよー。あ、棘! 残党がいないかだけ確認して。それじゃあ、またあとでね』
    「……切られた。一緒に行ったのは、狗巻君だったのか。嵐みたいな人だなぁ」

     用件だけ告げられて切られた電話から、ツー、ツー、と鳴る機械音。きっちり思考を読まれていたことには落胆するしかないが、まさか先手を打たれるとは思ってもいなかった。拒否権がないのならば、甘んじて受け入れるのが利口。何より満更でもない自分がいる。誰かと食事をするのは久しぶりで、ほんの少しだけ浮かれているのは秘密だ。


    ***


     荒い息遣いと、地面を蹴る音がやけに耳に響く。闇夜を照らすはずの月は雲に覆われ、不気味にチカチカと点滅する街灯。走っている時に蹴り飛ばしたらしい石が、空っぽのゴミ箱に当たり、潜んでいた猫が飛び出してきた。ビクリと跳ね上がる肩。危うく足を止めそうになるが、躓きながらも駆ける。ここで諦めたら最後、未来なんてものはない。
     依頼された仕事を失敗するなど、男は思ってもいなかった。相手が一枚も二枚も上手だったのか、己の実力不足か。どちらにしても運に見放されている。裏社会に足を踏み入れて十数年、肝だけは据わっている方だろう。
     チラリと見えた敵の顔は未だ幼さがあって、若造からなど逃げ切れると高を括っていたのは事実。現場から距離が開いたことを確認し、壁に背を預けながら息を吐く。ここまでくれば大丈夫と安堵したのも束の間、ゾワリと背筋を悪寒が走る。

    「鬼ごっこはおしまいですか?」

     透き通るように凛とした声。薄暗いネオンの明かりの下、どこからともなく現れた真っ黒なスーツに身を包む男に喉を鳴らす。日に焼けていない肌の白さは暗闇でもはっきりとわかり、中性的な容姿が何故だか恐怖を際立出せる。光を宿さない双黒に捕らえられれば、身動き一つ取れなくなった。
     この業界に年齢なんてものは関係ないが、相手は明らかに未成年だろう。それにもかかわらずひしひしと伝わってくる威圧感に、至る所から脂汗が滲む。この子供を前にするとガチガチと歯が鳴り、発狂しそうになるのが不思議だ。それだけ格が違うと言うことか。

    「鬼ごっこ? なんの話だ」

     平然を装いながらも、こんなところで屈していられないと意地を張る。欺けたならば僥倖、叶わなければ強硬手段に出ればいい。男は暗殺者としてその界隈でも、ちょっとした有名人である。百戦錬磨とはいかなくとも、任務の成功率は悪くないと自負していた。
     そのプライドを、ことごとく打ち砕いたのは目の前の少年。死角からスナイパーライフルを構え、彼のボスを撃ち抜こうと引き金に指を掛けた直後、まるでこちらの居場所がわかっているような視線を感じたのだ。本来ならばあり得ないことだが、稀に鋭い人間がいると言うのは噂で聞いたことがある。
     おかげで一刻も早く、引き上げるしかなかった。獲物を狙う側のはずなのに、狙われていると言うのがこれほどまで伝わってくることがあるだろうか。三大マフィアが一つ、エメラルドミストに仕掛けたからには絶対的に許されなかった失態。佇んだままの少年の動向を伺いながら、針の穴のような抜け道を探す。

    「どこの組織からの依頼ですか? うちのボスは人気者で困っちゃいますね」
    「君は訳のわからないことを言うんだな。依頼、とは? 私はたまたまここを通りがかっただけだよ」
    「おや? 僕の見立ては外れ、と言うことですか?」
    「こんな時間だ。裏の人間がうろついていてもおかしくはないだろう。ここはそう言う国だからね。妙な言いがかりはやめてもらいたい。もっとも別の仕事で、ヘマをした私が言うのもおかしな話だが」

     あくまでも自分に落ち度があったことは認めておく。そうすれば呼吸を乱している理由にもなるだろう。冷静になって見れば見るほど少年には隙だらけで、簡単に撒けてしまうのではないのかと言う錯覚に陥る。掴みどころのないような、どこか穏やかな雰囲気。先ほど感じた殺気や異質さは、気のせいだと思うほどに男の認識は緩んでいた。
     こんな好機はないと、踏み出した一歩。刹那、息の仕方を忘れそうなほどのプレッシャーが襲ってくる。呆れたように零された溜め息と、スローモーションのようにゆっくりと近付いてくる少年。遠目で見た通りの細身な体躯に、幼さを残した顔がこの場には不釣り合いだ。
     握られている日本刀は彼の得物で、ライフルしか持ち合わせていない自分との相性は悪い。刃を抜かれると同時に、武器を投げ捨てて走り出すか。そんな計画も空しく、男の身体は地面へと崩れ落ちる。何が起こったのかも理解出来ないまま、ジワリと広がる赤。やっとのことで見上げた先には、いつの間にか抜かれていた刀身が目に入った。
     人間離れした神業。一連の動作が見えないほど静かで速い。気を抜いたつもりもないのに、太刀打ち出来るとは思えなかった。ドクドクと鼓動が脈を打ち、鉄錆のニオイが鼻に付く。こんなのは目を付けられた時点で、負けが決まっているようなものじゃないか。

    「残念ながら、僕が見誤ることはありません。隠れていたつもりでしょうが、気配もちゃんと消さなければ意味がないですよ。エメラルドミストを舐めて貰っては困ります」
    「なっ、あ、あ……わ、私はッ!」
    「今さら理由などどうでもいいことですが、あの人は絶対に撃たれませんよ? だって、最強ですから」

     綺麗に微笑む少年に、己が犯した過ちを知る。感情が読み取れない双眸の冷たさと、失われていく血にぶるりと身体が震えた。何もかもが筒抜けで、初めからすべて仕組まれていたのだ。あの時、躊躇わずに引き金を引いていたとしても、ターゲットを撃ち抜くことは出来なかっただろう。
     マフィア界の異端児――五条悟。彼がトップに君臨するエメラルドミストは、裏社会を掻き乱す。そんな組織に盾突くこと自体、愚かだったと言うことか。遠退く意識の中、男に投げかけられたのは皮肉めいた言葉だった。

     ――後悔は地獄でどうぞ。

    ***

     執務室で書類の整理をしていた乙骨の元に、勢いよく訪ねて来た五条を見た瞬間、嫌な予感がしたのは彼の性格を知っているからか。半ば引き摺られるように交渉先へと連れて行かれ、外から感じた殺気に牽制したのは無意識。刺客が送り込まれるのは珍しくもないが、二人きりで出かけた時に限って碌でもないことが起こる。「いってらっしゃい」と背中を押す五条の、ニマニマとした表情。まるでこうなることを予想していたとばかりの口振りには、怒りを通り越して項垂れそうになった。
     相手の話に耳を傾けるつもりもないくせに、わざわざ足を運ぶのは暇潰しか。組織のトップが一人で出歩くなど考えられないことだが、五条に常識は通じない。何せ卒なく全てをこなしてしまうほど器用な人だ。ありとあらゆる武器や体術を嗜んでいて、乙骨にとっては武道の師匠。周りに有無を言わせない強さを誇るがゆえに、右を見ても左を見ても敵だらけ、同業者たちから煙たがられるのも無理はない。
     事切れた相手を一瞥し、刃に付いた血をさっと薙ぎ払う。五条の掌の上で踊らされているのは面白くないが、危険因子を放っておくのは論外。指示されたのだって結局、邪魔者は排除すべきだと判断したからだろう。
     会話の内容からして敵は、上手く誤魔化せているとでも思っていたのか。一部始終を知る人間からすれば、実に滑稽な姿だった。騙し、騙されるのが当たり前の世界。気弱そうだと言われる己の見た目と、培った処世術を利用し、相手に一抹の希望を抱かせるのは乙骨にとって容易いことだ。罪悪感などなければ、躊躇いも迷いもない。この手はとっくに、罪の色に染まっている。
     歴史と由緒ある一族が、秩序を守っていたのは遠い過去。善と悪が入り混じる今のこの国の均衡を、保っているのは三大マフィアだ。血統に重きを置く、シャーリーテンプル。力に拘りを持つ、キールロワイヤル。そして謎多き、エメラルドミスト。普通でありながらも、普通ではないのが日常。マフィアと言う存在は非現実的なものではない。狂っているのは人か、はたまたこの世か。自分には関係のないことだ、と思いながらも後処理の連絡を入れた。

    「本当、うちのボスは人使いが荒いんですから。狙われているのがわかってるのに、泳がせるなんて意地も悪い」
    「おっと、それは聞き捨てならないセリフだなぁ。せっかく憂太のことを迎えに来たのに」
    「ずっと近くで見てたくせに。それにボスに対して不満がない人間は、うちのファミリーにはいませんよ」
    「辛辣ぅ……そんな風に育てた覚えはないんだけど? 憂太さぁ、年々口悪くなってない? いや、神経図太くなってるよね?」
    「気のせいじゃないですか? 扱かれはしましたが、育てられた覚えはないです」
    「ほら、そう言うとこ! 来たばっかの頃は、モジモジしてて可愛かったのになぁ」

     先方に行く前から緩められていたネクタイは変わらず、棒付きの飴を咥えながら歩み寄って来たのは、エメラルドミストのボスである五条だ。一際目立つ高い身長に、光の加減で色を変える人間離れした瞳。それを隠す為のサングラスは胸ポケットの中、惜しみなく乙骨に星空のような視線が降り注ぐ。
     他人の恥ずかしい過去を、掘り返すのは止めて欲しい。不満だと唇を尖らせれば、目尻を下げて笑いながらご苦労様と撫でられた頭。思ってもいなかった反応に、驚きから瞬きを繰り返す。人のぬくもりを長らく忘れていた乙骨にとって、五条から与えられる優しさと甘さは少しばかり歯痒い。早々に慣れるものでもなく、手放しに享受していいのかわからなくて困る。
     そんなこともあって対応に考えあぐねていると、不意に抱き締められた。ドキドキと高鳴る胸がうるさい。腕を突っぱねようとしたところでびくともせず、堪らず別に話題で気を紛らわす。

    「ボ、ボス。取引はどうしたんですか?」
    「んー。そんなの破棄に、決まってんじゃん。始末屋雇っといて、うちと手を組みたいなんて虫の良い話はないよねぇ。きっちり潰してきたから、心配いらないよ」
    「心配しかないんですけど。主に伊地知さんの心労が……」
    「伊地知なら大丈夫! それよりも、憂太。これから僕とデートに行かない?」

     五条を見上げれば怪しげな笑みを浮かべていて、暴力的な色気にくらりと眩暈がする。ふわりと鼻を掠める甘い香りにすらも、惑わされてしまいそうだ。おまけに引き込まれそうなほど綺麗な双眸は、乙骨の拒絶を許さない。
     流されまいと噛み締めた奥歯。見つめ返せば、「へぇ」と満足そうに飴が砕かれる。駆け引きと言うわけではないが、どうも言い方が気に食わなかった。

    「ボスにしては回りくどい誘い方ですね。で、その真意は?」
    「僕と一緒に鬼退治に行こう」
    「鬼退治って……粛清の間違いでは?」
    「似たようなもんでしょ。ちょっと前からウロチョロされて、目障りだったんだよね」
    「僕、一仕事終えたばかりなんですが」
    「奇遇だね。僕もちょうど、終わったところだ。ねぇ、憂太。次の休み、棘たちと遊びに行って来ていいからさ」
    「わかりました。ボスに着いて行きましょう」
    「君のその決断力、嫌いじゃないよぉ……その代わり帰ったら、僕と過ごしてよね」
    「それもまぁ、いい、ですよ」

     気分を良くしたのか、額に口付けが落とされ頬へと熱が集まっていく。ここが外だろうがこの人にとって、場所などお構いなしだ。付き合う前から五条の行動は読めず、振り回されてばかりである。
     心も体も全部欲しい、だなんて言われて一年。キス止まりの清い付き合いは、五条なりのケジメらしい。本人曰く二十歳にもなっていない子供に、手を出すわけにはいかないのだとか。そのくせじわじわと、煽ってくるのだから性質が悪い。腰を弄るような手付きも、余裕そうな表情も腹が立つ。
     仕返しとばかりに背伸びをして、唇を重ねれば大きく見開かれた目。そのまま反らそうとした顔は顎を掴まれ、無理矢理正面を向かされた。

    「憂太ぁ、大人を揶揄うもんじゃないよ? 僕がどれだけ我慢してると思ってるの。痛い目見るのは君だからな?」
    「勝手に誓約を付けたのは悟さんです」
    「ハハッ。本当、君って子は……ねぇ、どうされたいの? ぐちゃぐちゃにされたい? 泣いてもやめてやれねぇよ?」

     仕事中にもかかわらず、私情を持ち込んだのは乙骨だ。ほんのちょっとした出来心、だがそれは逆効果だったらしい。言葉の意味は理解していて、五条から向けられるギラつく眼差しに息を呑む。恐怖なんてものを感じたことはしばらくないが、この人を前にすると足が竦む時があった。それがまさに今で、思いもよらぬ事態に背中を嫌な汗が伝っていく。

    「あ、え……」
    「なぁんて、ね。煽るのはいいけど、後先考えないとダメだよ? 僕、これでもかなり我慢してるんだから。でも憂太には色んなことを学んでほしいし、見て欲しいから縛り付けたくないの」
    「っ……ズルい。僕が悪いみたいじゃないですか……」
    「憂太が悪いんだよ。さて、この話は仕事が終わってから。楽しいデートといきますか」

     戸惑っていれば額を弾かれ、クククと喉を鳴らして五条が笑う。また遊ばれた、と膨らませた頬。言い負かしてやるつもりが、返り討ちに遭うなんて悔しい。口笛を吹きながら、先を行く五条の後ろ姿に握り締めた拳。どうやったら彼の、意表を突くことが出来るだろうか。佇んでいれば「早くおいで」と声を掛けられ、モヤモヤした気持ちのまま地面を蹴り付けた。


    ***


    「憂太、今日からアンダーボスね」
    「はい?」

     鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をする憂太の手から、大量の紙の束が流れ落ちた。応接用のテーブルで報告書を見ていた傑が、肩を竦めながら笑いを堪えている。理解が追い付かないと言わんばかりに、眉間へと寄せられていく皺。反応は想像通り、もちろん冗談でもドッキリでもない。
     青い空には夏らしい入道雲が浮かび、茹だるような暑さが続く毎日。屋敷があるのは緑に囲まれた長閑な場所で、たまに自分の立場を忘れそうになる。けれどそれも一刻にしか過ぎず、憂太を呼び出したのは他の組織の動向も踏まえ、頃合いだと思ったからだ。
     恋人贔屓なんてことはなく、彼の実力を考慮しての采配。遅かれ早かれこの子が、己の隣に来るのは決定事項だった。敵を前にしても物怖じしない性格と、命のやり取りに対する容赦のなさに的確な判断。人畜無害そうな容姿をしているくせに、立ち回り方は大胆なものだろう。ファミリー内でも憂太の評判は良く、五条の独断であろうと満場一致も同然。納得しないのは謙虚な本人くらいか。

    「もう一回言う? 憂太、今日からエメラルドミストのアンダーボスね」
    「いやいや! 何言ってるんですか! 僕、ここに来てまだ一年も経ってないんですよ」
    「そんなの関係ないよ。だって憂太、僕の次に強いもん」
    「夏油さんの方が強いです! それなのに、なんでっ」
    「私はコンシリエーレだからね。それに君、この前の訓練で私に一本入れたじゃないか」
    「マジ? それ初耳なんだけど!」

     信じられないと憂太の瞳が揺らぐ。戦いでは見せないような表情に、やれやれと息を吐いた。傑との手合わせの件には素直に驚いたが、飲み込みの早い子だ。エメラルドミストに来てまだ日が浅いとは言え、バトルセンスは群を抜いている。あと一押し、椅子の背に持たれながら口説き文句を考えていれば、五条の意を酌む傑が助け舟を出してくれた。

    「いいじゃないか、乙骨。悟を支えてやりなよ。元々アンダーボスなんて作るつもりはなかったんだ。わざわざその座を用意した意味が、君ならわかるだろう?」
    「その言い方、ズルいです」

     噛み締められた唇に、伏せられた視線。聡い子だからこそ、傑の言葉を理解したはずだ。なぜ今なのか、なぜ必要なのか。五条がトップに立ってから、エメラルドミストにアンダーボスを置いたことはない。頭の固い連中を追い出した後で暇がなかったのは然り、最たる理由は自分に並べるほどの人間がいなかったに尽きる。ただし腹心がいないと言うのは、マフィア界では異例でもあった。
     コンシリエーレを辞めるつもりはないと言った傑は論外。半ば無理矢理引き込んだ旧友たちには首を振られ、頼みの若い子たちは成長途中。そんなところに現れたのが憂太で、スラム街で出会ったのは、運命だったのかもしれない。生きる為にと磨かれた戦闘術に、年相応の子供たちよりも大人びた思考。手を差し伸ばしたのは五条だが、選んだのは憂太だ。
     茶番劇に付き合うのはここまで、体を起こして机に肘を付き、ニィと引き上げた口角。葛藤があったとしても、心は決まっているのだろう。勘の良い彼だからこそ、簡単に頷く物ではないと察したか。そんな相手の腹の内などお構いなし、直球に答えを促す。

    「返事は、“はい”か“イエス”。さぁ、憂太、君の覚悟を聞かせてくれるかな?」
    「……はぁ、もう。僕でよければ、お引き受けいたしますよ。それがボスの望みならば」

     顔を上げた憂太の眼差しには迷いがなく、意志の強さには感心してしまう。だからこの子でなければ駄目なのだ。ようやく準備は整った、と歓喜に震えたのが一年前。月日が流れるのは早いもので、憂太の噂は瞬く間に広がり、巷ではエメラルドミストの最強に次ぐ奇才なんて言われている。
     それもこれも五条が、直に鍛えたのだから当然。鼻が高いと自画自賛していれば、不機嫌を丸出しにした憂太と目が合う。

    「デート中に考え事なんて余裕ですね」
    「メンゴ、メンゴ。憂太の無双っぷりに魅入っちゃった」

     懐かしいと言ってもそう古くない記憶に、思い耽っていたのは良くなかったか。見惚れていたのはあながち間違いではない。五条の脇腹スレスレを掠めるように、後ろにいた敵へと突き立てられた刃。間髪置かず襲い掛かって来た相手が、華麗に薙ぎ倒されていく。構えられた銃を蹴り飛ばし、繰り出されるのは強烈な一撃。軽い身のこなしと、予測の出来ない太刀筋は圧巻だ。
     連絡も入れず訪ねた割にすんなりと招かれたのは、たかが二人と侮っていたからか。ほんの少し揺さ振りを掛けただけで、敵意を剥き出しにするなど幼稚にも程があるのでは。おかげで面倒な駆け引きをせずに済んだわけだが、所詮は口先だけの三流マフィア。エメラルドミストの周囲を嗅ぎ回っていたのは、どこかの差し金だろう。
     大元を探すのはまた今度。潰したのが末端とは言え、多少の牽制くらいにはなるはずだ。人の気配が消えたのを確認し、ひと息。感情が削ぎ落ちていた憂太の顔にも、徐々に色が戻っていく。その様子を眺めていれば、不意に「悟さん」と名前を呼ばれて目を瞬かせた。

    「後悔、してるんですか?」
    「何が?」
    「僕を拾ったこと」
    「どうしてそう思ったの?」
    「雰囲気、ですかね」

     突然の問いに、ドクンと鼓動が脈を打つ。態度や口調に出したつもりはないが、鋭いと言わざるを得ないか。たまにこの子の発言は、確信を突いてくるから驚く。おまけに下手な誤魔化しも効かないから参った。言葉にはしなくとも、捨てられるのが怖いのかもしれない。自然と防戦を張って、自分が傷つかないようにしているのだと思う。
     強いくせに繊細で、弱い一面を見せようとしない可愛い子。手放すつもりはさらさらないが、あからさまに好意を向けたところで、鈍い憂太にはきっと伝わらない。恋人になっても変わらず、愛されている自覚を持って欲しいものだ。ちょっぴり気難しい彼に、どうやって本音を告げるべきか。悩みながらも数メートルほど後ろにいた憂太の元へ、ゆっくりと距離を縮めていく。

    「後悔と言うか、奪っちゃったかなぁって」
    「何をですか?」
    「憂太の未来。こんな薄汚い世界にいなきゃ、もっと別の生き方もあっただろうしさ」
    「ああ、なるほど。それなら手遅れでしょう。悟さんと会った時にはもう、僕の手は真っ赤に染まってましたから。今さら堂々とお日様の下で、生きようとは思っていませんよ」

     潔いと言うべきか、欲がないと言うべきか。憂太は組織にいる同年代の子たちと違って、物分かりが良すぎる。育った環境が特殊だったにしても、もう少しくらい我儘になってもいいだろう。むむむと唸っていれば、コテンと傾げられた首。「可愛いけど、ちっがーう!」と言う叫びはグッと堪えた。

    「はぁぁぁ……もうちょっとさ、夢持とうよ」
    「夢、ですか?」
    「そ。何かしたいとか、どっかに行きたいとかさぁ。うちのファミリーは基本自由なんだし、好き勝手やっていいんだよ? 問題さえ起こさなければ」
    「うーん……浮かばないですね」

     五条の説得も空しく、開いた口が塞がらなくなる。初めて会った時よりも、垣間見えるようになった喜怒哀楽。それでも染み付いた習慣や、考え方を変えるのは難しい。とりあえず傍にいる子たちを見習わせるべきか。と思う反面、些か厄介な顔触れだと苦い笑みが浮かぶ。

    「憂太は欲望に忠実な、悠仁や野薔薇を見習った方がいいよ。恵と真希みたいに嫌なことは、ハッキリ言っていいし。棘のように適当でも構わない。真面目過ぎて、疲れない?」
    「もう慣れっこと言うか、これが普通と言うか。もちろん本当に嫌なことは拒否しますし、やりたいことはやりますよ。ああ、譲れない物なら一つだけあります」
    「なぁに?」
    「地獄まで、悟さんに付いて行くことです」

     おっと、これはまた想定外の展開だ。呆けたのは一瞬、口元を覆いながら喉を鳴らす。愛を囁くよりも重みがあって、五条からすれば最大級の誓い。遠回しな約束よりも、ずっと効果的である。意識しているのか、無意識なのか。憂太の凛々しさには完敗だろう。
     告白した時のキョトンとした顔が、真っ赤に染まっていく姿は実に初々しかった。慣れていないと恥じらわれ、意外な一面を見た気がする。自分だけの一方通行だとは思っていなかったと言えば、自意識過剰だと幻滅されるか。憂太の性格からして、五条が行動を起こさなければ有耶無耶にされていたかもしれない。己の願望に忠実に生きてこそ、欲しい物を手に入れるのがマフィアだ。

    「っ、ははは……最高じゃん。憂太ってば、わかってるねぇ。後戻りできないんだよ?」
    「この期に及んでまだ言いますか? 勝手にアンダーボスなんて押し付けたのはどこの誰です?」
    「引き留める為ならなんでもするさ。愛しい子に逃げられたくないからね」
    「その時点で僕に、選択肢がないのでは? でもまぁ、悟さんに手を伸ばされた時から、僕の未来は貴方のモノですよ」

     誰かを好きになる日が来るなんて思ってもいなかった。ましてや相手は十歳以上も離れた年下なのだから、友人たちに白い目で見られもする。それでも譲れなかったのは五条の意地か。惚れた弱みなんてことも無きにしも非ずだ。
     独りよがりだったら寂しいと思っていた。その時はどんな手を使ってでも振り向かせてやろうと考えていたのは秘密。すべては五条の杞憂で、随分と信頼されているらしい。緩む頬を隠すことなく、憂太との距離を詰める。

    「嬉しい限りだね。じゃあ手始めに、世界に喧嘩を売りにいこうか」
    「悟さんとならばどこまでも」

    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💴💴💴💖❤🙏💴
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    2k000ng

    DONE一日遅れたのですが、呪0地上波放送記念で!
    WEBオンリーで発行した「揺蕩う白銀」の一章部分を少し削って、これだけでも読みやすいようにしてみました。(本編に関わりありそうなとこ消してます)
    揺蕩う白銀「憂太の事が好きだよ」

     雪が解けてもまだ、肌寒さの残る季節。桜の木にようやく、蕾が見え始めた頃。呪術高専に来て二度目の春が、もうすぐ傍まで迫っていた時だ。
    校門の前で出迎えてくれた五条に、開口一番に告げられた言葉。理解が追い付かず、踏み出そうとした足が止まる。肩からずり落ちかけた刀袋の紐を握り締め、「えぇぇ」と心の中で叫ぶ。
     特級と言う未知の領域に踏み入れて早々、次から次へと与えられる任務に呪術界の闇を見た。里香がいた時とは違って、己の意思と力で上り詰めた場所。決して楽な道のりではなかったが、その後の洗礼も無茶苦茶なものだ。
     北から南、西に東へ。呪いが出現すれば、駆り出される日々。五条が毎日のように、不満を漏らすのも無理はないか。低級の呪霊だろうとお構いなし、どんなことが起ころうとも一人で事足りるのが特級呪術師である。そのおかげでさんざん振り回され、三日ぶりに帰って来た乙骨には刺激が強すぎた。
    12898

    2k000ng

    DONE呪霊退治したり、呪力譲渡したりするお話。五条にとっての乙骨とは。
    ※付き合ってはいないので、五乙未満みたいな感じです。
    切り札は手の中に 内気なタイプであることは自覚していた。否、里香を失う前までは至って普通の、活発な子供だったと思う。肺炎をこじらせて入院したこともあるけれど、外で遊ぶのが大好きな男の子。病院であの子と出会ったのは、運命だったのかもしれない。なんて、あの時は考えもしていなかったが。一緒に居られるのが楽しくて、嬉しくて、こんな日々がずっと続くと思っていた。
     突如として襲った受け入れ難い現実が、自然と心を閉ざすきっかけとなってしまったのかもしれない。学校と言う小さな社会にすら馴染めず、周りと壁を作ったのは己の意思。幼い乙骨が背負ったのは、手に余る強大な力だ。
     激しく雨粒が窓を叩く音と、教室内に漂う鉄錆のニオイ。気弱だった自分は、嗜虐性を持つ人間にとって恰好の的だったのだろう。恍惚とした表情を浮かべながら詰め寄られ、恐怖を抱いたが最後。乙骨の制止も空しく、同級生を掴んだのは人ならざる手。下劣な笑い声は途絶え、悲鳴が掻き消されていく。そこからの記憶は曖昧で、ただただ壊れた機械のように謝っていた気がする。
    11240

    related works

    ne_kotuki

    DONE生まれた時から親戚付き合いがあってはちゃめちゃ可愛いがられていた設定の現パロ。人気俳優×普通のDK。

    以下注意。
    ・捏造しかありません。
    ・乙パパ視点。
    ・ママと妹ちゃんとパパの同僚という名のもぶがめちゃ出歯ります、しゃべります。
    ・五乙と言いながら五さんも乙くんも直接的には出てきません。サトノレおにーさんとちびゆたくんのエピのが多いかも。
    ・意図的に過去作と二重写しにしているところがあります。
    とんとん拍子も困りものもう少し、猶予期間を下さい。


    ◆◆


    「横暴すぎるだろくそ姉貴ぃ……」

    待ちに待った昼休み。
    わくわくと胸を踊らせながら、弁当箱の蓋を開いた。玉子焼きにウインナー、ハンバーグにぴりっとアクセントのあるきんぴらごぼう。そして、彩りにプチトマトとレタス。これぞお弁当!なおかずが、ところ狭しとぎゅうぎゅうに詰められていた。
    配置のバランスの悪さと、焦げてしまっているおかずの多さにくすりと口元を綻ばせる。タコもどきにすらなっていないタコさんウインナーが、堪らなく愛おしい。
    妻の指導の元、おたおたと覚束ない手つきで奮闘していた後ろ姿を思い出し、食べてもいないのに頬が落ちてしまう。

    「ゆーちゃんの『初』手作りお弁当。いただきま……」
    16678

    recommended works

    yuino8na

    MOURNING自分が書きたかっただけの、半獣人(獣族)なごじょさとる。
    適当設定。半獣人な五と人間の乙。
    本当に自分が好きな設定を詰め込んだだけです。気が向けば続きます。
    ・呪術とか呪霊とか一切出てきません
    ・乙は成人してます
    ・里香と同棲していました(里香自身は出てきません)
    ・キャラいろいろ崩壊しています
    ・自分の書きたい設定を自由に詰め込んでいます。やりたい放題です
    空に誓い 今一番不幸なのは自分なのでは。そんな感覚に襲われる日がある。

     乙骨憂太にとってはこの一週間がそんな日々だった。
     幼い頃に両親を亡くし、頼れる身内もなく施設で育った。そこで出会った女の子と恋をして、ずっと一緒に過ごした。幼いおままごとのように思われていた恋も、五年十年と続けば結婚という恋のその先も見えてきた。
     週末には式場の見学に行こう。そんなこれからの話をした翌日、最愛の婚約者であった折本里香を事故で亡くした。
     葬儀や身の回りでしばらく仕事も休んだが、それでも生きている以上仕事には行かなければならない。一週間ほど休みを取って久しぶりに仕事に行くと、上司から「帰って休め」と言われてしまった。
     なんでもいいからなにか食べて寝ろ、と言われてそういえば最後に食事をとったのはいつだろうかとぼんやり考えたが、思い出せない。食べるのも眠るのも生きるために必要な行為だ。それを自分からする気にならなかったことは、なんとなく覚えている。
    5170