命根 ─いね─ 腹が減った。オレが家族と“最期の”別れをして2日後のことだった。
越してきたばかり、布団すら用意していないがらんどうのアパートに食いモンなんて置いているはずがない。空腹を覚えた途端まともに力も入らなくなった四肢を無理やり動かしてどうにか辿り着いたコンビニの明るさは、めまいを引き起こすほどだった。白熱灯に照らされた棚からひとつ、商品を引っ掴む。何を取ったのかも分からぬままに会計を済ませ、聞き慣れた入退店のメロディを聞いたときに初めていつも買うはずのタバコを頼んでいないことに気が付いた。苛立ちのままポケットの中に入ったままの空箱を握りつぶす。
とにかく飯が食いたかった。
2日ぶりの飯は梅握りだった。今までだって何度も食ったことがある。むしろこのコンビニの握り飯はオレの好みじゃない。
にもかかわらず、乾いた海苔の歯応えも、冷えた米の無機質な甘みも、味蕾を刺す梅の酸味も、今まで食った飯の中で1番美味かった。
飯を食うことは生きることだ。2日前に死んだオレはこの時初めて、生まれ変わった。
目の前にはタッパーに入った3つの握り飯。
乗車してからまだ10分も経っていない午前11時15分、ちゃっかり窓際の席を確保した暁人は手に下げていた紙袋の中からタッパーを2つ取り出して、オレの席の簡易テーブルに1つ置いた。もう1つは自分の前に置き、間をおかず蓋を開けて小さく「いただきます」と手を合わせる。
片道3時間の長旅だ。さっき寄った店できっちり2人分買った駅弁が頭に過ぎる。若いコイツは心配ないのかもしれないが、近頃ますます胃腸のむかつきを覚えるようになってきたオレにとっては想像を絶する苦難でしかない。
「食べないの?」
ラップを半分剥がした握り飯に齧り付きながら暁人がさも不思議そうに聞いてくる。海苔は米の形ご分かるほどに張り付いて見るからに湿っている。
不意に思い出したのは、数年前の出来事だった。今回は行けるぞと約束したはずの運動会の日、夜中に帰ってきた時に生ゴミに捨てられていた握り飯の海苔も確かこんな風貌をしていた。何も言わずタッパーへと視線を落とすオレに、暁人の怪訝そうな視線が刺さる。
「あとでもいいけど」
「いや、食う」
腹の具合は五分といったところだ。今すぐ食いたいわけでもなかったはずだが、すでに手はタッパーに伸びている。満足そうに目尻を下げた暁人の手前、やっぱりあとでと言うこともできない。とはいえ1つくらいなら何ら問題はないだろう。
正三角形のそれを取り、ラップを剥がす。簡単な自炊をしているとはいえ、男が握るにしては綺麗な形をしている。確かにデカいし想像以上に重かったが、形は見惚れるほどに見事だった。
三角形の頂点を齧る。しばらく咀嚼してから飲み込み、もう一口。湿った海苔は食い千切りにくかったし、入れられていた梅は思ったよりも酸味があった。
「KK何その顔、そんなに酸っぱかった?」
「うるせえ」
オレの顔を見てからかうように笑う暁人は早々に2つめを頬張っている。だが咀嚼し出した顎はすぐに動きを止め、次の瞬間には顔が中心に寄った。
「酸っぱかったなぁ、暁人くんよ」
笑ったオレを暁人は開ききらない目で睨んだ。
この日食った梅握りは、いつか食った梅握りよりも美味かった気がする。