恋より淡い 校庭の木々の葉はすっかり落ちて、いかにも「冬が来ました」という様相をしていた。重く沈んだ厚ぼったい雲は今にも雪が降り出しそうで、頬を撫でる空気はひどく冷たい。
期末テストを終えたあとの終業式までを待つ期間というのは、すぐそこまでやってきている冬休みに気を取られ、心がそわそわして落ち着かなかった。
「――なに見てるんだ?」
教室の窓から校庭を見下ろしていると、後ろから声を掛けられた。振り向かなくても声で誰か分かった。べつに、と一言短く言ってあしらうも、あたるにのしかかるコースケは意に介さない。
「…あ、面堂のやつじゃねえか」
校庭の中央には見える面堂の姿を目敏く捉え、やたらと姿勢の良いぴんと伸びた清潔な背中を顎でしゃくる。誰と話してるんだ、などと独り言を呟きつつ、あたるの肩にのしかかるようにして窓の桟に手を掛けている。そのまま窓の外の方へと身を乗り出すので危なっかしいたらありゃしなかったが、落ちたら落ちたときだ。
「…あの子、おれが最初に可愛いと思ったのに」
「え?」
ぶすくれたように頬杖をつき、「一年の転校生じゃ」と言い返す。「そういや、先週そんな噂があったなぁ」なんて言いながらコースケが目を眇めたので相槌で返した。
「たしかに、可愛い」
あたるの肩を支えに使い、眉あたりで手をかざしたりなんかして、さながら航海士だ。転校生はショートカットが似合う人懐こい女の子だった。もちろんあたるも転校初日に声を掛けていた。にべもなくあしらわれたのは、この際黙っておくけれど。
「お、なんだか良い雰囲気だぞ」
あたるの気持ちを知ってか知らずか、コースケは鷹揚に笑う。
「…ほお、そうかい」
「わ、あいつ肩に手を掛けやがった」
「…いちいち実況せんでええわい」
「だあって、どうせみじめな気持ちになるんなら、とことん楽しんでやらんとな」
案外、肝の据わったこの男はからからと笑いながら、それよか珍しいな、と平然といった素振りで続けた。なんの話じゃ、と聞き返そうとした瞬間に、お前がすっ飛んでいかないなんて、て言われた。
「ん?」
「いや、だから、女の子を前にして、お前がすっ飛んでいかないなんて珍しいなって言ったんだよ」
心境の変化か、なんて含みのある物言いで聞いて寄越すので、は、と乾いた息が心のなかだけで漏れた。心境の変化なんてとんでもない。ただ単に、気付いてしまっただけだ。おれが呼べば、来るってことに。
どこにいたって、呼べば来るだろ。商店街の片隅だろうと、空き教室だろうと、部屋でのんびり過ごしてる時だろうと。雨の日だって雪の日だって。心が翳ってしまうような悲しい日でも、幸せに蕩けそうな嬉しい日でも。おれが呼べば、おまえは来るだろう。
それがたとえば、揶揄りでも軽口でも百年に一度くらいしか見せないような甘ったるい空気のやつでも、あたるの声や言葉に反応を示す。その根底にある感情はなにか、憎しみか、はたまた愛情か。自惚れか、もういっそ、親心か。伸びてくる全ての感情と熱量を込めたベクトルを、あたるは受けて躱す器量はあれど、受けとめる気概はない。でも、離れていくなよ、と我儘に思う。体は重ねるくせに、互いにはかりかねているこの感情。
「…あほ」
寒空の下にいる後輩の女の子と面堂を眺めながら、そう一言呟いた。一度くちにしてしまえば、軽口の類はするりとあたるの舌の上を滑っていく。あほ、あほ、ばか、面堂のばか、ばか、ばか。そのまま言いたい放題呟く。
「………面堂の、」
ばかやろう、と続ければ、もうすぐに目が合った。きっと鋭い眼光があたるを射抜き、諸星、と忌々しそうに眉を寄せるので、悔しいかな笑った。
そのまま女の子は、ほっぽって、砂埃を上げながら校庭を駆け抜け校舎に飛び込んでくる。その姿を見るにつけ、コースケが「あらまあ」と苦笑した。
刹那にも満たない時間で近付いてくる足音と声。その音を聞きながら、織り込み済みなのよ、なんて自分勝手に思った。
どこにいたって、呼べば来るだろ。
それを知りつつ、君の名を呼ぶ。