マスターの恋人には目に余るものもある…が、彼女の選択を尊重したい「……君というやつは」
殿を務めながら、エミヤは嘆息した。
「なぜアーチャーをランサー戦に駆り出すかね」
立香は頭を下げたかったが、早足でエネミーから逃れていればそれも叶わない。
「今回のエネミーにはセイバーもいたし……エミヤならなんとかしてくれると、思って……」
それでも、息切れしながら言い訳を繰る。
「『なんとか』でなんでも通用すると思う癖を改めたまえ」
それぞれの手に双剣『干将・莫耶』の柄を握りしめたエミヤは、時折後ろを振り返りながら厳しい声を出す。
「ほんとごめんなさい!」
己の爪先を見下ろしながら立香は謝った。
ランサークラスの骸骨兵たちは森林に逃げた立香たちを追いかけるか、足取りは明らかに鈍くなっている。骨と骨の間に枝が入り込んでしまうからだろう。
先鋒の以蔵は木々の間の獣道をたどり、時折茂る枝を斬り落として強引に道を作って、立香とエミヤを先導する。その手の刀は人相手でなくても力強い。
「以蔵さん、あてはあるの?」
「そがなんあるか、勘じゃ勘!」
足を止めず、前を見たまま以蔵はがなる。
「殺気のない方ない方進みゃぁ、しまいにゃ逃げおおせれるろう」
革靴で下生えを踏みしめながら、以蔵は言った。
以蔵は酒量やギャンブルの賭け金を糺された時は飴色の目を泳がせて言を左右にするが、戦場での判断には迷いがなく、本能的に最善を選ぶ男だ。
森の奥深くへ進むにつれ、軟骨のない骨同士が立てるかんかんという音も遠くなった。
木が一本立ち腐れて、少しだけ開けた空間で、以蔵は立香たちを振り向く。
「もう大丈夫じゃろ」
立香もつられて首を巡らせると、三人が通った道は森の奥に消えている。木々を風が吹きつけ、さわさわと葉が鳴る音しかしない。
「――はぁーっ」
立香は腰を下ろし、手を後ろの地面につけて大きく背筋を反らせる。
「わたし頑張ったね……」
「何が頑張ったじゃ、こんばぁたれ」
立香のそばに寄った以蔵は、ぐしゃぐしゃと蜜柑色の髪をかき混ぜた。
「そもそもおまんが編成をしくじらざったらこがなんにはなっちょらんがよ」
「次に活かしたまえよ」
「はい……」
しょぼくれる立香に、エミヤは苦笑を漏らした。
「まぁ、本格的なお説教はカルデアに帰ってからだ。水分補給でもしたらどうかね」
「うん」
立香は身を起こし、ウエストポーチの中から水筒を取り出す。魔法瓶構造に守られていた水筒は液漏れもせず、中の水も冷たい。
「ぷはぁ……生き返る……」
「それは何よりだ」
喉の乾きの訴えるままに、二口目を流し込む。不思議なことに、それだけでも元気が湧いてくる。
「うん、割と復活した」
「えいき、もうちっくと休め」
「はぁい」
返事をすると、ますます頭を撫でられる。髪の毛はさぞ乱れきっているだろう。
以蔵に甘えてしまうのはよくない癖だ。自覚しているのに、つい不器用な優しさに頼ってしまう。いくら以蔵が今の立香の拠りどころであるとはいえ、他のサーヴァントやスタッフの前で素を見せるのは、マスターとしてふさわしくない。
立香は己を取り囲んで護ってくれているサーヴァントたちを見上げる。
「以蔵さんもエミヤも大丈夫? 休む?」
そう聞いてしまってから、己と彼らの違いを思い出す。
「君はいつも忘れるな、私たちはサーヴァントだ」
「そうでした……ごめん」
立香が召喚陣から喚び出したサーヴァントたちは、魔力を活動の源にしている。食事も楽しむし、酒を飲みすぎて寝落ちすることもあるが、基本的には栄養補給も睡眠も必要ない。
彼らと距離が縮まると、そんな基本的なことすら忘れてしまう。レイシフト適性だけでカルデアのマスター候補に選ばれた立香は、特に魔術に優れた家系の出身ではない。
エミヤは決してそのことを責めないが、かえって気を遣わせてしまうのは申し訳ない。
立香が軽い気まずさを覚えて口をつぐんでいると、上から顎をつままれた。
「休みはいらんけんど、ちっくとのうが悪いの」
そのまま顔を上向けにされる。かがむ以蔵の顔が近づいてきたと思ったら、唇を柔らかいもので塞がれた。
(ちょっ、エミヤが、見てる……!)
抗議しようと開いた口に、ぬるりと舌が差し込まれた。舌を甘噛みされ、吸われ、唾液を奪われて、立香はすっかり混乱してしまう。
もちろん恋人とのキスはたいへんに甘く、もっと求めてしまいたくなるが――それは第三者がいない時の話だ。
ぺちぺちと無精ひげの生えた頬を叩くと、以蔵はおっくうそうに顔を上げた。
「なんじゃ、わしはまだまだ満足しちょらんぞ」
「そうじゃなくて……」
立香が視線を向ければ、エミヤは眉間に皺を寄せていた。
「以蔵、もう少し時と場所をわきまえることはできないのか?」
「わきまえちゅうちや。走って逃げて、ちっくとうるそうなった。目の前にはうまい馳走がおる。食いたくなるがは道理じゃろう。いつまたあいたぁらぁが襲うてくるかもわからんきの。のう立香」
魔術師の体液にも魔力は含まれる。それを経口補給するのは理には適っているのだが……。
「私たちはお前の都合で動いているわけではない」
「うらやましゅうても、おまんにゃやらんぞ」
「以蔵さん、そういうことじゃないから! あと名前!」
「やかましいのう、マスター。これでえいか」
「反省してないよね」
立香の叫びとエミヤのため息が、ハーモニーを奏でる。
「マスターの厭がることはよしたまえ」
「マスター、厭なが?」
以蔵は眉じりを下げて立香を見下ろした。強気な時とのギャップがひどい。
(もう、ほんと、その顔ずるい!)
叫び出さなかった立香はえらい。
「厭……じゃないけどダメ! みんなの前ではやめて、帰ってからならいいから」
「ほうか! ほんならざんじいぬるぜよ!」
以蔵はぱっと笑顔を作った。
ころころ変わる表情は、本当に可愛い。
――じゃなくて!
「以蔵さん、素材集めに来たこと忘れてない」
「覚えちゅう覚えちゅう。素材ばぁわしがしゃんしゃん集めちゃるき! そこんおかぁはわしん活躍見ちょけ、食材も落ちるかもしれんきの」
「私はお前の母親になった覚えは――そもそも誰の母親にもなった覚えはない」
エミヤはそう言い切る。
けれど、お腹を冷やしそうな牛若丸や水着サーヴァントたちに腹巻を贈ったのは、どう考えてもオカンムーブだと立香は思う。
視線を感じて振り向くと、エミヤはげんなりした顔をしていた。
(君は少し恋人を甘やかしすぎてはいないかね)
という思いが、金色の瞳から伝わる。
立香の恋人は恰好いい時はとことん恰好よく、情けない時はつくづく情けない。
なかなか思い通りになってくれない人の扱いに困ることもある。
しかし、そんな以蔵と心を通じ合わせた時の嬉しさは、ひとことでは表現できないものだ。
立香が立ち上がると、以蔵はにこにこと笑顔を向けた。
「マスター、わしについて来い! 素材も集めちゃるし、傷ひとつつけんように護っちゃるきに!」
「『二兎追うものは一兎も得ず』……」
エミヤのため息も聞こえていないようだ。
「おかぁ、ランサーもわしがぜぇんぶ斬っちゃるき、安心しいや!」
高笑いする以蔵に少しでも魔力を送るべく、立香はエミヤとともにその背を追った。