そんなことがすてきです。「望って呼ぶやつ増えたよな」
ぽつりという声に、伊達はチェックボードから顔をあげた。
練習場は賑やかに、こどもたちの活気で溢れている。AとBの練習試合、紅白戦の最中だった。とはいえ先日の公式戦のふりかえりとガス抜きも兼ねてのことだったから、なんとはなし気のゆるむところもある。昼も過ぎた頃合い、陽射しもうららかに、ともすれば眠気にさえ誘われる。
福田は練習場の隅のあたり、フェンス前の定位置で腕組みをしている。視線は選手たちに向けられたまま、こちらの目問いに応えるように話を続ける。
「選手やスタッフ、サポーターもさ、結構な確率でみんな、おまえのこと望って下のなまえで呼ぶよな」
「言われてみればそうだな」
気づいてはいなかったがとちいさく首をかしげてみれば、足元に座りこみGK勢の様子をメモしていた弁禅がおおきくうなずいた。
「この面構えで伊達じゃあ、男前すぎてこどもらがびびるもんな。なまえ呼びくらいでちょうどいいじゃろ。望って親しみやすいなまえじゃし、希望でホープ、縁起もええわ」
「いや」
そういうことではないだろうと言いかけるのに、動画撮影用のタブレットをとりにいっていた月島が戻ってくる。
「えっなに? 希望? いいなまえ? 僕のこと?」
「流れるように入ってきたな」
「ほんとじゃ、さすが元Jリーガー、どこからでもゴールを狙ってきよる」
「ひとごとのように言うなよ元Jリーガー」
「福田や、これはここだけの秘密の話なんじゃけどな、ここにいる四人全員元Jリーガーなんじゃ」
「知っとるわ」
延々と掛け合いを続ける先輩ふたりをまえに、月島は目をぱちくりとさせる。その場の面子を順繰りに見やり、そうしてぽんとてのひらを打ち合わせた。
「なまえっていったら僕と望で合わせて希望だね、うん、確かに縁起がいいなあ」
「そうだな」
にこにことする月島に、伊達もついつられて口の端をゆるめる。それをどうとらえたものか、福田がこれ見よがしにえっへんと胸をそらした。
「おまえたちは希望だが、オレは達成するの達だからな」
元Jリーガー、海外組、気鋭のユース監督、華々しい経歴と肩書をよそにともすれば童心をちらつかせてくる同輩に、伊達はちいさくため息をつく。
「なぜそこで張り合うんだおまえは」
「いつでもゴールを狙うことを忘れない元Jリーガーなので」
ニヒーと得意げに笑う姿をもしやこどもたちに見られたならと伊達はこめかみをおさえる。しめしがつかんとひとりごちつつ見やるそのさき、試合は白熱しておりピッチ上のだれひとりとしてこちらに気を止めてはいなかった。
それはそれで問題な気もするが、とちいさく息をつくかたわらで、月島がうーんと顎に手をあてて考えこむ。
「まあでも実際福田さんより望のほうがなまえ呼びやすいよね」
「どういう意味だ」
「親しみやすさかな」
「親しみやすさでいったら弁禅もありだろ」
「僕は?」
「そこで自己申告してくるおまえの心の強さ見習いたいわ。あー、弁禅のなまえってなに? 醍悟? 醍ってどういう意味だっけ。月島ちょっと調べろ」
「はいはい、醍、えーと、チーズ。乳製品」
「福田、それは撮影用のタブレットだ、遊ぶな。月島も素直に従うな」
こちらの注意も一切気にとめることなく、月島と福田はタブレットに表示された検索結果をながめ、こそこそと額をつきあわせる。
「醍はチーズ、弁禅は醍悟、つまりチーズが悟る…」
「さとるチーズ」
「それだな」
「なにがじゃ」
ひとのなまえで遊ぶな、と大小ふたつの頭をぺしりぺしりとおおきなてのひらではたき、弁禅は仁王立ちとなった。
「遊んどらんとちゃんと仕事せえや」
「はい」
「へいへい」
返事だけはいいやつらじゃと弁禅が腕組みをするのに、ごめんってと片手をあげつつ福田が言う。
「ま、希望があって達成もできる、そのうえ覚悟も決められるなんて若者たちには縁起がいいってことでさ」
そう締めくくる福田に、それいいねと月島がにっこりする。
「まったくうまいこと言いよるわい」
弁禅が苦笑しつつ、秋山のプレーチェックのためかゴールの方に歩いていく。月島もタブレットを片手にピッチへと、ふいとふたりきりになったから、伊達はちいさくつぶやいてみる。
「で? 私が下のなまえで呼ばれるのが気に食わないとでも?」
「そりゃそうだろ」
目は練習場に向いたまま、福田の口元はおもわせぶりに笑んでいる。
「オレは心が狭いからな」
やはり聞くんじゃなかったとため息をつきつつ伊達もまたその場を離れようとした、けれどそのときふいと耳に低い声がする。
望、そう名を呼ばれた。
「……てことで、おまえが名前を呼ぶのはオレだけな」
ちいさく言い置いて、福田はさっさとグラウンドに歩いていってしまう。
勝手なことを言うものだと、伊達は返事の代わりにため息をつく。
結局まわりにだれもいなくなってしまったから、選手たちの連携チェックに戻ることにする。ボードを手に、あれこれと目についたことを書きとめるべくペンを走らせた。
こどもたちが練習場を所狭しと駆けまわる。弁禅が秋山に指示を飛ばし、月島がタブレットを構えてあちらこちらと歩いている。
福田はラインのすぐ外でことのなりゆきを見据えていた。こちらに向けられた背に、陽射しがやわらかく降りそそぐ。
しょうこりもなく耳に残る言葉に、伊達はちいさく息をつく。
自分の口元がかすかにゆるんでしまっていることには気づかないふりをした。