鯉月 柔らかな朝日の光が差し込み、月島の瞼が開く。柔らかな布団。広々としたベッド。自分の語彙ではとっさに出てこないが、とにかく高級そうな寝具にくるまれている身体。未だ微熱でぼうっとする頭。
いつの間にか眠り込んでいたのか。ここが何処なのか、どうして此処に居るのか、どうも前後がはっきりしない。額に違和感を覚えて手を当てると、冷却シートのような感触があった。どうやら、この部屋の主にここまで運ばれて介抱されていたらしい。
そのままぼんやりと見渡すと、覚えのないやけに広い白く整った部屋が視界に映る。何だか妙に既知の〝誰か〟を思い起こさせる部屋ではあるが、まだ微熱でぼんやりした頭では今一つ浮かんでこない。
そう言えば、この部屋の主は何処に居るのだろうか。一先ず礼を言わなければ。そう思い至ったところで、ふと、ドアの隙間から食欲をそそるいい匂いが月島の鼻孔を擽った。そのままノブをそっと回そうとした途端、いきなり向こうからドアが勢いよく開いた。
「月島! 起きたのか」
「鯉登さん、でしたか」
当の本人が目の前に現れて、見慣れない白く広い部屋の持ち主と繋がった。社外では、おそらくプライベートでは初めて見る上司の姿だった。この様子だと、何かしらやらかして上司の世話になったかと思われる。しかしまだ頭がぼんやりして前後が思い出せない。
「すみません。すっかりご厄介になったようで……」
取り急ぎ詫びを言う。昨晩何があったのか、どう言葉を続ければいいか。やや間を置いていると、鯉登の方から声が掛かった。
「気分はどうだ? どこか痛むところは無いか? 何か口にするか?」
そう言えば、昨日から何も食べてないなとぼんやりと思い出した。一瞬、逡巡したが、
「……俺、いや私は何かやらかしたのでしょうか?」
それには答えず、鯉登は手を伸ばし、月島の額にそっと掌を置いた。
「!」
暖かい、上司の、鯉登さんの手。褐色の、長く揃った指。汗ばんでいた月島の白い額にひたりと沿う。
「熱は下がったようだな」
そっと、掌が離れた。
と思ったら「ちょっと剥がすぞ」と声がかかり、額に貼られたジェルのシートがゆっくりと剥がされる。どうやら発熱をしていたらしい。
「……はい……有難うございます」
額に触れた指先の優しさ、温かさが名残惜しい。……名残惜しいのか?
「水は飲めるな?」
グラスに注がれていた水。グラスも何だか高級そうだ。普段ペットボトルを直飲みする月島から見れば、相当丁寧な暮らしに見えた。鯉登の手からグラスを受け取ろうとすると、グラスは手から避けられ、月島の小さな口に当てられた。
自分で飲めます。
そう言おうとしたが、グラスの淵が唇に当たり上手く言葉にならない。
「遠慮するな! まだ顔色が青いぞ。私が飲ませてやろう。ちょっと口を開けてみろ」
軽くグラスが下唇に当てられる。言われるがままに唇が開かれる。
いつの間にか鯉登の左の掌は月島の後頭部に触れ、支えられる形になっている。右手には水の入ったグラス。
傾けられたグラスから水が注がれ、月島の口内を、喉を潤していった。
鯉登さん手ずから、水を飲ませてもらった。
さっきは額に手を当てられ熱を見てもらったり。
そもそも、自室と思われる場所まで運んでもらい、看病されたのではないか? 世話になりっぱなしではないか?
まだ状況が呑み込めない。目を開ける前の記憶が無い。仕事は? 休みか? 聞くべきことはあるはずだが、なんなのだこれは…!
当の上司である鯉登は、普段の社内で見る顔よりも幾分和らいで見えた。
20231020