螺旋③(冒頭のみ)「ふっ……んぁ……く、ぅっ」
灯りの消された室内に抑えられた喘ぎ声が密かに響く。喘ぎ声と微かな衣擦れ。そしてくちくちと粘りを帯びる湿った音。
くちゅ……くちり、ぐちゅり。
こんなことをしては駄目だと、頭ではそう解っているのに、ぬるつく両手を止められない。きっと部屋に満ちたこの香りのせいに違いない。
時は亥の刻。
家規に則り就寝しようと寝台へと向かった魏無羨は、そこで見慣れぬ小瓶を見つけた。手に取ろうとしてうっかり倒してしまい、不運にも蓋が開いて零れた中身にその正体を知る。
それは藍忘機がいつも持ち歩いている例の香油だった。
彼が忘れていったのかと思う間にもトプトプと零れていくそれを咄嗟に掌で拭ってから、まずいと思った。思ったところで後の祭り。
ふわりと漂う香りにくらくらと理性が惑わされて、じわりじわりと身体の芯が熱を持つ。
昨晩は一緒に眠っただけで、結局何もされなかった。むしろとても心地良く眠ってしまったのだが、一度灯された熱は熾火のようにずっと燻っていたらしい。
それが濃密な香りに煽られて身体の中心に集まっていく。香油が滴る掌でそっと触れれば、一瞬で快楽の虜になった。
「んっん……っ、……ぁ、はっ」
自分の欲の象徴を直視できずに固く目を閉じて、ビクビクと熱く脈打つそれを左手で支える。初めて藍忘機に触られた時のように根本から先端へ緩急をつけて扱き、指先で鈴口をなぞった。溢れ出した先走りが香油と混ざり、ぐちゅぐちゅと卑猥な水音と共に滑りが増していく。
「ふ……、ぁ……っ、あ、らんじゃ……っ」
仄甘い涼やかな香りに包まれて、あの男の腕に抱かれている気分になる。魏無羨はそれを胸いっぱいに吸い込んで夢中で手を動かした。
「はぁ……ぁ……らんじゃ……っ、らんじゃ……っんん!」
閉じたままの視界が白く爆ぜ、衝動を堪えるようにぎゅうっと両脚を閉じて精を放つ。同時に腹の奥がずくりと甘く疼いた。
「ふ……ぅ……は……はぁ……はぁ……ん……」
荒い息を吐きながら解放の余韻に浸りつつも、満たされない甘い疼きに魏無羨はぐったりと身体を床に横たえた。
その後も治まる気配のない疼熱を持て余して、魏無羨は冷泉を訪れていた。本来ならとうに就寝している時刻だ。手早く服を脱ぎ、音を立てぬようにそっと水中に身を沈める。
「……っ」
清めはしたが熱を孕んだままの身体には澄んだ水はいつもより冷たく、思わず息を詰めた。詰めた息を少しずつ吐き出しながら昂ぶった精神を鎮めていく。目を閉じてゆったりとした呼吸を繰り返していると、じとりと纏わりつくような熱がようやく引き始めた。
今夜はいったい幾つの家規を破ってしまっただろうか。夜が明けたら罰を受けなければ。
藍忘機と出会ってから自分の生活は滅茶苦茶だ。これ以上関わるべきではないと解っているのに、強引に押し入ってくる彼に気がつけば惹き込まれている。
現に今も、彼の言動を思い返すだけで再び体温が上がりそうで。魏無羨は慌ててかぶりを振って自分の中から男の影を追い払おうとした、その時。
「亥の刻も過ぎたのに、優秀な藍家の内弟子がこんなところにいてもいいのか?」
追い出したはずの艷やかな声が鼓膜を打つ。
驚いて目を開けると、冷泉の岩場に笑みを湛えた藍忘機が立っていた。その手はきちんと畳んで置いてあった魏無羨の白い校服を弄んでいる。
「……なん、で……?」
驚きの余り掠れた声を漏らす魏無羨に藍忘機は事も無げに答える。
「君が一人で部屋を出ていくから、心配で付いてきた」
それは部屋まで来たということだろうか。
嫌な予感に血の気が引いていく。
案の定どこか嬉しそうに藍忘機は手にした魏無羨の校服の袖口を近づけて、形の良い鼻をすんすんと鳴らした。そして、ふわりと香る残り香に笑みを深める。
「ねえ、魏嬰。私の香油を使って、私の名前を呼んで、君は何をしていたの?」
「……っ」
あられもない嬌声もはしたない水音も全部聞かれているのだろう。何をしていたかなんて聞かずとも分かっているはずだ。
それなのに。
遺香を振り撒くように校服の袖を振る意地の悪い笑顔を睨みつけようとして、しかしこちらまで漂ってきたその香りに魏無羨は思わず目を伏せてしまった。
「……香油が零れたから拭いていた」
嘘ではない。事実の全てではないだけで。
ぼそりと告げられた魏無羨の答えに、藍忘機は大仰に肩をすくめてみせる。
「魏嬰、きちんと答えてくれないとこの服を持って行ってしまうよ?」
「……!」
この男なら本当にやりかねない。
急いで取り返さなければと冷泉の水を掻き分けて彼の立つ岩場に近づく。跳ね上げた飛沫が髪や顔を濡らしたが構ってはいられなかった。
「返せ!」
精一杯伸ばした指先に白い布地が触れた瞬間、逆に腕を掴まれて腰を引き寄せられる。
「一人でどんなふうにしたの?気持ち良かった?」
耳もとに吹き込まれる艷やかな声に、鼓動が跳ね上がった。
触れられたどこもかしこもが熱い。
冷泉で冷えた分、彼から伝わる熱は火傷しそうに熱く、抑えたはずの疼きが息を吹き返す。
腰に回された手が臍下の辺りをゆるゆると這い回り、それだけで期待に中が蠢いた。
この奥にもっともっと熱いものが欲しい。荒々しく滾る奔流で満たしてほしい。
一人でしても足りないのだと素直にねだれば、あの甘く溶けるような灼熱が与えられるのだろうか。
腕の中でふるりと震えて微かに呼吸を乱し始めた魏無羨の耳朶に藍忘機はちゅっと口づける。
「教えて、魏嬰。一人でちゃんと満足できた?」
心の内を見透かすような藍忘機の問いに、魏無羨はしばらく答えることができなかった。