「やっとお前に会う事が出来たな、我が友よ」
病院の受付に突然やってきた全身キラキラオーラを放つ、フェリーンの大柄男性に手を取られ、ドクターは宇宙猫状態に陥っていた。
人間、突拍子もない出来事に遭遇すると、なにもかも固まってしまうらしい。
しかしながら、このフェリーン男性と面識がないのだが。交通事故にあい、記憶を失い目ざめてから二週間。
もしかしたら、記憶を失う前にあった友人なのだろうか。
(…しかし、こんな俺様タイプが私の友なのか?)
ぱっと見、めちゃくちゃ高そうなスーツに、やたら整った顔と自販機みたいにでかい図体。
なんとなく感じる育ちの良さと、やや高圧的な俺様っぽい性格。
とても自分と接点がなく、もしや記憶喪失にかこつけて、なんかの詐欺だったりして…と良くない想像が働く。
綺麗な顔を見上げ、手を握りながらドクターは声をなんとか絞り出した。
「あの、すみません。どちらさまでしょうか」
「忘れたのか、私のことを」
間髪入れずに問いただされ、ドクターは咄嗟に手を引こうとした。
が、全然うごかない。強く手を握られており、びくともしない。
「ごめんなさい。私、交通事故にあって記憶喪失になってしまいまして…」
「それは知っている」
「あっ、そうですか。でも身体は平気なので、心配いらないですよ。ほら、この通り」
ドクターを見下ろして、形の良い唇がゆったり弧を描く。
「それは何よりだ。ところでせっかくだ、顔をみせてはくれないか」
掴まれていた手が離れ、頬に触れられる。
サージカルマスクをしている、この顔が気になるらしい。
けれどもここは院内だ。そうそう外せる訳はない。
なによりも、こんなキラキラした顔の人間に夜勤明けのくたびれた顔をみせるの恥ずかしいし。
黒い手袋に包まれた指先がドクターのセットしてない髪を触る。
(…触り方が、なんかヤラしいなぁ)
髪に触れる指先が妙に艶めかしいは何故なんだろう。
友人としては距離感がおかしいし、やっぱり怪しい人なんじゃないか。
「ちょっと此処では。それに、いまから往診もありますから」
嘘だけど。往診はケルシーがするから行かないけど。
「…そうか、ではまた別の機会にしよう」
ほっとしたのもつかの間。頬を伝う指先が落ちて、顎をとられて上向きにされる。
「また来る。エンシアのことをよろしく頼む」
鼻先が触れる程の至近距離で、そう囁くと謎の大型猫化男性は優雅に受付ロビーを後にした。
(…一体お前は誰なんだ!)
ドクターは大きな背に向かって叫びたい衝動を抑えながら、突き刺さる好奇の視線に震えるしかなかった。
***
謎の大型猫化男性の言っていた『エンシア』はロドス製薬会社に所属するクリフハートの本名だと分かった。
鉱石病を患い、ロドスが運営する病院で治療を受ける傍ら、山岳ハイキング指導を専門に仕事してくれている。
ロドスに加入するとき、まれに戦場へ行く可能性もあると説明したろうが、最近ではめったにない。
それにクリフハートのように、専門知識を身に付けている子達を活かしてあげるのも、ロドスの今後の仕事だとドクター達は考えていた。
未だに鉱石病は迫害や差別のあるため、武力を必要とする事態がある。ロドスは製薬会社を営みながら、自衛手段として武装も行っていた。
けれども近年では病院を運営できるほど、鉱石病への迫害を暴力で解決すべき事案は減ってきている。
確実なる進歩に胸をなで下ろしつつ、油断はできないなと気を引き締める日が続く。
閲覧パスワードを入力し、クリフハートの電子カルテからプロファイルにアクセスする。家族構成の欄まできて、あの大型猫化の正体が分かった。
(…兄か、クリフハートの)
クリフハートことエンシアには、兄と姉がいる。そういえば以前に兄と姉がいるが、兄弟仲が良くないと話していた。
北国のイェラグ出身で名門シルバーアッシュ家のお嬢様なのは承知していたが、まさか突然やって来た兄がちょっと変わっていたとは。
両親は事故により死別しており、身元引受人はさきの兄になっていた。
『シルバーアッシュ・エンシオディス』
若くして家を継ぎ、貿易会社の社長をしていると備考欄にある。初対面の俺様で育ちが良さそうなイメージは概ね当たっていたらしい。
(…また来るって言われてもなぁ)
ドクターはクリフハートのプロファイルから窓へと視線を移した。秋晴れの空はいわし雲が浮かんでいる。
しかしシルバーアッシュ家の当主様とまるで接点がなく、友人だった覚えもまったくない。正直あのペースに飲まれてしまいそうで、どことなく苦手な部類だったりする。
でもクリフハートの兄な訳だし、無碍に追い出すことも出来ない。
「また来る」と言い切ったあの澄ました表情を、また見る日は近いのだろう。
苦手だからこそ、よく分かる。シルバーアッシュ・エンシオディスは近いうちにまた来ると。