俺たちの戦いはこれからだㅤそれは、いつものように居座っていたカフェシナモンでの出来事だった。
ㅤこはくの健闘も虚しく今日もたった1杯の珈琲を昼食だと言い張るHiMERUがぼんやりとして見えたのは、単に糖分でも足りないからだと思っていた昼下がり。
ㅤこのあとどうやって彼をここからほど近いスイーツショップに連れ込むか──と言うと聞こえが悪いが、どうやって糖分だけでも摂取させるかと思案していた矢先。まるで深窓の令嬢みたいなため息を吐いたHiMERUが、随分と小さな声でこはくを呼んだ。
「桜河」
ㅤ思わず返事が出来なかったのは、目の前の彼の仕草が同じ10代には有るまじきものだったからである。
ㅤ憂いを帯びた流し目はこはくを呼んだ割にこちらを見ておらず、薄く開かれた唇は何故か艶かしい。
ㅤ先程は深窓の令嬢と言ったが、今の彼は場末の酒場で来ないと分かりきっている男を待つ淑女のようにも見えてしまって、目のやり場に困る始末。我ながら酷い例えだとは思うが、仕方がない。他に言いようがないのだから。
ㅤ白昼堂々カフェでそんな顔しないでくれ、と思ったところで、彼のそれは無意識だから質が悪かった。
ㅤこはくがそんな事を考えているだなんて思いもしないであろうHiMERUは、長い睫毛を震わせるように伏せて、余計な儚さまで演出し出す。
ㅤそれから、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「以前HiMERUに、それがどんなに世間的に間違っていると否定された怒りだとしても……天城にはその燻った怒りをさらけ出して良いのだと言っていましたよね」
「……せやね」
「HiMERUは、違うと思うのです」
「違う?」
「誰も彼もが、それを許されているわけではないでしょう」
ㅤ何故、と口にするよりも先に、また彼の表情に視線を奪われた。
ㅤ彼の目は真直ぐにこはくを映している。嫌悪感を抱くようなものではなく、そこにあるのは遠く届かないものを見るような羨望に近い。
ㅤあぁ、とこはくは無感動に考える。これはHiMERUのすぐに自分を外側に置きたがる悪い癖だ。
ㅤ今ならば先程までの彼の視線が何を見ていたのか、考えなくとも分かる。否、分かってしまった。
ㅤ何故ならここは自分たちCrazy:Bがいつもたまり場にしている場所であり、ユニットメンバーのバイト先でもあるカフェシナモンだ。
「HiMERUは桜河や椎名のようにはなれませんよ」
「そんなん、分からんやろ」
「少なくとも、HiMERUのためにイベントを動かしたり、勝算があったとはいえ故郷を天秤にかけたりはしないと思います。悪いとは思っていませんがHiMERUと天城は意見の衝突も多いですし、そんな相手に心を砕きたいと思う方がどうかしているのです」
ㅤ何が可笑しいのかクスクスと笑うHiMERUに、こはくは言いようのない脱力感に襲われて頭を抱えたくなった。
ㅤ天城燐音という男の性質は、軽薄そうな見た目や言動とは正反対に思慮深く、懐も深い。
ㅤ怒りを原動力に変えられるのだって、不条理に怒りを燃やせる見えない優しさがあるからだ。そんな事はこの長くはないが色濃い付き合いの中でHiMERUだって理解しているだろうに。
ㅤそもそも彼らの言い合いは、今後のCrazy:B又は個々人のアイドル活動についてが殆どで、それ以外の──例えば燐音のギャンブル癖なんかに関するものは、大抵の場合燐音が早々に折れてお開きとなる。
ㅤ燐音が反論し、彼らの意見が衝突するのは『アイドル』についてだけ。
ㅤそちらに関しては未だに初心者の域を出られずにいるこはくとニキでは出来ない討論を燐音自身が楽しんでいることを、どうして気付けないのだろう。
ㅤまるで自分だけは愛されなくて当然だと言うような顔をして予防線を張るなんて、馬鹿げている。
ㅤそもそもニキのためにイベントを動かした時も、こはくの家族のために立ち回った時も、燐音1人が何もかもを行った訳では無いし、何でも1人でやりたがるリーダーに齧り付いてでも共犯になるのが自分たちだというのに。まるで、誰もHiMERUを助けないかのように言われては敵わない。
ㅤ例えばそれがどこぞの聖人君子のせいだというのなら、こはくは初めての友情を天秤に賭けるし、燐音は実の弟に誤解される覚悟をするだろうし、ニキは昼飯くらい我慢するだろう。
ㅤ勿論、理解して貰えるように最善を尽くすとして、それはこはくたちがHiMERUの感情を否定する理由にはならない。
ㅤ過去がそうさせるのか、はたまた元より彼の性質か。辛いも痛いも言えず、かといって泣くこともしない。何も教えてはくれないせいで驚くほど神秘に包まれた生体に、秘密主義もいい加減にしろと言いたくなる。
ㅤこれはリーダーへの告げ口も致し方ない。
ㅤせっかくHiMERUの方から「助けて」と言えるまで待つつもりでいた燐音へ。どうやらHiMERUは、多少無理矢理にでも手を引かれ、愛情でもって揉みくちゃにされる方が好みらしい、と。
ㅤはぁ、と深いため息を吐いたこはくは、怒っていますよと言外に告げるように腕を組む。
「HiMERUはん、分かっとらんみたいやから言っとくけどな」
ㅤHiMERU相手には滅多に見せない呆れたような視線で彼を睨んでやれば、透き通った瞳が何事かと瞬いた。
ㅤこんなにもこはくを信じきったような、悪意に耐性のない、害される事など考えつきもしない色を向けておきながら、どうして肝心な事が言えないのだろう。
ㅤ燐音は、こはくは、ニキは、今はまだ待つことしか出来ないというのに。
「あんな、HiMERUはん」
「……はい」
「わしら、HiMERUはんのためやったら神さんぶん殴るくらい他愛もないんやで」
「は?」
ㅤ言ってやった。
ㅤどうせ通じないのだろうけれど。
ㅤ仲間を信じない彼が悪いのだが、多少なりともこはくの気は済んだので良しとしよう。
ㅤポカン、としてしまったHiMERUが先程までとは違ってきちんと年相応の顔をしていたから、スイーツショップもお預けにしようと思う。
「えぇと……ありがとうございます?」
ㅤ意味が分かっていない癖に礼だけは言うものだから、こはくは思わずHiMERUに向かって吹き出した。
ㅤそして、そんなこはくに面食らうHiMERUへカロリー摂取させるべく、ちょうど目が合ったニキをちょいちょいと呼びつける。
ㅤ注文は愛情という自白剤のたっぷり入ったスペシャルメニュー。会計は勿論、パチンコ帰りの我らがリーダー様へ。そして必殺、末っ子スマイル。
「覚悟しといてな」
ㅤこれでコロリと落ちてくれれば、それが1番良いのだけれど。