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    ToriMizu22

    @ToriMizu22

    文章中心。雑多。

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    ToriMizu22

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    タイユニ長編

    【#04】背伸びをしても届かない第4話「変わらない香り」

    枕元に置いたスマホのアラームで目が覚める。
    微睡んだ目でディスプレイを確認すると、時刻は6時半を示していた。
    アラームを止めて起き上がり、自分が横になっていた布団を畳んでリビングのクローゼットへ戻す。
    カーテンを開けて室内に日の光を入れると、ようやく眠気が覚めてきた。
    今日は月曜日。タイオンの家で暮らすようになって、初めての平日である。
    昨日まではタイオンもユーニも用事がなかったのでずっと2人きりでこの家にいたが、今日はそういうわけにはいかない。

    この家で厄介になる代わりにすべての家事を負担するという約束を果たすべく、今朝はいつもより早く起きたのだ。
    身支度をある程度整えると、髪を結びキッチンに立つ。
    6枚切りのパンを2枚取り出し、バターを塗ってオーブントースターに入れる。
    パンを焼いている間に、冷蔵庫から取り出したベーコンと卵を焼き、塩と胡椒で味を着ける。
    一連の流れは叔母の家にいるときとほとんど変わらなかった。
    変わっているところがあるとすれば、使っている家電や食材が、叔母の家に置いてあったものとは比べ物にならないくらい豪華だというところだろうか。

    今パンを焼いているトーストは、よくテレビの家電特集で取り上げられているお洒落で機能性の高い最新式の機種だし、フライパンも焦げ付きにくいと有名な取っ手が取れるタイプの便利なものだ。
    冷蔵庫の品は勝手に使っていいと許可をもらっている。
    バターは海外製の高価なものだったし、ベーコンに関しても肉厚で随分高そうだった。

    前々から思っていたが、タイオンはそれなりに経済力があるのだろう。
    どんな仕事をしているのか聞いてみたが、所謂システムエンジニアと呼ばれる職種らしい。
    給料が高い分、なかなかの激務で帰りが夜遅くなることも頻繁にあるのだという。
    だからこそ、家事手伝いを頼める存在が前々から欲しかったのだそうだ。

    タイオンのそんな言葉は、ユーニのやる気に火を着けた。
    ただ相手に寄りかかるだけの関係は嫌だった。
    世話になるのなら、ちゃんと役に立ちたい。
    幸い、叔母にこき使われていたおかげで家事は一通り問題なくこなせる。
    むしろこの家にある最新式の家具家電を使って家事が出来ると思えば、一切苦痛には感じなかった。

    トースターに放り込んだパンが焼き上がったと同時に、寝室からタイオンが出てきた。
    元々癖の強い髪にさらに寝ぐせを着けた彼は、眼鏡姿のまま眠そうな顔でよたよた歩いている。


    「あ、タイオンおはよ」
    「あぁ、早いな」
    「今日からアタシも学校だからな」


    あくびを零しながら彼は洗面所へと入っていった。
    その間に、焼き上がったパンにフライパンで火を入れたベーコンと卵焼きを乗せる。
    サラダと一緒に食卓に出し、ついでに沸かしておいた湯でホットコーヒーを淹れる。
    今のタイオンの味覚は知らないが、アイオニオンにいるときは根っからの甘党だった。
    きっと甘い方が好きだろうと予想を立て、ミルクと砂糖を少し多めに入れてみた。

    これで朝食の用意は完了だが、まだキッチンでやることが残っている。
    棚から取り出したのは、昨日駅前の雑貨屋に行って買ってきた二つの弁当箱。
    1つは黒くて少し大きいタイオン用の弁当で、もう一つは同じデザインで一回りサイズが小さいユーニ用の弁当箱である。
    これに昨日の晩御飯の残りを詰めていると、いつの間にかスーツに着替えたタイオンがリビングに戻って来た。

    ワイシャツ姿にネクタイを締めた彼は、袖のボタンを閉めながら食卓に着く。
    先ほどまで寝ぐせで暴れていた髪はまともになっており、ついでに眼鏡も外している。
    あーあ、眼鏡の方が好きなのに。そんなことを考えながら、先ほど淹れたコーヒーを差し出すと、“ありがとう”と素直に礼を言ってくれた。
    やがて弁当の準備が終わり、ユーニも食卓に着く。
    どうやらタイオンはこちらの準備が終わるまで待っていてくれたらしく、ユーニが食卓に着いたことでようやく朝食に手を付け始めた。


    「今日は何時に出るんだ?」
    「電車で40分くらいかかるから、7時半過ぎくらいかな。タイオンは?」
    「8時くらいだな」
    「じゃあアタシの方が早いのか」


    こうして一緒に食卓に座り、朝食を共にしているとなんだか結婚したみたいだ。
    こんなことを口にすればタイオンは迷惑がるのだろうが、長年探し求めてきたタイオンと時間を共有できていることが嬉しくてたまらない。
    この家にはテレビがないため、2人の間に会話が生まれなければ必然的に室内が静かになってしまう。
    必要以上に言葉を交わそうとしないタイオンとの距離感を測りながらの朝食は、ほんの10分程度で終わりを告げた。

    そろそろ家を出る時間だ。
    制服に着替え、髪を整えると、ユーニは冷蔵庫に仕舞っておいた2つの弁当箱を取り出し大きい方を食卓に腰掛けているタイオンへと差し出した。


    「これは?」
    「弁当。昨日の残り物詰めただけのやつだけど」
    「ありがたいが、弁当作りまで頼んだ記憶はないぞ?」
    「いいじゃん別に。人の厚意はありがたく受け取っとくもんだぜ?」
    「まぁ、それは確かに。ありがたく受け取っておく」


    保冷袋に入れられた弁当を受け取ったタイオンに、ユーニは内心ほくそえむ。
    愛妻弁当を押し付けることに成功した今の彼女は、実に上機嫌である。
    床に置いていた皮鞄を肩にかけ、明るい髪を耳に掛ける。
    食卓に腰掛け、スマホで朝のニュースをチェックしているタイオンの横顔めがけて顔を近付ける。
    唇が彼の頬に触れる直前、タイオンの右手がユーニの額を押さえ込む。
    ペシンと小気味よい音を立て強制的にバリアを張られたことで、ユーニはむっと膨れ上がった。


    「なにしてる?」
    「“行ってきます”のちゅー」
    「怒るぞ」
    「なんだよぉ、冗談じゃん。そんなに睨まなくたってよくね?」


    本気の拒絶は流石に傷付くものがある。
    アイオニオンにいた頃のタイオンなら、真っ赤になって動揺してくれただろうに。
    一抹の寂しさを抱きながら玄関に向かうと、背後から“車に気を付けるんだぞ”と声をかけられる。
    明らかに子供扱いとしか思えないその言葉にさらに腹が立ち、ユーニは返事をせず出ていくのだった。


    ***

    元々住んでいた叔母の家から学校までは徒歩で通える距離だったが、タイオンの家からは電車で通わなければならなくなった。
    定期代はタイオンが出してくれている。
    家事をする必要があるお陰で早起きしなければならなくなったが、金銭的な負担は一切ないため文句はなかった。
    通学の時間が長くなっただけで、学校内での学生生活に関しては特に変わりない。
    いつも通りノアやランツ、ヨランと楽しい時間を過ごし、眠気に負けそうになりながら授業を受け、そして昼休みには昼食をとる。
    変わったことと言えば、いつもは安い菓子パンを買って食べていた昼食の内容が、今日からタイオンとおそろいの弁当になったことくらいだろう。

    今頃タイオンは、会社で自分とおそろいの弁当を広げて食べているのだろうか。
    そう思うと、心がウサギのように跳ね上がった。
    自然と鼻歌を歌いながら自席で弁当を突いていると、背後からやって来たノアに声をかけられた。


    「あれ?ユーニ、何書いてるんだ?“住所変更届”……?」
    「あぁ、アタシ引越ししたからさ」
    「引越し」


    弁当をつつきながら、ユーニは右手で1枚の紙と向き合っていた。
    “住所変更届”と一番上に大きく書かれたその書類は、文字通り住む場所が変わったことを学校側に知らせるものである。
    担任のアシェラに引っ越ししたことを伝えると、“じゃあこれを書いておくように”と渡された。
    引越しした事実をさらりと口にしたユーニに、ノアは当然ながら驚きを隠せなかった。
    目を見開き、空いている前の席に腰掛け問いかけて来る。


    「叔母さんの家出たのか?いつ?」
    「金曜日。ちょっと遠くなったけど、あのボロ屋よりは断然快適」
    「誰かと住んでるんだよな?」
    「あー、うん。まぁ」
    「誰と?」
    「……従兄妹、かな」


    タイオンは自分との関係を“従兄妹だと偽ろう”と提案してきた。
    相手は親友のノアだ。正直に言っても良かったが、“街中でたまたま出会った見知らぬ男と住むことになった”と言えば流石に心配されるだろう。
    厄介なことになることを恐れ、タイオンからの命令通り従兄妹と住んでいることにした。


    「従兄妹?そんなのいたのか」
    「うん、いたみたい。家事を負担する条件で家に置いてくれるって」
    「そうか。ちなみにその従兄妹って、女の人だよな?」
    「いや、男」
    「えぇっ、大丈夫か?従兄妹とはいえ男の家に2人きりなんて」


    端から見れば至極当然の反応だろう。
    だが、残念ながらタイオンに手を出される心配はない。
    彼は悲しいほどに常識的な人間で、モラルに反するようなことはしない。
    女子高生に手を出すようなことは決してないだろう。
    それはユーニにとって安心するよりも落胆の方が大きい事実だった。

    “そういう奴じゃないから”と言って目を伏せるが、ノアはあまり納得がいっていないようだった。
    複雑そうな顔をしながら、ユーニがペンを走らせている“住所変更届”に視線を落とす。


    「ユーニ、何かあれば言ってくれよ?出来る限り力になるから」
    「おっ、マジで?じゃあ明日から卒業まで昼飯奢ってもらおうかな」
    「うっ、それは……」
    「あははっ、嘘だって。大丈夫だよ、心配すんなって」


    この世界のノアは、アイオニオンで縁を結んだノアと変わりなく優しい男だった。
    困っている人間がいると、外聞など気にすることなく無償で手を差し伸べられる。
    そんなノアは当然ながら同世代の女子によくモテていた。

    彼には一つ年上の大学生であるミオという彼女がいるが、その存在を知らず彼にもうアプローチをかけ、玉砕していく女子たちを今まで何人も見てきた。
    可哀そうだとは思うが、やはりアイオニオンで深い仲だったミオとの繋がりは、この世界でも変わりなく強固なものなのだろう。
    ランツとセナに関しても、この世界では交際関係にある。
    4人ともあの世界での記憶を持っていないはずなのに、彼らは自然と惹かれあっていた。
    この不思議な引力にはきっと逆らえない。

    ノアやミオ、ランツやセナのように、自分とタイオンとの間にも、その不思議な引力は働いているのだろうか。
    出会えただけで嬉しい、なんて欲のないことは言えそうにない。
    本当はもっと深い仲になりたい。自分にとってタイオンが唯一無二の存在であるように、タイオンにとっての自分もそうでありたい。
    10歳も年上のタイオン相手にそんなことを考えてしまうなんて、自分はワガママなのだろうか。


    ***

    タイオンが務めている企業は、IT業界でも名の知れた上場企業である。
    若くして主任の地位に就任した彼は、同じ年に入社した同期たちの中で一番出世が早かった。
    大きなプロジェクトをいくつか任された経験のおかげもあって、同年代の平均年収よりは幾分か多く貰っている。
    見知らぬ女子高生を気前よく自宅で養う決心がついたのも、経済力にそれなりの余裕があったから。

    散財するほどの趣味もなく、貢ぐ相手もいないおかげで貯金は有り余っている。
    溜まる一方であるこの金で、身寄りのない一人の少女を救えるなら決して無駄とは言えないだろう。
    仕事で帰りが遅くなりがちな身からすれば、家事を全て担ってくれる存在が家にいるのはありがたい。
    弁当まで作ってくれたのは予想外だったが、昼休みになるたびエレベーターで1階に降りコンビニやカフェに入る手間が省けるため便利だ。

    仕事に一区切りついたところで、今朝ユーニから手渡された弁当を鞄から取り出した。
    コーヒーメーカーや常設の菓子類が置かれているマルチスペースで、弁当をレンジに放り込み温める。
    中身は恐らく昨日の残り物だろう。
    彼女は今時の女子高生には珍しく家庭的な一面がある。
    叔母と一緒に暮らしていた時、押し付けられるようにこなしていたという家事の経験からくるスキルだろう。

    温め終えた弁当箱をレンジから取り出し、自席に持って帰る。
    さて食べようと弁当箱の蓋を開けた瞬間、視界に入って来た内容物を見て一瞬心臓が止まりかけた。
    左側には鶏のから揚げと卵焼き、ほうれん草の胡麻和えとウインナー。
    そして右側には白米が詰められているが、白い米の上には大きなハートの形をした桜でんぶがふんだんに散りばめられていた。


    「お、美味そうだな」


    背後から声がかかる。
    その特徴的な低く響くような声で正体が一瞬で分かった。
    上司である部長のイスルギだ。
    声をかけられた瞬間、肩を震わせながら勢いよく弁当箱の蓋を閉めるが、どうやら手遅れだったらしい。
    急いで弁当を隠したタイオンの行動にケタケタと笑いながら、イスルギは肩に手を置いてきた。


    「そう照れるな。彼女に作ってもらったのか?健気でいいじゃないか」
    「ち、違います。そんなんじゃありません」
    「うん?そうなのか?なら自分で作ったのか?」
    「い、いや……」


    流石にハート型の桜でんぶを散りばめた弁当を自作するような変人には見られたくない。
    かといって、家で面倒を見ている女子高生が作ったものだとは言えるわけがない。
    彼女が出来たことにしてもいいが、その正体がまだ十代の女子高生である背景を考えればその案も受けれ難い。
    ユーニと約束した通り従兄妹が作ったことにするべきか。
    だが、従兄妹相手にハートの弁当を作るというのもいささか違和感がある。
    どう答えるべきか迷っていると、タイオンの返答を待たずしてイスルギは口を開いた。


    「まぁいいじゃないか。今時愛妻弁当を作ってくれる愛情深い人なんてなかなかいないぞ?大切にな」


    イスルギは勘違いしたままにこやかに去っていった。
    あれは自分に彼女がいると思い込んでいるに違いない。
    いちいち訂正するのも可笑しいし、もう仕方ない。

    イスルギは先日、同じくこの会社に所属していた女性と結婚したばかりである。
    彼女はイスルギとの結婚を機に寿退社し、3か月後に挙式を控えている。
    新婚まっただ中な彼は、部下であるタイオンの幸せを純粋に喜んでいるのだろう。
    残念ながら彼とユーニはそういう仲ではないのだが。

    ハートの桜でんぶが散りばめられた弁当を再び覗き込む。
    どう見ても彼女や妻が作る愛妻弁のビジュアルをしている。
    こんな可愛らしい弁当を会社で堂々と食べられるわけがないじゃないか。
    ユーニめ、こんなデザインにしたのはわざとか?
    何かの拍子で女子高生がうちにいる事実が周りに露見したらどうしてくれる。
    その瞬間、この身には社会的な死が降りかかることだろう。
    それは何としても避けなければならない。

    弁当を作ってくれたありがたさと厄介な見た目に飾り立ててくれた腹立たしさを噛みしめながら、タイオンはため息交じりに弁当に手を付け始めるのだった。


    ***

    その晩、タイオンが帰宅したのは20時を回ってからだった。
    先に夕食を済ませていたユーニは、タイオンから帰宅する旨のメッセージを受け取った後、作った手料理を急いで温め直し始める。
    帰宅したタイオンは随分と疲れている様子だった。
    システムエンジニアが激務であるというのは本当だったらしい。
    腕時計を外し、ネクタイを緩めるその仕草にちょっとした色気を感じてしまう。
    働く男が疲れた顔をしながら武装解除していくさまは、まだ十代のユーニには何となくかっこよく見えるのだ。

    コンタクトを外して眼鏡をかけ、部屋着に着替え直したタイオンは息を吐きながら食卓に着く。
    温め直した夕食の皿を差し出すと、“ありがとう”と小さく礼を口にして手を付け始めた。
    タイオンは食事をとるとき、いつも姿勢正しくゆっくり上品な所作を忘れない。
    その折り目正しい手つきは、アイオニオンにいた彼と一切変わらない。
    そんなタイオンを、正面の席に腰掛け両手で頬杖を突きながら観察する。
    じーっと見つめていると、ユーニの蒼い目線が気になったのか眉間にしわを寄せながらこちらに目を向けてきた。


    「なんだ?」
    「おいしい?」
    「あぁ」
    「弁当食べた?」
    「あぁ」
    「美味かった?」
    「美味かったが、明日からは作らなくて大丈夫だ」
    「え?なんで?」


    意味が分からず首を傾げながら聞き返すと、タイオンはため息をつきながら箸を置く。
    なにか畏まった様子で両手を膝の上に置いたタイオンは、少し怒っている様子だった。


    「いいか。何度も言っているが僕と君は従兄妹という設定だ。そんな子がハートの桜でんぶを乗せた弁当を作るのはおかしいだろ」
    「えー、可愛いじゃん」
    「可愛いとか可愛くないとかそういう問題じゃない。僕を社会的に殺す気か」
    「じゃあ彼女ってことにすればよくね?」
    「女子高生の彼女を作る趣味はない」


    目を伏せながらきっぱり断言してきたタイオンの言葉は、あまりにも残酷だった。
    希望を持たせない明確な態度は大人としては正解なのかもしれないが、ユーニという一人の少女の心を傷つけるには十分な威力を発揮してしまう。
    そんなにばっさり言い切ることないじゃないか。
    むっとしながら抗議の目線を送ってみるが、タイオンはそれ以上何も言わなかった。

    一瞬だけこちらをちらっと見た彼だったが、フォローの言葉も撤回の言葉も何もくれない。
    大人というのは時に正しさを優先させるために他人を傷つけることがある。
    まだ十代のユーニには、タイオンの正しさからくる行動を“仕方ない”と割り切れるだけの度量はなかった。


    ***

    耳をつんざくような爆音と、鼻をつく硝煙の匂いがする。
    重たいエーテル銃を両手に抱えながら走る荒野は、砂ぼこりと火花が舞い散り、目の前の視界を塞いでしまう。
    夢中で駆け抜けているうちに、後ろからついて来ていたはずの仲間たちは1人もいなくなっていた。
    背後でそびえたっている巨大な鉄巨神は、つい先日黄金の名を拝したばかりである。
    数々の鉄巨神やレウニスを屠って来た黄金の鉄巨神は、不気味な巨体をしたバケモノによっていとも簡単に破壊されてしまう。
    もはや勝敗は決した。この戦場に勝機などどこにもない。

    一瞬にして灰となった味方のレウニスの群れを前に立ち尽くしていると、すぐ眼の前に見慣れない巨体がドスンと着地した。
    その瞬間、地面が僅かに揺れる。
    紫色の不気味な光を放つその目を真っすぐ見つめながら、何も抵抗できず命が消えるその瞬間を予感する。
    眉間めがけて迫りくる鋭い爪に怯えるこの光景は、いつの時代も脳裏に焼き付いて離れそうにない。


    「っ!」


    敷布団から飛び上がるように起きると、真っ暗なリビングが視界に飛び込んでくる。
    ただの夢だと理解した瞬間安堵したが、乱れた息はなかなか整わない。
    胸に手を当て必死に落ち着かせようとしても、心臓がバクバクと高鳴って仕方ない。

    今まで何度この悪夢に苦しめられたことだろう。
    あの不気味なまなざしに射抜かれ、苦しみながら死んだ夢は、アイオニオンで旅をしていた頃からこの心を蝕んでいる。
    あの時、自分の命を奪ったのも、この世界で自分の家族を奪ったのも、あの“デュルク”という男だった。
    自分はどの世界にいても、どんな生き方をしていても、あの男の存在に苦しめられるのが定めなのかもしれない。

    背中にじんわりと嫌な汗をかいている。
    ここにはもう、デュルクはいない。それは分かっているが、胸に襲い来る大きな孤独感や恐怖感は消えそうになかった。
    暗いリビングで、たった一人きりで眠るのは怖い。
    またあの夢を見るかもしれない。もしくは、家族を殺された時の夢を見てしまうかも。
    どうにも恐ろしくなったユーニは、枕を抱えながらそっと布団から立ち上がる。

    リビングを出て向かう先は、タイオンが眠っている寝室。
    そっと扉を開けると、布団をかぶって眠っているタイオンの姿がそこにあった。
    安らかに眠っているその横顔を見ていると、ひどく安心する。
    じっと見つめていると、その視線に勘付いたのかタイオンは目を閉じたまま口を開いた。


    「……なんだ?」
    「一緒に寝ていい?」
    「駄目だ」
    「頼むよ」
    「駄目なものは駄目だ」
    「お願い」


    懇願しても、タイオンの気が変わることはなかった。
    それでも一人きりで眠るのは嫌だ。
    何度も頼み込んでいるうちに、タイオンは深くため息をつきながらその褐色の目を開いてこちらを見つめて来る。


    「安易に男と一緒に寝ようとするな。少しは危機感を持ってくれ」
    「タイオンなら別にいい」
    「あのな……」


    タイオンは呆れているようだったが、当のユーニとしては至極真剣だった。
    彼は10歳という年の差に壁を作っているようだったが、ユーニの気持ちを阻む理由にはならない。
    この世界では大人と子供でも、アイオニオンでは対等な関係だった。

    今この瞬間も、心の均衡がとれたイーブンな関係になりたい。
    けれどそれは無理なのだろう。今の2人は、ユーニからの視線ばかりが熱を持ち、気持ちの大きさは明らかに釣り合いが取れていないのだから。
    タイオンの言葉を聞くことなくベッドの縁に腰掛ける。
    “おい”と咎める声がしたが、聞こえないふりをした。


    「嫌な夢見たんだ。だから一人で寝たくない」
    「……」
    「今夜だけでいいから。お願い」


    背中を向けたままお願いすると、彼はまた背後でため息を吐く。


    「心が昂っているんだろう。気持ちを落ち着かせれば一人でも寝れるはずだ」
    「落ち着かせられないから頼んでるんだろ?」
    「仕方ないな」


    ようやく一緒に寝てくれる気になったのだろうか。
    期待を込めて振り向くが、タイオンはこちらの期待に反してそっとベッドから起き上がった。
    ベッドを抜け出し寝室を出ると、彼はあくびをしながらリビングの方へと歩いて行く。
    遠くの方でリビング明かりがつく気配がする。廊下の向こうがぽうっと明るくなったと同時に、ユーニもその背を追って寝室を出た。
    リビングの方へ覗き込むと、キッチンに立っているタイオンの姿を見つけた。


    「なにしてんの?」
    「ハーブティーを淹れてやる」
    「えっ」
    「ハーブティーには心を落ち着かせる効果があるからな。嫌いか?」
    「全然。すき!大好き!」
    「そうか」


    タイオンが棚から取り出したのは、ローズマリーのハーブだった。
    アイオニオンにいた頃、彼が淹れるハーブティーには何度も助けられた。
    まさかこの世界でもタイオンのハーブティーを口にできるなんて。

    慣れた手つきでお茶を用意するタイオンの動きを横で観察しながら、ユーニは余計に心を躍らせていた。
    やがて、スイッチがONになっていた電子ポッドからことことと音が聞こえて来る。
    ポッドの小さな画面に表示されているデジタル式の温度表示が100℃になる直前、タイオンはスイッチを切る。
    沸騰直前で止められた熱湯をティーパックが入ったカップにゆっくりと注ぐ。
    そのひとつひとつの手つきが、なんだか懐かしかった。


    「なんで沸騰する前にスイッチ切るの?」
    「沸騰直前のお湯を使う方が美味く仕上がるからな」


    その答えは、ずっと昔にタイオンから聞いた答えそのままだった。
    あぁ、やっぱりタイオンはタイオンなんだ。
    別の人生を生きているけれど、彼は間違いなく、あの時ハーブティーを差し出してくれたあのタイオンなんだ。
    沸騰前のお湯のように、心がじんわり熱くなる。

    やがて、タイオンの手によって淹れられたハーブティーが完成する。
    キッチンに二人並んで立ったまま、差し出されたお茶のカップに口を着けた。
    舌馴染みがあるのはセリオスアネモネのハーブティーだが、今目の前で香っているのはローズマリーの香りである。
    味や香りは違えど、このハーブティーもとても美味しかった。
    温かい風味を舌で味わうと、タイオンの思惑通り心がすっと落ち着いてゆく。
    胸に渦巻く悪いものが浄化されていくような、そんな不思議な感覚だ。
    味も香りも全然違うのに、どこか懐かしい。


    「やっぱり美味いな、タイオンのお茶は」
    「君にハーブティーを振舞ったのは初めてだったと思うが?」
    「前にも飲んだことあるよ。あの時も悪夢を見た夜だった」
    「またあの空想の話か?」
    「現実だよ。アタシにとってはな」


    長い睫毛が生えそろった目を伏せ、ユーニは再びカップに口を着ける。
    そのどこか儚げな横顔を見つめていると、タイオンの胸に妙な感覚が芽生え始めた。
    遠い昔、この横顔を見たことがあるような気がする。
    そんなわけない。彼女とはつい先日出会ったばかりだ。
    ユーニの話す現実離れした空想話に毒されてしまったのかもしれない。
    ハーブティーをやけに美味そうに飲んでいる彼女の横顔を見つめながら、タイオンはこの不思議な感覚から目を逸らした。

    結局、2人が一緒の床で眠ることはなかった。
    ハーブティーで幾分か落ち着きを取り戻したユーニは、タイオンに促されるままに1人でリビングに敷かれた布団で横になる。
    リビングを出ていこうとするタイオンの背に“おやすみ”と声をかけると、彼は足を止め振り返る。
    “おやすみ”と返事をする彼は、柔い微笑みを向けてきた。
    この世界で再会した今のタイオンが、そんな風に優しく微笑む瞬間を始めて目にした気がする。
    その笑顔は少しだけ大人びていたけれど、あの頃のタイオンそのままだった。


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