Buon Compleanno!5月1日
誕生日というものは誰にでも平等にやってくる。人によってはその特定の日が1年に1回巡ってくるわけではないけど、それでも平等に年を取るのは変わらないのだ。とはいえ1歳年を取ったとて、朝起きた時の景色が変わるわけではない。
平日のど真ん中、円子令司はベッドに寝転んだまま、テーブルの上の時計を見上げた。まだギリギリ午前と呼べるような時間帯。個人事業主の良いところは、仕事の進捗さえ間に合えばある程度日程に融通が利くところだろう。なんとなく、マルコは今日と明日をフリーにしていた。世間はゴールデウィークのただ中なので、さしたる不都合もなかった。一瞬昼過ぎまで寝てようかという考えが頭を過るが、思い直して起き上がる。スリッパをすべらせるようにして歩きながらダイニングに向かうと、テーブルの上にラップをかけられた味噌汁とハムエッグの乗った皿がおいてあった。
「…今日は和食」
和食と言っていいか判断が分かれるところだが。少なくとも主食は米なんだろうとマルコは判断し、食器棚へと向かった。
アキレスと暮らすようになって、いつの間にか朝食は彼の、それ以外はマルコの担当になっていた。早起きが苦ではないほど朝に強い彼と、朝だけは絶望的に苦手なマルコの、利害が一致した結果だ。
朝練や授業がある日は、マルコの分をこう(って残しておいてくれる。それだから二度寝の誘惑を断ち切って起きてくるのだった。
「サプライズのメッセージもなし…」
皿の裏も、ランチョンマットの下も冷蔵庫の中もくまなく調べてみたものの、メッセージカードの1枚すらない。誕生日だということはこれ見よがしにカレンダーに丸なんかしてみたのだが、それも見ていないらしい。アキレスはああ見えてロマンチストなところがあった。それだから同棲する恋人の誕生日なんてイベントごとを無視するはずはないと思っていたのだが…。
「恋人ちゃうわ」
記憶の中のアキレスに切り捨てられて、マルコは胸を押さえた。こころなしかしょっぱくなってしまった味噌汁に口をつけつつ、マルコは今後の予定に思考を巡らせる。
アキレスがいつも通りだとすると、きっと部活の練習で遅くなるに違いない。夕飯を外に行くことも考えたが、「誕生日だからお祝いして」と自分から言うことはなんとなく負けた気がしてためらわれた。
「メールくらいはしてくれたりしないかな」
と寝室に置いてきたスマホを取りに立ち上がりかけたとき。
ガチャガチャ
忙しなく鍵が開く音がした。バタバタという足音と共にダイニングに現れたのは
「うわ」
アキレスだった。
「起きてたんか」
彼はジャージどころかTシャツにジーンズ姿で、手には薄桃色のビニール袋を抱えていた。どうみても部活どころか学校に行く姿ではない。
「先輩朝練に行ったんじゃないの?学校は?」
「部活ないし、講義は休講なったって昨日連絡きてん」
「…そうなんだ」
それは?と聞こうとすると
「あー…ミスったわ」
自分もっと遅くまで寝てると思っててんけどなあと袋をテーブルの上に置きながらアキレスは愚痴る。彼がビニール袋の中から取り出したのは真っ白い正方形の紙箱。少し大きめのそれの上についた取っ手と、貼り付けられたロウソク。その独特なフォルムは、中身が何なのか間違えようがなかった。
「ケーキ?」
「せやで」
「何で?」
「は?」
アキレスが硬直する。彼は壁のカレンダーとケーキの箱とマルコの顔の間で忙しなく視線を巡らせつつ
「え、自分…今日誕生日よな?ちゃうかった?」
「誕生日だけど?」
「せやったら紛らわしいリアクションすなや!間違えたかって焦ったやろ」
「いや…先輩気づいてないかと思ってたから…」
「あんなデカデカ書いといて気づかんわけないやろ!俺のことどんだけアホやと思ってんねん!」
「…で、ケーキ買ってきてくれたの?」
「予約したんや!それを受け取って、自分が寝てる間に冷蔵庫に隠しといて、夕飯のときにバーンッ!と出そうとしたんやけどな」
起きてくるの早いわ、ともう昼に近い時間とは思えないクレームを受けてしまった。
「まあ先輩隠し事絶望的に下手だから、遅かれ早かれ…っちゅう話だよ」
「ありがとうとか!嬉しいとか!まずはソレやろ!!」
アキレスの怒りをいつものように受け流し、マルコは立ち上がってケーキの箱を引き寄せた。
「開けていい?」
返事を待つことなく、シールを剥がして箱の中身を取り出した。
「ねこ…?」
ドーム型のケーキは生クリームとチョコクリームでデコレーションされたネコの姿をしていた。メレンゲの手でホワイトチョコのプレートを支えている。
「可愛いやろ!」
アキレスは得意げな様子で説明を始める。
「グラウンドの裏にあるケーキ屋なんや」
「先輩、ネコ好きだったっけ?」
「いや?でも可愛いやろ。こういうんで誕生日祝ってみたかったから…」
自信をなくし、だんだんと小さくなる声に、マルコは少し吹き出してしまう。
「何がおかしいんや!」
「ごめんごめん。先輩が一生懸命選んでくれたんだよね?ソレが可愛くてつい…」
アキレスの腰を抱き寄せてこめかみにキスをすると
「そんなんで誤魔化されへんからな…」
とすっかり丸め込まれたような声音で返事がきた。マルコはケーキに添えられたプレートを指で摘む。
「おたんじょうびおめでとう」
というプリントの下にチョコペンで
れいじくん
と書かれていた。
「ひらがなしか書けんって言われて…。自分名字が女の子みたいでイヤやって言うてたやろ。せやからこっちにした」
「れいじくん…」
「名前もイヤやった?」
「アキレス先輩、読んでくれる?」
「え?え?」
「いいから。ハイ」
「えー…「おたんじょうび、おめでとう れいじくん」」
「ありがとう」
アキレスを抱きしめる。
「で?プレゼントは?」
「は?ケーキでええやん。あかんの?」
「プレゼント欲しいなぁ…」
「そんなん言うても俺金なんかないで」
「じゃあよくあるやつ…なんでも一つだけ、俺の言うことを聞く」
「…嫌な予感しかせぇへん」
「大丈夫、簡単だよ。今日一日、俺のこと「令司くん」って呼んで欲しいっちゅう話だよ」
「は?」
「それかこないだ買った女装セット着て市中引きずり回しデートでもいいけど」
「あれは捨てたはずやろ、令司クン!」
飲み込みの早いアキレスに、マルコは満足げに微笑むと
「ケーキは夜食べようね、礼介くん」
と口の端にキスを落とした。
誕生日は誰にでも平等にやってくる。
それでもこんな贅沢な誕生日はそうそうないだろう。抱きしめられたアキレスの手がおずおずと背に回るのを感じながら、マルコはそんなことを考えていた。
おわり
「ケーキ真っ二つにするん可哀想やな」
「じゃあ輪切りにしようか?」
「なんでそんな恐ろしいこと思いつくん?」