ピンクッション 3「一生恨むぞ、ジャック」
入隊式の後、充血した目をした真っ赤になった目もとを晒しながらやってきたデュースを前にジャックは大口を開けて笑った。彼はぶすくれた表情で頬を膨らませている。容貌は大人びたのに、少し子どもっぽい仕草は変わっていない。
春のあたたかな風がふたりの頬を撫でる。ホールの外はまだ初々しい魔法執行官たちの姿が疎らに残っていた。音楽隊のミーティングをこなし、メンバーたちに肩を叩かれ頭を撫でられて送り出されたジャックは、ホールの外で待ち伏せをしていた久しぶりのかつての同級生と向かい合っていた。
「新入隊員代表の挨拶なんて一生に一度の晴れ舞台だったってのに、ボロボロになったじゃないか!」
「いや、あれはあれで伝説に残っただろ」
「だいたい卑怯だぞ、お前は僕がいることわかってたけど、僕はお前が警察音楽隊になっていることも今日ここで演奏することも知らなかった!」
「広報とかにも出ないようにしてもらってたからな。ざまあみろ」
ジャックが心の底からそう言うと、デュースはますます顔を真っ赤にした。
久しぶりだと言うのに、会話のテンポは昔のままだった。そのことにほっとする。
本当は、ホールから出ても彼が待っていなかったらどうしようかと思っていた。勝った、とは思ったし満足もしていた。だが、それだけで終わるのはあまりにもやるせない。
デュースはひとしきり喚いてようやくひと心地ついたらしい。まだ少々鼻息荒かったが、やがてすうと息を吸うとににやりと笑った。
「……だが、きちんと届いたぞ、ジャック」
そう言って魔法執行官のエンブレムが刺繍された胸ポケットのあたりを自身の拳で叩く。
「演奏、すごかった。お前、僕の門出を祝ってくれたんだよな!」
得意そうに顔を輝かせて言うデュースに、ジャックはコントのようにずっこけた。
全ッ然、伝わってねえ!
ジャックは叫びたくなったが、これが己の今の実力だ、とぐっと堪えた。
それに、ヴィル曰くのデュースのたまに正解を掴み取るその勘の良さは、実は日々の研鑽や反復が遠因であることを隣にいたジャックは感じていた。これだけの歳月離れていた自分たちふたりの関係で、伝えたいことを正確に掴み取ってほしいなどと言うのは傲慢だろう。
「違う。お前馬鹿だな、相変わらず」
「なっ、これでも新入隊員の代表になったんだぞ!」
「そういうことじゃねえよ……」
ジャックの呆れた声に、デュースは首を傾げる。
口を噤んで考える。これでは学生時代と変わらないのだ。ジャックは希望を伝えるのが下手だが、存外わかりやすいところがあり皆それを汲み取ってくれていた。デュースはその最たるものだ。馬が合うからポンポンと心地よく何のストレスもなく会話が進み、居心地がよかった。
再会できたのは言葉でない音楽の力だ。だが、本当に伝えたいことはやはり言葉でストレートに言わなければいけないのだろう。
ジャックは息を吐くと覚悟を決めた。
「お前が走っていくのは、もう仕方ねえ。やめろって言っても聞かないこともよくわかった。だから、絶対帰って来いって、そう込めたつもりだ」
恥ずかしさを押し殺し、彼を見つめてそう言った。
デュースはきょとんとした後、怪訝な顔をした。
「合ってるじゃないか」
「あ?」
「僕の門出を祝ってくれたんだろ?」
ジャックは己の言葉を反芻し、そうなるのか? と考えこむ。だが、やはりどうにもずれている気がする。
しばらくふたりはお互いを見ながら考え込む。
もういい、と言うこともできたかもしれないが、ジャックはなんとなく、この齟齬は正しておかないといけない気がして必死に考える。
芳しい花の香りと、ホールの周りで散歩をする人々の囁き。
日差しの暖かさと、この後に及んで何を言えばいいのかわからない自分への憤り。
やがて、ジャックの中でひとつの言葉がかたちになる。
「……絶対、帰って来い。俺のところに」
デュースが目を見開く。
「そう伝えたかった。でもそれだけじゃ足りないとも思った。だから、帰って来いと伝える手段として音楽を手に入れて、同時に警察官としてお前と一緒に走る力も手に入れた」
「警察官……」
「俺は音楽隊兼務の警察官だ」
「兼務? そんなことあるのか?」
「今のところ俺だけだ」
デュースが目をまん丸にして息を吐いた。
「ジャックはすごいな!」
久しぶりに聞く、彼の素直な感嘆の言葉だった。
ジャックははにかむように笑うと、そっと瞳を閉じ、あのときの迷いなく走っていったデュースの姿を思い出す。
俺の願い。俺の望み。
俺の言葉はお前を変えることはおそらくできない。お前は危険の中にも突っ込んでしまうだろう。
それでも、どうか。
今度こそ一緒に走る。それでもまたひとりで走って行ってしまうときには。
絶対、帰って来い。俺のところに。
目を開くと、成長したデュースがいる。ジャックは柔らかく微笑むと言った。
「今度こそ伝わったか?」
「ああ、わかってる」
「本当か?」
俺のところに、ってところに関しては?
そう付け加えたジャックに、デュースはさっと頬を赤くした。ジャックはにやりと笑う。
ずっと、こいつの心を揺さぶることを考えてきたが。
やはり俺は勝ったんだ。
そうジャックは思ったが、伝えないことにする。
負けず嫌いのデュースが何のことだとムキになって「俺のところに」という箇所に関しての返事を有耶無耶にしてしまいそうだと思ったからだ。
こちらだって、デュースの気持ちを読むことには長けている。彼の表情で返事はもうわかったようなものだ。それでも。
「俺も言葉が欲しいんだ」
ジャックはそう、真っ直ぐにデュースに告げた。