王様の日常 マレウスは写真を撮るのが下手だった。写真が身近なものになったのは、ナイトレイブンカレッジに進学して、ケイトと同級生になったときだった。もともとリリアに進学したばかりのときに通信機としてスマホを渡されていた。スマホが電話以外にもマジカメというアプリケーションを使って世界中の人びとと通信することができるとそのとき初めて知った。
茨の谷では今でこそ市井の間では写真が普及しているが、王族にとって姿を残すといえば肖像画だし、家族の記録は従者や家族内の記憶が頼りになる。権威と秘匿性は切っても切れないもので、特別な存在としての役割を果たすためにも、ドラコニア一族の生活というのは長くヴェールに包まれるものだった。
その長く続いて伝統にもなっていた事柄が変わったのはここ数年の話である。
「ふうむ、だいぶ上手くなったようじゃの、マレウス」
長方形に切り取られたマレウスの見た世界が、すぐに写真としてスマホに残る。手元に表示される写真を見ていたら、重臣のリリアが画面を覗き込んできた。マレウスの世界を広げてくれた恩人の言葉に、マレウスの表情が和らぐ。
「そうだろう。だが、リリアほどではない」
「そりゃあ、わしは上手いからの〜」
謙遜に対して遠慮のない言葉が返ってきても、マレウスの機嫌は損なわれたりはしない。事実、リリアの写真は過去にケイトが唸るほどのものだった。動体視力と、何よりシルバーのことを記録に残そうと試行錯誤した経験によるものだろう。もうインフラとして機能しているマジカメで、リリアのアカウントのフォロワーは万単位にも上る。
写真は加工するという術もあると学んだのは、ナイトレイブンカレッジを卒業してからのことだ。だが、マレウスはその方法を好まない。自分の目で見たものよりも劣っていても、自分が残そうと思ったものに一番近いからだ。
写真のアップロードの方法はリリアから学び、最近マレウス一人でも出来るようになった。
マジカメはタイトルは必要ないが、写真だけではなく一言添えるようにしていた。そのほうが後から見返したときに、楽しいからだ。
しかし、それが案外難しい。アップロードの前の数分間。ふうむ、と唸って画面を撫でる。悩んだ末に短く打ち込んで、送信。
「んん……」
その途端に、ベッドの上に投げ出されていた自分のものではないスマホの画面が点滅する。振動に気がついて、ベッドの上で丸くなった身体が伸び上がり、寝返りを打ってマレウスが撮って収めていた姿は綺麗になくなった。
無防備な姿に自然と口角が上がり、まだ瞼を持ち上げない男の豊かなたてがみを撫でた。喉奥で響く振動の音も、動画で残そうとすれば出来なくもないだろう。だが、隠しておきたかった。世の中に公表するものとそうでないものの区別は、自分から公表するようになって初めて意識し、ようやく慣れてきたところだ。
大きな窓の向こうは薄曇りだ。この茨の谷では珍しくなく、雲のカーテンに包まれた陽光は大きな獅子の眠りを妨げることはない。
ただ、起きたら怒られそうな一言を付けたと思い出した。だが小言ぐらいは聞いてやろう。リリアいわく、被写体がいれば上達するという。その言葉に違わず、彼との結婚式を境に写真を撮り始めたマレウスの腕は傍目から分かるほどに上達している。怒られる程度なら、彼の貢献に免じて目を瞑れる。
本当にお前は自分のことを棚に上げやがって。そんな憎まれ口を想像していると、マレウスの掌に重みが乗った。爪が当たらないように指腹で撫でてやりながら、その光景をまた写真に収めたくなる。
「はあ、そろそろ退散するかのう」
「仕事には十五分後に戻る」
呼びに来たリリアは肩をすくめて出て行き、再びマレウスはスマホを構えた。マレウスの蒼白い肌とは異なる褐色の肌の艶めきまで収められないのが惜しかった。
僕の仔猫。
マレウスのマジカメにアップされる写真は、今日も全世界に発信されて万単位のリツイートによって人びとの間で共有されていた。