病床ラバー!ヴィル編あと1時間後には集合時間だというのに、たった今ヴィルのスマホに届いたメッセージは無情なものだった。
「なによ延期してほしいって…!」
久しぶりにヴィルのスケジュールが空き、漸く叶いそうだった麓の街へのデート。その当日に『本当にごめんなさい、どうにか延期してもらえませんか』と監督生から連絡があったのだ。
当日どころか、ヴィルは既に身支度を終えていていつでも彼女を迎えに行ける状態にあった。
「それでこの仕打ちって、直接理由を問いたださないと許せないわ!」
出発前には必ず行う鏡前の最終チェックも忘れるほどの勢いで自室を出て、一目散にオンボロ寮へ。
「昨日までに何か気に障ることでもしてしまったかしら?それとも有り得ないほどの課題を出された?あの子に限って浮気は無いでしょうし…」
スピードを落とさないように走りながら悶々とドタキャンの経緯を思案するも、どれも思い当たる節が無くて余計に迷宮入りしてしまいそうだった。そもそも不誠実とは縁がない監督生が、こんな時間に急な連絡を入れてくること自体不思議である。
どうしたって納得出来ず、やはり本人の顔を見ないことには腹の虫が収まりそうもなかった。
「…入るわよ」
随分遠く感じたオンボロ寮にやっとの思いで辿り着き、チャイムを鳴らそうとしたが止めた。万が一やましい事があれば監督生は出てこない可能性もある。だとすれば最初から合鍵を使って入ってしまう方が賢い。こんな理由で使いたくはなかったが、背に腹は代えられないのである。
ヴィルはオンボロ寮の大きな扉に手を掛けて、なるべく音は立てないように建物の中へ。そして彼女の自室に1歩ずつ近付いて行った。
「ケホッ、ゴホゴホ」
「…?」
「ぅぅ~~……。ティッシュ………」
「子分~大丈夫か…?」
「………」
監督生とグリムが寝室に使っている部屋の前。あと扉1枚向こう側に彼女がいるというところまで来て、部屋の中から声が聞こえた。
声と言うには余りにも弱々しくて、そして余計な雑音も混ざっている。グリムの声音もやたらと心配そうで、そこまで聞いてやっと事態を飲み込めてきたヴィルは、家主の許可も取らず勝手に扉を開いた。
「ユウっ」
「ひゃ!」
「ふなぁっ!?ヴィル!??」
「やだちょっと、アンタ大丈夫!?」
「だ、だいじょ、ゲッホゴホ」
部屋に突撃して、はっきりと確信した。ベッドの周りに置かれた水のペットボトルとマスク、箱ティッシュとゴミ箱。そして虚ろな目をして鼻を真っ赤にした監督生。
この子ったら、風邪を引いたのね。
それが分かった瞬間に安心と心配が一気に押し寄せて、脱力したい気持ちを抑えて彼女のいるベッドの隣へと急いだ。
「あ、だ、だめ、近寄っちゃ…」
「何言ってんのよこんなになってて」
「ちが…ズビ、先輩に移せない、から」
「そんな簡単に移るほどヤワじゃないわよ」
「う」
どうやら監督生は、昨晩から様子がおかしいと思いつつ放置していたら、今朝になって咳と鼻水が止まらなくなったらしい。ずっと隣にいたグリムも「寝てる間におかしくなっちまった」と評するほど、一晩で悪化したようだった。
「なんで正直に言わないのよ、変に勘ぐっちゃったじゃない」
「お、怒られる、体調管理出来てないって、ケホ」
「それはそうね。でもなっちゃったもんは仕方ない」
「移しちゃう」
「気遣いはありがたいけどアタシは平気」
「ズビ……鼻水でぐずぐずの顔…見られたくない…」
「…それが本音ね?」
「……」
つらつらと理由を並べていく監督生。恐らく全て本心ではあるのだろうが、最後の一つこそが、最も顕著に乙女心が絡んでいるなとヴィルは思った。
実際、今の監督生は咳で頭がボーッとしているようで、目がとろんと半開き状態。鼻の頭はティッシュでかみすぎて真っ赤で、少し乾燥もしているようだ。普段から身嗜みはきちんとするように伝えているし、これを恥ずかしいと感じて自分に見せたくなかったのであろうことはよく分かる。よく分かるが。
「…アタシが何かしちゃったのかと思って焦ったじゃない…」
「……そんなわけない、私も…デート、したくて…」
「そうよね。次からはきちんと言いなさい」
「はい、ごめんなさい…」
「そうしたら、アタシが1日中看病してあげるんだから」
「でも…」
「でもじゃないの。行き先より、アタシはアンタと一緒に居たいんだから」
「ヴィル先輩…」
辛そうな頭を抱えて抱き締める。自己嫌悪に陥りそうな彼女の髪をよしよしと撫でて、グリムに断ってヴィルもマスクを1枚拝借した。
「早く良くなってリベンジ出来るよう付きっきりで面倒見てあげるわ」
「ッゲホ、…お願いします」
ニヤリと笑って伝えればやっと監督生にも笑顔が戻る。満足したヴィルは、まずは咳止めの魔法薬を煎じるわとデートのための勝負服から実験着に着替えた。