ユリベル初夜的な何か「あ、ああああの! こ、これは、どどど、どういうことですかああああ!?」
ベルナデッタはユーリスに抱き締められていた。ベルナデッタがユーリスを、ではなく、ベルナデッタがユーリスに、である。
「どうも何も、旦那が嫁を抱いてるだけだろうが」
ユーリスの声が、息が、耳元をくすぐった。寝台の上とはいえ、別に横になってもいないし服もはだけてはいない。ただのハグ、といえばそれまでだが、今までかつてユーリスにここまで密着されたことはなくて、ベルナデッタは困惑していた。
「な、ななななんで、えっと、その、ユーリスさん、どうしちゃったんですかあああああ!」
苦笑するような気配。
「どうした、ってなあ。俺はずっと、こうしたかったぜ?」
ユーリスの手のひらが背をなぞる。一層強く腰が抱き寄せられた。
「ッは、離してくださいいいい! ここ、こんなのベルおかしくなっちゃいますうううう!」
「おいおい、いつも俺様に抱きついてんのはお前だろうが。なんで自分は良くて俺はだめなんだ? ほら、力抜けよ」
「ひえっ、む、無理ですうううう!」
くつくつ笑う声が耳をくすぐって、揺れる体と息遣いが密着した肌から伝わる。何がなんでも離れたくなくて、半ば無理矢理結婚して、だけどユーリスはずっと優しい友達の顔をしていて、だからそんな関係になることなんて考えていなかったのに。
「ベル」
耳元で囁かれた声は、今までになく甘かった。壊れものにそっと触れるみたいに、優しい声。それとは真逆に強く強く抱き締める腕。
「ッ……あ、うあ、はうあああ」
こんなの、おかしくなってしまう。
「初夜は、どうする?」
「ッ……あ、えと、でも、し、しないと……」
本当はずっと考えていた。言い出したらユーリスは戸惑うだろうかとか、嫌がるだろうかとか、いやそもそもそんなこと自分から言えるのだろうかとか。まさかユーリスから言われるとは思わなかったけれど。
「別に義務感でするもんでもねえだろ。どの道、世襲なんてもんも消えてくだろうしな。俺は……してえけどな?」
「ッ……ベ、ベルは…………」
したい、と言うのは怖かった。緊張もするし、痛そうだし、裸を見られるのも押し倒されるのも、想像するだけで怖くて恥ずかしくて無理だ。ただ、ほんの少し憧れるみたいな気持ちもあった。ユーリスと、一線を越えることに。
「怖いよな」
まるでわかってたみたいに、ユーリスは笑う。手のひらが優しく頭を撫でた。
「は、はい……」
「なら、このまま寝るか」
「ッ……、い、一緒に……ですか?」
「当たり前だろ」
「そっ、そそそ、そう、ですよね……」
全然眠れる気がしない。
「………………」
「………………あの、ユーリスさん?」
「ん?」
「その、い、いつまで、その……」
この体勢のままなんですか、と聞いたら離されてしまいそうで言い淀む。まだ離れたくないとも思うけれど、ほんの少し苦しい。それに、この体勢だと顔が見えない。
「……ベル。接吻はいいか?」
「ッせ!? せ、せせせせせ、せっ……!? い、い、いいいい嫌とかその、えっと、あのお!?」
「ははは、かわいいなお前」
「かわッ!? あ、あのユーリスさん本当にどうしちゃったんですかああああ!」
ユーリスの腕がスルッと解ける。体が離れて、指先が頬を撫でた。真正面から覗いたユーリスの瞳には熱が渦巻く。男の人の顔だ、と思った。こんなユーリス、見たことがない。
「してみるか?」
目は逸らせないまま、微かに頷くと、唇が重なった。柔らかい感触が触れる。自分のではない熱がやたらと熱く感じられた。啄むように触れられて、時折舌先が唇に触れる。怖くなってユーリスの腰に腕をまわすと、頬を支えていない方の手が後頭部を支えた。
ぐっと、唇が押し付けられて、噛みつくみたいに唇を食まれる。
「ッ……ん!」
急に恐ろしくなってユーリスの体を押し放した。もがくように顔を背けると、ユーリスの顔が離れる。
顔が真っ赤になってるのがわかった。ユーリスの顔を正面から見られない。唇がユーリスの唾液で湿っていたのを、片手で拭った。
「嫌だったか?」
「ち、違います! 違うんですけど、えっと、その……と、突然で、びっくりして」
「そうか。なら、今度は平気か?」
ユーリスの指がツウっと頬を撫でた。顎の下に潜って、顔を上向かせようとするのに抗って顔を背ける。
「だ、だだ、だめですううううう!」
こんな顔見せられない。両手で顔を覆うと、ユーリスの手が頭ごと抱き寄せた。
「はは、わかったよ。んじゃ、寝るか」
「……はい、そうですね」
「なんか残念そうだな?」
「いっ、いいいやそんなことないですよお!?」
ユーリスが片手でランプの灯を消して、ベルナデッタを抱いたまま横になった。ぴったりと抱かれたまま、ユーリスの規則正しい息遣いが聞こえる。
「寝ないのか?」
不意に囁かれてびくうっと体が跳ねた。
「え、こ、このままですか?」
「嫌か?」
「い、嫌じゃないです……けど……」
寝苦しい。この体勢では寝返りも打てない。ユーリスに抱かれていること自体は嬉しいのだけれど、大きな手のひらだとか肌を撫でる吐息だとか、そういうものを意識してしまって体は強張っている。眠れる気がしなかった。
「……お前の体は、柔らけえなあ」
「ッ……そ、そうでしょうか……」
「ああ。ふわふわしてる」
「ふっ、ふわふわ、ですか? いや、それはさすがに」
「それに、いい匂いだ」
スン、と鼻の鳴る音がした。ググッとユーリスの体が前傾して、ベルナデッタの首筋に鼻先が触れる。もう頭が爆発しそうだった。ふわふわというなら、この心地の方がよっぽどふわふわだ。夢でも見ているみたいなのに、体はどうしようもなく熱いし、心臓は今にも口から飛び出しそうなくらい弾んでいる。
ふと、足の付け根に硬いものが触れた気がした。なんだろう、と思って手で探る。不思議な感触がして、熱をもっている。形がよくわからなくて手探りで触っているとユーリスが震えた。
「ッ……馬鹿、やめろ」
「えっ」
手が止まる。なんで触ってるのがわかったんだろう、と心の底から思って、ようやく察した。自分の馬鹿さが恥ずかしくなる。だって、知らなかったんだから、男の人の体触るのなんて初めてなんだから、仕方ないじゃないかと心の中で言い訳する。
「くくッ、お前なあ……」
「いっ、ちがっ、その! し、知らないものが気になっただけでえええ! 決して、その! そういったつもりではああああ!」
「ほー、気になった、か。そんなら、じっくり見せてやろうか?」
「えッ、遠慮しておきますうううう!」
「遠慮すんなって。気になったんだろ? それとも、本気で何かわかんなかったか?」
「わ、わかってましたよ!」
言ってしまってから失言に気づいた。わかんなかった、と言うのが嫌で言ってしまったのだが、これではわかっていながら撫で回していた女になってしまう。
「そうか、なら、俺も触っていいよな?」
「えっ、いや、えっと」
どうしよう。どっちへ行っても行き止まりの道にいる気分だった。そうこうするうちにユーリスの手が腰を滑って下へ降りていく。
「痛くはしねえよ」
「ちょ、ちょっとだけ、ですからね」
「……お前それ他の奴に言うなよ」
「い、言いませッ……あうああっ!?」
ユーリスの手が、服の上からそこを撫でた。そう、ただそれだけだ。撫でただけだ。なのに、不思議な感覚がした。気持ちいいのかもよくわからない。くすぐったい気もしたが笑い出したいような気持ちもしない。ただ気づけば逃れようとして腰を捩っていた。
「逃げるなよ」
囁くユーリスの声が笑っている。
「えっ、だって、な、なんか、変な……」
「ん? 感じてんのか?」
「かっ、感じてなんて!」
「感じて、みたくねえか?」
「かっ!? む、むむ無理ですううう! 絶対! 絶対に無理いいいい!」
無茶苦茶に手を突き出して逃れようと抵抗した。
「ッわかった。わーったから手を突っ張んじゃねえ」
「絶対! 絶対ですよ! もうベルの体に触らないでくださいねええ!」
我が身を守るように両腕で抱いて、ギュッと目を瞑って叫んだ。
「……はあ、悪かったよ」
どこか寂しげに聞こえた声に、ベルナデッタは目を開く。なんというか、勢いに任せて取り返しのつかないことを言ってしまった気がした。ユーリスは目の前で背を向けてしまっている。
「あ……。え、えっと……ユーリスさん……?」
「ん? 寝るんだろ。おやすみ。ベル」
「は、はい。おやすみ、なさい……」
翌日も翌々日も、それから一週間が経っても二週間が経っても、ユーリスはベルナデッタに指一本触れようとしなかった。
別に普通に楽しく話せているし、以前と何も変わらない。抱きしめられないのはいつも通りで、そんなこと忘れたみたいに友達の距離感で、夢でも見たんじゃないかとさえ疑いたくなる。でも触れられた時の熱さとかくすぐったさはとても夢ではあり得ない。
「おい、灯り消すぞ」
その日もやっぱり、何事もなく夜を迎えた。
「ま、待ってください!」
「あ?」
「あ、あの……! あたし……す、すみませんでしたあああああ!」
寝台の上でそのまま突っ伏して土下座する。
「……は? お前、また何かしたのか?」
「ま、またってどういう意味ですかあああ!? あたし、そんなに色々やらかしてるんですかあああ!?」
「冗談だよ。んで、何を謝ってんだ」
ユーリスが灯りを消すのをやめてベルナデッタに近づく。
「ベル……さ、触らないでなんて、言っちゃって。あたしたち、ふ、夫婦なのに。あたしが、我慢しなきゃいけなかったんですよね……。なのに」
「いや、んなわけねえだろ。俺が……性急過ぎたんだろ。こっちこそ悪かったよ」
「で、でもッ……ユーリスさん、ずっとここに、いてくれますか?」
ユーリスは首を捻る。
「……は? 当たり前だろ」
「あ、あたしが……触っちゃだめって言ったのにですか!?」
「お前なあ……」
ユーリスは呆れ返った顔でため息を吐いた。
「な、なんでため息なんですかああ!? あたし、嫌われちゃうかもって」
「んなことで嫌うかよ……抱けねえからって嫁放り出すほど俺は落ちちゃいねえよ。話がそれだけならさっさと寝」
「ま、まだです! まだ話は終わってません! あ、あたしに……! さ、触ってもいいです!」
「……別に無理すること」
「無理じゃないですううう! あたしが、さ、触って、欲しくて……」
「そうか」
ユーリスはおもむろに灯りに手を伸ばす。ふっ、とあたりが闇に包まれた。一瞬真っ暗になった視界が、闇に慣れた時にはユーリスは目の前まで来ている。
「来いよ、撫でてやる」
ベルナデッタを迎え入れるように、ユーリスが腕を広げていた。
「あ……え、えっと……」
ベルナデッタは手を伸ばした。でもどうすればいいのかわからない。とにかく触るんだ、という意識が先行した結果、気づけば指先はユーリスの頬を撫でていた。
妖艶に微笑んだユーリスの手が、ベルナデッタの手を包み込みように触れる。
「ベル」
慈しむように、その唇が優しく名前を紡ぐ。
「ッ……ユーリスさああん!」
どうすればいいのかはわからないまま、感情の赴くままに体当たりした。しっかり受け止めたユーリスの手がベルナデッタの腰にまわる。頭を撫でられて、腰から背に、背から肩へと手のひらが滑る。
「どうだ?」
「き、気持ちいい、です。なんで」
ただ撫でられているだけなのに、大きくて温かい手のひらが心地良くて目を細めた。もっと撫でて欲しい。でも前回のことを思い出すと不安になる。もしもこの先を、求められたら。
「ん。大丈夫だから、んな緊張すんな。力抜いて、楽にしてろ」
「ッ……あ、あの」
気になって、聞くことにした。
「どうした?」
「ち、ちゅー、しますか?」
「してえのか?」
「えっ、こ、心の準備がああああ!」
「ははは。なら、このまま寝るか?」
「このまま…………まだ、寝たくない、です」
あやすように撫でる手のひらが心地よくて、言葉とは裏腹に、眠くなってくる。