言葉よりも あれ以来、距離が縮まったのは事実だった。それはいいことだと世良は思っていた。スタメンを争う関係性ではあるが、だからこそ険悪でないことが大事なのだ。今日も持ち前のヘラヘラした笑顔を貼り付けながら堺に話しかける。
「堺さん、昨日何食べました?」
「は?」
何だよそれ、認知テストかよ……そう呆れたような声で返ってくる。ああ、微妙に失敗したのかもしれない。
仲良くはしたいが、共通の話題なんてものはない。サッカーという最大級のつながりはあるものの、逆にいうとそれだけなのだ。年齢差のせいもあるのかもしれない。いや、それよりも人間性が違いすぎるのか。自分は落ち着いて物事を進めるのがめちゃくちゃ苦手だ。寡黙が服を着て歩いているような堺にとっては、存在自体が鬱陶しいのかもしれない。
実際に、向けられる視線はおしなべて冷ややかだ。
以前ならこれはチーム内の状況によるものだと諦めていたのだが、堺の対応が軟化した今となっては、その理由付けも叶わない。嫌われているわけではないのは分かる。ただ、その顔にはありありと書いてある。本当にお前はバカだなと。
「俺好きでバカやってるんじゃないんですが」
つい独り言のように口にしてしまう。堺の顔が、一瞬戸惑いに強張る。
「んだよ突然」
「いや俺だってつらいんすよ。けど頭回んないんだから仕方ないじゃないっすか。堺さんみたいに理路整然に話すとか到底無理だし」
「なんでいきなりそんな卑屈になってんだよ」
「堺さんがそういう顔すんのが悪いんじゃないすか」
世良は大きくため息をついた。
口にして、すぐに襲ってきたのは後悔だった。まるで言いがかりのような言葉だった。この後悔先に立たずを地で行くところも自分の浅はかさだと思ってはいるが、どうしても言葉が先に出てしまうのだ。
しかし、世良の意志とは違うところで歩き始めた言葉は、それなりに効果があったらしい。「悪かったな、メシでも行くか」と堺はあっさりと誘ってきた。
堺が連れて行ってくれた店は、浅草寺周辺に居を構えている創作料理系の居酒屋だった。時間が早いせいで客はまばらだ。ロールカーテンで仕切られたテーブルに腰掛けるなり、堺は世良にメニューを手渡してくる。
「ここ食い物はそこそこだから。あ、今日はアルコールなしな。車だから」
「了解っす」
食事には気を使う人だけに、写真に映る料理の数々はとても美味しそうに見えた。油淋鶏風唐揚げとか帆立のアヒージョとか揚げ出し豆腐とか並んでいて和洋折衷もいいところなのも面白い。
「堺さん何が好きなんです?」
「何でも食うけどさ、もう色々考えてるうちに忘れかけてんな、そういうの」
「色々って、栄養バランス的なヤツの話ですよね」
「ああ。食いたいものじゃなくて食わなきゃいけないもの、って方にシフトしちまうんだよな」
「あー、つらいっすねプロフェッショナル」
「お前だってそうじゃねえか……」
結局世良は堺のセレクトに任せた。前菜野菜肉類をバランス良く注文を入れていく姿を見つめながら、やっぱり堺さんはクレバーなんだろうな、と思う。
賢い、ということはもしかすると、あまり楽しいことではないのかもしれない。行動が目的ではなく結果ありきになってしまう。ということは自分の心というものを見失ってしまうのではないか。堺が寡黙なのもそこに一因があるのかもしれない。言葉の行き先を考えているうちにがんじがらめになって、結局は口をつぐんでしまう、というのは自分にだって経験がないとは言えない。
だとすると、こうして時間を共にして距離を詰めることに意味はあるのだろうか。自分は堺という人間を知っていきたいと思うが、堺という存在は一体どこにあるのだろう?
テーブルに置かれたグラタンもチリソースもとても良くできていて本当に美味しかった。そのことを率直に告げると、堺は照れたように笑ってくれた。たぶんこの表情は作られていないものだと思うが、果たしてこの人が紡ぐ言葉に真実はあるのか。
さすがにあの時にかけてくれた言葉、あれだけは本物だと信じてはいるが。
「まあでもさ、だいぶマシになったんじゃねえの?」
やがて、一通りの食べ物に箸が付けられた頃合い、堺が口を開いた。世良は顔を上げて堺を見つめる。視線はわずかに伏せられていたが、口元は笑みをともなっている。
「マシ、って何のことです?」
「色々だよ。プレイのこと……も勿論そうだし、言動とか、何というか」
珍しく言い淀んでいる堺に世良はあっさりと聞いた。「少しはバカがマシになったっていうことですか?」
「……言葉は悪いけどそういうことかもな」
堺は眼差しを伏せたまま、ゆっくりと息を吐いた。
これはある意味認められた、ということなのだろうか。しかし、これはいいことなのだろうか。少しずつ賢くなっていく、ということはもしかすると心を失っていくことなのかもしれない。大人になると子供の純真さが失われることと一緒で、自分からも何かが欠落していくのだろうか。
あれほど能力の低い自分に思い煩っていたくせに、いざこうなると抵抗がある。
自分もいつか堺みたいになるのだろうか? ……いや、それはないな。
「堺さん、あざっす……」
世良は口頭では礼を述べながら、じっと堺を見つめる。さっきからずっと疑問に感じていたことについて考える。どうしてこの人は目を合わせようとはしないのだろうか。まるで何か思い煩ったことがあるかのように、憂いさえもともなっている。
その答えがさっぱり見出せない間は、とても賢くなれそうにない。世良は半ば諦めかけながらその表情をずっと見つめた。
「お前の視線、マジ鬱陶しい……」
やがて敗北宣言のようにその言葉が堺から世良に投げかけられるまで、ずうっと。