例えば、たくさん並んだパンの中から選び取る一つだとか、色とりどりのお皿の中から掴み取る一皿だとか。お花屋さんをとおり過ぎた時にふと目に入る一輪だとか、練習を見ている時に声をかける後輩だとか。
望んで横に立っているけれど、そういった違いが愛しいと思えない時が、煩わしくなってしまう時がある。それはきっと間違いなく俺の悪いところだし、直すべきところであると、そう思っていた。自分を変える気なんてさらさらないが、そんな微かな不和を積み重ねた結果また失うくらいならといった考えがあるのは確かだった。口では今更その程度で心変わりなんてありえないでしょと言っておきながら、結局理解しきることのないその心の内側に入ることを恐れている節があった。もうステージから逃げるかもしれないなんて思わないけれど、いつ何がきっかけで壊れるかなんて分かったもんじゃない。少しずつ、不穏な噂が溜まっていく度に胸のすき間にも何かが溜まっていた。言葉を交わして、笑顔を交わして、想いを交わして、大丈夫だと思っていたのと同時に、認めたくはないけれど一度崩壊を知ったことからくる恐れが耳の後ろに確かにあった。そうして時々囁くのだ。今のままで良いのかと。
けれど、視界の端に静電気が走るようなそれに向き合うことは一度もしなかった。まだそれがしつこく自分の中にあることを直視するのが嫌だった。あの時とは違うのだと、隣で笑っているこいつを見ないようなふりはもうしたくなかったから。目の前に立っている互いが見えずに崩れ落ちてしまうことを繰り返したくなかったから。全部事実だ。嘘なんて一つもない。
傷つけたくないと言った口で馬鹿と罵った。必要なことを示した態度で一人以外は視界に入っていないようなふりをした。そういう性質だし、素直に全部を伝えられるならセナじゃないとまで言わしめたのだから訂正するつもりもない。これに関しては後悔もしていない。けれど。
自分が外に出した何がどうなろうとそれは俺自身だから構わない。もちろん間違えていることや未成熟な部分はたくさんあるからそれを受け止めて進化させることは厭わない。
──そうではなくて。誤って伝わったのならその時くらいは横の壁を見ながらかもしれないけれど、しっかりと訂正して、その後は好きだと笑っていたホットミルクを手渡して温めてあげようと、そのくらいの心算はあった。実際フィレンツェに二人で渡ってからこっち、何度も何度も同じ様なことはあったのだ。やれ今食べたいパンはそれじゃない、やれそのお皿はもう殆ど同じのがあるぞ、おれが見てたのはその花じゃない、そいつはもう踊れてるだろ、だのとやかましかった。
ふわふわとした刺激的な夢に包まれていたいだけのように人によっては見えるこいつは、その実しっかりと現実が見えている。理想と夢を押し通すために無茶をする時と、してはいけない時の線引きはもしかすると、Knightsの中の誰よりはっきりと引けるのかもしれないとさえ思う。
そう。こいつはそういうやつなのだ。傷ついて、傷つけて、悲しんで怒りを持って疲弊して失望して。そうして見たくもなかった現実の中で、過去に輝いた宝物を綺麗なまま残しておくために、少し時間を置いた途端に行動に移せてしまうやつなのだ。戻ってきた王さまに対して何週間もまともに話せずにいた俺とは違う。話すことが出来ても本当に伝えたいと思っていることですら伝えられない俺とは違う。