むかしのはなし。※荀攸夢前提の、鍾会友情夢のようなもの。
※シリアス。
※トリップ夢主。
上記大丈夫な方向け。
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「いい加減離れてくれませんか。酒臭いです」
いつもは上から聞こえる鍾会の声が、今はわたしの顎の下から聞こえてくる。
辟易したふうな溜息に合わせて、彼の柔らかい髪が頬を撫でた。その感触がこそばゆくて抱き込んだ頭にさらに密着すれば、今度は舌打ちされた。
「少しくらいいいじゃないですか、折角の宴なんですし」
「あなたの言う少しとはどれくらいですか? 私の基準ではもうとっくの昔に”少し”は過ぎていますが」
「鍾会の屁理屈ー。けちー」
「守銭奴のあなたにケチと言われたくはありませんね」
イライラしていそうな雰囲気はあるものの、鍾会はわたしの腕を無理に振りほどこうとはしない。
「伝説の傭兵」なんて持て囃されているわたしを無下に扱う不利益を考えたのか、はたまたその傭兵に気に入られていると周知される利益を考えたのか。
色んな知識が詰まったよく回る頭がどう思っているかは知らないけど、わたしとしては酔いの心地よさと人肌の暖かさから得られる幸福感に浸っていられるならどっちでも構わない。
(そういえば昔、荀攸さんにもよくくっついてたな――)
目の前にある癖のある髪の毛が、胸の奥底に眠る泰然自若な彼の記憶を呼び起こす。
荀攸さんはお酒に強いくせに、すぐ顔が赤くなった。
酔いが回ると普段無口な彼からは想像も出来ないくらい早口でよく喋ってくれて、それを聞くのが大好きだった。
面白がって何度か飲ませていたらさすがに怒られたのも、今では良い思い出だ。
(…………あれから、どれくらい経ったのかな)
郭嘉さんがいて、荀彧さんや賈詡さん、満寵さんもいた。
軍師の人たちの話は難しくてまったくわからなかったけど、みんなが生き生きと策を戦わせるのを聞いているのは、楽しかった。
数多の戦場を一緒に駆けて、いろんな景色を見て、くだらないことで笑ったり、悔しさに泣いたりもした。
あの眩い日々は、今でも強く記憶に刻まれている。
それでも時折、荀攸さんたちと過ごした時間が――今この瞬間もまた夢なのではないかと、言い様もなく怖くなる。
何せ始まりからして、夢のようだったのだ。
訳の分からない世界に迷い込んで、仙界で戦う術や生きる術を叩きこまれた。その後は必死で戦乱の世を生きてきたけど……
わたしの存在意義はなんなのか。ここにいる意味はあるのか。
いつか全てが手のひらから零れ落ちて、誰一人何一つ残らず、自分だけが取り残されるのではないか。
その不安が常に胸の内をじくじくと蝕んでいて、無性に誰かと喋って触れ合っていたいと思う時がある。独りになるのは、もう嫌だ。
「――人の頭に涎を垂らすなよ」
砕けた口調へ変化した鍾会の声に、意識が引き戻される。
他に人がいない時、鍾会は慇懃無礼な話し方を止めて対等に話してくれた。周囲を見渡せば宴の席は閑散としていて、酔っ払いの鼾や寝言が微かに聞こえてくるだけだった。
「垂らしませんよ。そこまで間抜けじゃないですし」
「どうだか」
はっ、と鼻で笑った鍾会が、おもむろに立ち上がる。
温もりが離れるのが嫌で腕を離さずにいたら、意図せず鍾会の首を絞めてしまった。ぐっ、と苦しそうなうめき声に申し訳なくなって力を緩めれば、こちらを振り返った鍾会に睨まれた。
「私を殺す気か? この私がいなくなった損失は計り知れないぞ。私ほど有能な人間はどこを探したっているはずがないんだ」
「あー……ごめんなさい。つい」
へらりと笑って両手を上げ降参を示せば、横柄な態度でやれやれと首を振られた。
なんだか鍾会には呆れられてばかりな気がする。
(荀攸さんもそうだったな……。よく溜息吐かれてたっけ)
いつも表情を出さないように努めている彼がふと見せる感情が、その暖かな色が好きだった。
「仕方のない人ですね」と微笑んでくれる顔も、柔和な声も。わたしだけに見せてくれる荀攸さんの特別が嬉しくて、愛おしかった。
「………………」
いやだな。思い出さないようにしてたのに。
いくら懐かしんで手をのばしても、あの頃には戻れない。荀攸さんも、あの時代を共に生きた人たちも、もういない。
「…………おい」
「はい?」
ぶっきらぼうな呼びかけに顔を上げると、鍾会が居心地が悪そうに髪の毛をいじっていた。さっきまでの高慢な様子はどこへやらだ。
「私は、……その、酔っていない!」
「はぁ。そうですか」
「そうだ!」
この会話の着地点はどこだろう。ぼんやりとそんなことを考えていたら、強い力で手を引かれた。
「わっ」
「飲み直すぞ。私に付き合うといい。この私と語り合えるのだ、光栄だろう?」
鍾会は早口に捲し立てながら、ずんずんと広間を突っ切っていく。歩幅の違いを考えて欲しいが、転がる杯や眠る酔っ払いを踏まないように気を配るので精いっぱいだ。
(……もしかして、気を遣ってくれた?)
そんなに顔に出ていただろうか。初めの頃は駄々洩れだった感情も、いつからか上手に隠せるようになった――と思っていたんだけど。
苦笑しながら外に出れば、ひやりとした心地よい空気が身体を包んだ。涼風に乗って、名も知らない虫の音や、塀の向こうで話す兵たちの声が聞こえてくる。
何より、繋がった手の温もりが――優しく闇夜を照らす月明かりに浮かび上がる、鍾会の背中が。独りではない、と示してくれているようだった。
そうだ、ここには大勢の人がいる。行く末を見守りたいと思える人も、わたしを必要としてくれる人もいる。
「…………ありがと」
「ふん」
素っ気ない返事と裏腹に、髪の合間から見えた鍾会の耳は、ほの暗さの中でもわかるくらい赤かった。
こみ上げる笑いを、歯を食いしばって抑える。機嫌を損ねて差し呑みがお流れになっては困る。
「鍾会がどんな話を聞かせてくれるのか、楽しみだなぁ」
鼻歌交じりで隣に並べば、鍾会が小さく笑ってくれた気がした。
*終わり*