バニー給仕ネタディルガイ「残念だが俺はお嬢さんではないんだ。ダンスなら他を当たってくれ」
「……構わない」
いつもよりもちょっと人が多くて、外国の商人やら客人やらが集って、ちょっと皆が浮かれて居て。やはり酒場はてんでこまいだから少し顔を出すかとばかりに手伝っただけだった。だと言うのに。
「うちの従業員に手を出すとは随分いい度胸をしているようだ……ここはそういった行為はお断りしているんだが?身内にちょっかいを出すのはやめて頂こうか」
怒髪天と言わんばかりの赤毛をバックに労働の後の酒が飲みたいだけの自分はいくらなんでもここまでの修羅場に巻き込まれなくてもいいのではないかと運命の神をちょっぴりだけ恨んだのである。
◇◇◇
「旅人?なんでお前がエンジェルズシェアに?」
「あ!ガイア!いらっしゃい!」
「ガイア様、今日はお早いのですね」
「やぁ、チャールズ。そしてこの可愛い給仕はどうした?」
「それが……」
ガイアが仕事終わりの一杯を求めてエンジェルズシェアにくればチャールズと共にいたのはバーテン服を着て狭い店内を縦横無尽に移動する旅人に、オーダーをさばき倒すチャールズ達従業員の姿。なんでも旅人は依頼を受けてエンジェルズシェアに来たところ予想以上に忙しいチャールズ達の姿があったのだという。
「我々も始めはちょっとした手伝いをしてくださる方を探していたのです。彼女は前にもエンジェルズシェアのバーテンをしてくれたので助っ人としては申し分なかったのですが……」
「でも人がすぐに増えてきて。最初聞いた時は常連しかいないから大丈夫だろうって話だったんだけど」
夕方のエンジェルズシェアに居たのは時間にしてはまあまあ混んでいる客層と何故かいつもは居ないであろう旅人。パイモンはすでに宿で休んでいるらしいのだが店内はいつにも増して人でごった返していたのである。
「今日はスメールからの客人が多いな」
確かに今日は前々から到着が遅れていたスメールの商人たちが滞在するという話は聞いてはいた。それが一気に酒場に雪崩れ込んだ形になったのであろう。キャッツテールは最近カードゲームの溜まり場になっているし、鹿狩りは酒よりご飯がメインである。となると純粋に酒が飲みたい客はエンジェルズシェアに来るのは必然であり、そこへ臨時の助っ人を求めていたエンジェルズシェアの応募に蛍が顔を出した形になったわけだが……
「エンジェルズシェアが人気店なのは知ってたけどここまで忙しいとは思わなくて……正直お酒の提供が間に合ってないの……」
すでにへとへとという表情を見せる蛍。確かにこうやって喋っている間も忙しなく料理を手配する旅人にシェイカーを降るチャールズとバックヤードはかなり稼働しているのだが、それでも間に合わず、酒豪がいるのか人数が多いのか、中々注文を捌ききれていないようだ。見れば屈強な護衛も共に酒を飲んでいるらしいので今日のエンジェルズシェアは異国情緒漂う酒場になっていた。おまけに……
「これじゃあ今やってるフェアをやるどころじゃないよ……」
「旅人、それはもう下手をしたら今日は諦めるしか」
「でもできなくて絡まれたらそれはそれでちょっと……」
何やら忙しさのせいで困り事と言った体であるが、チラッチラッと蛍がこちらを見てくるし、チャールズも申し訳ないという雰囲気を出している。これはあれだ、アカツキワイナリーもとい、エンジェルズシェアの勝手をわかっている人間が一人でも増えた……という程である。これは素直に酒を提供してもらえる雰囲気ではないだろうと察したガイアはため息をつきつつ二人に告げたのである。
「……少しだけだぞ。俺も仕事終わりのはずだったんだからな。それと何かサービスしてくれ」
「やったぁ!ありがとうガイア!信じてたよ!」
「何を信じていたんだ旅人。おまえは確信犯だろうに全く……」
「申し訳ありませんガイア様……」
「ただし臨時給仕の件はディルックには内緒にしておいてくれよ。あいつがうるさく言ってきたら敵わん」
きっと兄にもこのような態度を取っていたのだろうと旅人の頭を撫でつつ、結局こうなったとばかりに臨時の手伝いとして入ることになったガイア。その分仕事が終わった後には美味しい酒を出してくれと視線を寄越せば勿論と言わんばかりのチャールズ。今日は定時で上がれたというのに……と呆れていればすぐにチャールズは従業員の服を出してくるのだから準備がいい。着替えてこようと裏に入ろうとしたガイアを蛍は待って!と呼び止めた。
「じゃあねじゃあね!ガイアはこれつけてね!」
「ん???」
……この耳をつけていれば今日外国の客に呼び止められなかったのかもしれないし、ディルックもあそこまで怒らなかったかもしれないが、その時のガイアに断る、という選択肢はなかったのである……
◇◇◇
「……俺もこれをする必要はあったのか?野郎のバニーなんて見ても仕方ないだろうに……」
「そんなことないよ!ガイアは初対面の人に女性と間違われるくらいなんだからいけるいける!」
「……俺に真正面からそんなこと言えるのはモンドじゅう探してもお前くらいだと思うぞ旅人」
注文のピークを過ぎて少し落ち着いた夜のエンジェルズシェアのカウンターに座り込むのは疲れた給仕が二人。
とても渋い顔をして返事をしたガイアの耳には付け垂れ耳が可愛く鎮座していたのである。流石にもうつけなくていいだろうとばかりに取ってカウンターに置けば旅人は可愛いのに!とむくれるが成人男性がいつまでもつけるものではないぞと言い聞かせるガイアの姿があった。
「はぁ……しかし、やっとピークは過ぎたか……流石に疲れた」
「お疲れ様でした。ガイア様、旅人。お二人はもう上がられてよろしいですよ。今カクテルを出しますから。旅人は勿論ノンアルですが今お作りしますから」
「チャールズ、俺は午後の死を頼む」
「かしこまりました」
「うふふ、可愛い兎さんに乾杯だね」
「それは俺のことか旅人?好評だったのはおまえの方だと思うが」
それというのもエンジェルズシェアが定期的に開催する店の催し物で『○○の日!』と語呂と掛け合わせて割引フェアなどをしているのだが、本日は兎の日!ということで兎の付け耳を付けた給仕が店を走り回っていたというわけである。実際蛍はよく客に、
『そこの可愛い兎さん!注文頼む!』
『兎さん!酒はこっちだ!』
『はーい!』
とよく呼ばれていたし、余計に注文も入っていたので忙しさは倍増したが、その分売り上げからバイト代も弾むと言った様子でご満悦である。更に言えば……
「私からしたらガイアの方がそういう目で見られてたと思うけど」
『バニーちゃんこっちだ!』
『バニー言うな!大の大人だぞ!』
『ガイアは違和感ないんだよ!』
『いいぞもっとやれ!』
『わらいごとじゃないぞ!』
と常連客から囃し立てられながらもガイアは必死にオーダーを捌き切ったのである。しかも、ぼそっと
『あれはディルック様が許しているのか?』
とか、
『完全に酒場の美人看板娘ではいける……』
などと不穏な声が聞こえてきたので睨みつければ黙ったのだが、それこそあの義兄の耳に入れば騎士団は何をしているなどという嫌味を言われること間違いなしなのである。ドッと気疲れしたと言わんばかりに席に着けば動けなくなりそうだが、その前に一杯とばかりに午後の死を煽れば五臓六腑に染み渡るとばかりに酒がうまく、余計な気疲れも溶けていくようであった。だがこのままでは良くないとばかりにガイアは立ち上がる。
「疲れた……が、蛍、おまえはゆっくりしていてくれ。俺は着替えてくる」
「わかった」
「失礼、今は休憩か?給仕さん」
ガイアが席を外した瞬間、話しかけてきたのは服装からして恐らくキャラバンの護衛だった男。蛍が座っている隣に座ってくるのは中々がたいのいい男であった。
「その格好はもしかして護衛の人ですか?」
「ああ、そうだ。あんたらも随分と大変そうだったが……まあ酒でも飲んで元気だしてくれや。二人に一杯奢らせてくれ」
「ありがとうございます。でも私は未成年ですので……」
「あ?そうなのか?それはすまない。だが気持ちだからな。ノンアルコールで何か頼む」
「はい。少々お待ちください」
「いやいや!悪いですよ!」
「まあまあ、今日二人はとても忙しなく働いていただろう?その労いだと思って」
「でも……」
「はっはっは。大丈夫だ。ほら、嬢ちゃんは好きなものを頼むといい」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
そう言って出された飲み物を遠慮がちに受け取る蛍。その様子を見て満足げに笑った男は、グラスを持ち上げると、
「乾杯」
と、言った。
「ありがとう。貴方は優しいですね」
「ははは、こんなことで褒められたら調子に乗るぞ?だが、喜んでもらえて何よりだ」
カチン、という音と共に蛍はジュースを口に含む。軽く話をしていればガイアが戻ってきた。
「嗚呼。お嬢さん、貴方にもどうぞ」
酒の話をしながら談笑していた二人。戻ってきたガイアを見て先に用意して貰った酒を渡す男だが、ガイアは大笑いして思わずカウンターを叩いてしまった。
「ハッハッハ!悪いが俺は男なんだ。よくある話ではあるんだが、町娘を引っ掛けたいならよそでやってくれ。でも旅人は困るぞ?俺の可愛い妹分だからな?それに、俺は仕事終わりにやっと酒にありつけたんでね。今日は臨時の給仕にすぎん」
庇ってくれたのはありがたいのだが、これには旅人も少し同情してしまう。それというのも旅人も人のことは言えないのだが、ガイアは初対面で女性に間違われることが多々あり、ナンパされることも多いのである。蛍も初め戸惑っていたら声でやっと男性とわかり、動揺を察したガイアに笑われて身分まで明かされた過去を持つ。
そんなガイアも今日はもう閉店だと言わんばかりにチャールズから酒を受け取ろうとすれば意外にも男は引き下がってきたのである。
「いや、性別がどちらでも構わない……というよりも実は本命はあんただったんだよ。先程はよく働いていたが注文を捌ききる様子もとても可愛らしかったからな。あちらでダンスでもどうだ?」
見れば酒場の隅では出来上がったスメールの一団が他の客を招いて踊っている。お国柄なのかよくダンスを踊るというが、こんなにあっさり誘われるとはと驚くガイア。しかし大分強引なアプローチだと思うと共に、自分は噛ませ犬にされたのかと膨れっ面をする蛍の面倒を見なければいけない。これは酔っ払い張り切って早々に切り上げないと面倒くさいやつまできてしまいそうだと前にもスメールで誘われたがそのような習慣はないので……と断ろうとした時である。
「うちは宿場町の場末の店じゃない。まず僕の身内に手を出すのをやめてもらおうか。それとガイアさん。前にもとはどういうことだ?」
と、ドスの低い今にも大剣を振り回しそうな怖い顔をした酒場のオーナーが登場してしまったのである。