君は俺の恋人「いらっしゃいませ!」
「〝サムの限定ドリンク〟ですね? 今ご用意します」
「こっちの小物とあわせて……全部で860マドルです!」
「ありがとうございました!」
購買部に響く、流れるような接客の声は朗らかで、客に良い印象を与えるものだ。当然ながら声を出す彼女本人も終始店員として満点の笑顔で接客をしているものだから、購買部を後にする客──普段から監督生を目にしているはずの奴らでもどこか緩んだ顔で出ていっている。
そして俺はその様子を横目で見ながら、眉間に皺を寄せているという状況にいた。
彼女から「アルバイトをしようと思っているんです」という話を聞いたのは少し前のことだった。
オンボロ寮に住む彼女とグリムの生活費は学園長から支給されているが、それも必要最低限に少し色を付けた程度のものだそうだ。それだけで生活することはできるが、やはり大食漢のグリムの必要最低限以上の食費や、学園生活に直接必要はないが彼女の必要とする雑貨や衣服の類など、欲するものは次々にでてくる。
一応学園長に相談してみたところ「アルバイトなんかすればいいんじゃないですかね。学園でも別に禁止とかしていませんし」と、渡している金額以上を出すつもりはないと遠回しに言われ、彼女のアルバイトをしたいという言葉に繋がるのである。
「アルバイト……まさかモストロラウンジじゃないだろうな?」
「それもちょっと考えましたけど、ジャミル先輩は嫌がるでしょう?」
口に出した予想に嫌な顔をする俺のリアクションを知っていたかのように彼女はくすくす笑った。
「それに、モストロラウンジだとあらかじめきちんとシフトを組まないといけないみたいなので、いつ補習とかが入るかわからない私とグリムじゃ厳しいかなって。だから購買部の、サムさんのところにお世話になろうかと」
「購買部か」
どうやらそれも学園長からの斡旋らしい。購買部は基本的にサムさんだけで切り盛りしているから、好きな時間に来て接客や棚卸を手伝ってくれればいいという。
「時間の都合もつくならいいんじゃないか? 仕事もそう難しくはないだろうし」
「はい。軽くお話を聞いた限りでは私とグリムでも大丈夫かなと」
「君はともかくグリムは不安だがな……。いつから始めるんだ?」
「そうですね、何事もなければ明日から」
「ん、そうか」
急だなと思いつつ、事情を鑑みれば反対することもない。俺やカリムから援助する、欲しいものはプレゼントをすると言っても、グリムはともかく彼女はきっと一方的に貰うわけにはいかないと固辞するだろうし。俺としては別に構わないのにな。
「というわけで、明日からあまり放課後一緒にいられないかもです」
「……わかった」
それは正直とても残念ではあるが、そう思う俺自身もそう暇を取れるわけでもない。逆にちょうどいいのかもしれないな。そう思いながら頷くと、彼女がスッと近づいて、俺の腕にぎゅっと抱き着いてきた。思わず目を瞠る。
「だから今日はジャミル先輩をたくさん充電しておきたいです」
抱き着いたまま見上げてきた彼女の顔が、だめですか? と窺ってくる。
恋人がそんな顔で見上げてきて、俺がだめだなんて言うと思っているのか?
ああまったく、と呆れともニヤケともつかない息を吐いて彼女を抱き寄せた。そこから先はまあ、したさ。充電を。俺と彼女のどちらも、たっぷりとな。
──そんなやりとりを思い出してまだニヤけて楽しんでいられれば良かったんだがな。
そのやりとりから暫く経って、現在。購買部はいつもより少しばかり混みあった状態になっている。
その理由の一つは、購買部の新商品である〝サムの限定ドリンク〟だ。爽やかな飲み口で栄養もあり疲れも取れる、が売りのドリンクで、味も普通に美味い。ただそれ以上に期間限定、しかも放課後の特定の時間に一定数しか販売されない〝らしい〟というレアさが話題を呼んで人気商品となっている。
生徒たちもそのドリンクを求める声が多い。ただ同時に、ごく一部の生徒に別の目当てがあることもわかる。
「いらっしゃいませ!」
それが、朗らかに接客してくれるこの学園唯一の女子生徒、オンボロ寮の監督生──俺の恋人である。
学外に彼女のいる生徒なんかも多いとはいえ、やはり男子校。全く他意のない営業スマイルでも勘違いする輩は少なからずいるらしい。
俺がこうしてたまに買い物がてら彼女の様子を見に来た時でさえ、ゆるんだ顔で彼女に話しかける奴を目にしている。
正直、面白くはない。当然だ自分の恋人なんだから。
さっきも目の前にあるはずの商品の場所がわからないと話しかけた奴がいた。限定ドリンクが売切れる前に買えてよかったというどうでもいい話を広げて彼女との会話を引き延ばそうとしている奴もいた。あまつさえ、ドリンクやマドルの受け渡しの時に彼女の手にわざと触れようとする輩までいた。
短い時間来店している俺が見つけただけでこれなのだから、実際はもっと多いのかもしれない。
ちなみにグリムはグリムで彼女とは真逆にふんぞり返りながら接客しているが、猫好きと思われる生徒たちからじっと見られたり触られたり肉球を触らせてくれと言われたりしているらしい。あっちもあっちで大変だな。
モストロラウンジで働かれるよりはマシだなと思うし、彼女たちなりの事情があって働いているのだから俺が口を出すことでもない。だがどうしても彼女に向けられる視線は気になってしまう。
(彼女は俺の恋人なんだぞ)
彼女に近づいてくるそいつらに声高に言ってしまいたくなるが、営業時間中にそんなことをしたら俺がサムさんに睨まれてしまう。
はあと溜息を吐いて、暫く眺めたままだった棚から買う予定のインクをひとつふたつと手に取ってレジに向かった。
「ジャミル先輩! ふふ、いらっしゃいませ!」
周りの奴らはこの、俺が来てくれたことで喜んで声が弾んで嬉しそうに笑う彼女の姿をよく見ろと言ってしまいたいが、それを抑えて俺も彼女に笑みを浮かべる。
「やあ。仕事はどうだ? 今日も盛況みたいだが」
「はい。今日も大変でしたけどなんとか。……でも今日も先輩が来てくれて嬉しいです」
インクの値段をレジ打ちしながら、彼女がこっそりと俺に告げる。その言葉で、内心嬉しくなったくせに俺は「買い物のついでさ」とつい冷静ぶって返してしまった。そんな俺を見透かしているのかいないのか、彼女は小さく笑って差し出したマドルを受け取った。
そうしてお釣りを受け取り、紙袋に包まれた品物を手に取るとき、彼女がそっと俺の手に触れた。そうして自然と彼女を見つめた俺に、こっそりと囁く声があった。
「もう十分ほどでお仕事終わるんですけど、このあとお暇だったりしますか?」
「……ああ、もちろん」
頭の中に合った予定を勢いよく崩して再構築しながら言葉を返す。すると目の前の花はまたパッとほころんだ。
「じゃあ後でスカラビアに伺ってもいいですか?」
「いや、すぐ終わるなら外で待ってるよ」
「いいんですか?」
「ああ」
俺が頷いたのを見て彼女も嬉しそうに「じゃあお願いします」と告げる。今すぐにでもエプロンを外したいのか、どこかそわそわとした様子になった彼女を見ると俺も同じような気分になってきた。そんな内心を余裕ぶった笑みで隠して、俺は購買部を出てすぐ傍にあるベンチへと移動した。
「ジャミルせんぱーい!」
彼女がやってきたのはそれから本当にすぐのことだった。十分より短かったんじゃないかと聞いたら、どうやら俺たちの会話を聞いていたサムさんが気を利かせてくれたらしい。どこまでも人の求めるものを理解している人だなと改めて思った。
「ふなぁ……今日も疲れたんだゾ」
駆け寄ってきた彼女の足元にはグリムもいて、四本足で歩く姿はいつもより重そうだ。
「グリムもちゃんと仕事をしてたみたいだな。今日はスカラビアで夕食をごちそうするから、いっぱい食べていいぞ」
「なに!? 本当か!」
「えっ、いいんですか?」
「君もそのつもりだったと思ったんだが、違うのか? なら……」
「違わねぇ! 違わねぇからメシをいっぱい出すんだゾ!」
さっきまで重い足取りだったくせに、グリムは食事と聞いて突然勢いよく俺の制服のズボンを引っ張り出した。わかったわかったと宥めて、もう一度彼女に目配せすると、彼女はグリムの様子に謝りながらも「夕食、お願いします」と言ってくれた。するとグリムは浮かれた様子で俺たちの前を歩き出したので俺たちも続く。歩き初めに彼女の手を取れば、はにかんだ彼女がその手を握り返した。
「ありがとうございます、ジャミル先輩」
「構わないさ。その分、君も長くスカラビアにいてくれるだろう?」
彼女がアルバイトをしだしてからは前より会う時間も減っていた。久しぶりにそれが増えるのだと思えば料理くらい安いものだ。
「そうですね。それと、ちょっとお話があって」
「なんだ?」
「アルバイト、辞めはしないんですけど、明日からもっと不定期というか、暇な時にやるくらいにしようと思います」
「そうなのか。お金の方は大丈夫なのか?」
また彼女との時間が増えるようになるのは嬉しいが、それで彼女の生活が困窮するのは俺も嫌だ。
心配する俺に、彼女は「実は」と密やかに話し始めた。
「アルバイトを始めたのは欲しいものがあったからで……それがもう買えそうなんです。サムさんが『おかげで大繁盛だからボーナスもつけてあげるよ!』ってお給料をたくさんくださったので」
「オレ様もツナ缶たっぷり買えるぞ!」
「そうか。それならいいが」
あの盛況ぶりと彼女の働きっぷり、そしておそらくグリムにもあった集客効果が相まって相当売り上げが良かったのだろう。
「君たちの仕事が評価されたってことさ。ところで君は何が欲しかったんだ?」
グリムは即座に給料の使い道を挙げたし、そもそも言われなくても察せたが、彼女はいったい何が欲しかったのだろうか。
「お洋服と靴です。素敵だなってものをネットで見つけて、それで……ジャミル先輩とのデートで着たいなって思ったんです」
洋服か、なるほどな。なんて思っていたら急にガツンと胸を殴られた気分だった。少し恥ずかしそうに微笑む横顔から出された言葉は、確かに俺に向けられた、俺のためのものだったからだ。
「──ッ!」
思わず熱が全身を駆け巡って、特に頬が熱を持ったのがわかった。それを見られたくなくて、顔を背けて彼女と繋いでいない方の手でそれとなく隠そうとしたけれど、おそらく、きっと隠しきれてはいないだろう。
ちらりと視線を彼女に戻す。すると、俺を窺う瞳とかち合った。その瞳は俺の熱を見抜いたように丸くなり、そして嬉しそうに細まる。
「先輩、似合ってたら褒めてくれますか?」
「……ああ、もちろん。今から誉め言葉をたくさん用意しておかないとかな。一日中、口にすることになるだろうから」
そう返すと、彼女の瞳は再び丸くなる。そして溢れる嬉しさを零すように笑うと、繋いだ手をきゅっと握って俺に寄り添う。その仕草がまた可愛くて、俺の顔はだらしなく緩んだ。
「夕食のあとに予定を組もう。デート、行きたい場所はあるか?」
「いっぱいあります! だからいっぱい話して、いっぱい予定を立てましょう」
「ああ、そうだな」
言葉を交わすごとに二人の間にあたたかく優しいものが生まれていくようだ。その名前をしっかりと噛みしめると、どうにもたまらなくなってしまった。
足を止めて、彼女を引き寄せて、見つめ合った彼女にキスをする。まだ鏡舎の手前だから触れるだけ。しかし案の定足りないなと感じて、唇を離したらすぐに彼女の手を引いてスカラビアへ続く鏡へと少しだけ早めた足で向かった。
その速度に微笑んでついてきてくれる彼女を見て、誰にも渡せない、俺だけの可愛い彼女だと思いながら。