バレンタインナイト ガチャリとドアが開き、鍵を閉める音が響く。二十一時、多くの働く社会人が少しの残業を終え、疲れた身体を引きずり家に着く時間だろう。
「ただいま」
人生のモラトリアム最終年次であるリョータの最近のルーティンは、夕食を済ませた後からレポートを始め、仕事から帰宅する深津に合わせて切り上げ同じ床につくことである。特にそう決めたわけではないのだが、気付けば当たり前のようにそうなっていた。
点いたままのパソコンを放置し、いつものように玄関まで出迎えると、少しくたびれた顔色の恋人が、ぬべとした無表情で腕を広げている。
「おかえり」
最近更に鍛えられた身体に腕を回し、少し背伸びをして耳の後ろに唇を落とす。首元に擦り寄り、ばれないように静かに耳後で息を深く吸えば、嗅ぎ慣れた肌の匂いが肺いっぱいに広がり、じんわりと腹の奥が痺れ熱を感じる。リョータが流れるように耳朶をはめば、深津はぴくと肩を揺らしリョータを抱く腕をきつく締めた。
「やっと帰って来れた、ぴょん」
お返しと言わんばかりに両頬を筋張った大きい手に包まれ、触れるだけのキスを降らされる。戯れるように身を捩ると、足元に見慣れない紙袋があることに気が付いた。
「なにその荷物」
足でツンツンと動かそうとしてみれば、意外に重量があるらしくがさがさと外装が音を鳴らすだけで動く様子はない。
「貰い物ピョン」
「ええ何で」
「バレンタイン」
日常的に何が入ってるかもわからない手作りの差し入れを持って帰ってくるのだから、そりゃイベント事に乗っかって渡したりもして来るか。随分と自分の恋人はおモテになるらしい。普段からも差し入れが飛び交う中でこの日だけ渡してくるヤツは大抵本命と相場が決まってる、義理だからなんて言葉を信用する方がバカだ。クソ。
「…ふぅん」
わざとらしく拗ねたようにそっぽを向けば、意外だとでも言うかのように目を開き顔を覗き込んでくる。深津サンはこう見えてあざといから、今までの付き合いでオレが上目追いに弱いことを知っていてやってきているに違いない。そんなんで機嫌を取れると思うなよ。
「宮城、もう寝るピョン?」
「んやまだ寝ないけど」
ちらと視線をやれば、何かを思い付いたらしく紙袋をガサゴソと物色し始めた。何をするのかとしばらく観察していれば、突然バッと顔を上げ、目が合った瞬間分かる人には分かる悪戯気な表情を見せた。
「ホットチョコレート作ってやる。
良い子で待ってろ、ピョン」
深津が手に持っている箱は、甘い物にそこまでこだわりがないリョータでも知っているような有名ブランドのチョコレートで、その上綺麗なメッセージカードまで添えられている。気持ちのこもっているであろう物を簡単にご機嫌取りに利用するなんて
「はは!ほんっとオレのカレシ最高だな!」
「お前が喜ぶなら、何だってするピョン」
「貰ったモンで格好付けるなよ」
「渡した時点で所有権は移るから、どうしようと俺の勝手ピョン」
「子供みたいな屁理屈」
「でもそこが?」
「ふふ、好きだよ」
顔も名前も知らない恋するオトメに、脳内でマウントを取りながら、甘やかすように触れてくる指に優しく歯を立てる。
この愛しいヒトの息が止まるまで、その全てが俺のものでありますように。