姉と弟産まれたばかりの柔らかい甥を抱き、胸を赤子の香りでいっぱいにする。姉と甥のそばに居られる短い間は泣けば抱き、おしめが濡れれば代える。乳をやる以外のことは何でもやった。
「姉上、何故人は誰かを好きになるんです?」
寝もせず落ち着いた金凌を抱えて飽きもせずあやしながら、ふとそんな言葉を口にした。
人はどうして別の誰かを好きになるの。江厭離はそう尋ねたもう1人の弟を想った。
「阿澄にも好きな人が出来たの?」
それにしては思い詰めた表情だった。返事はなかった。「是」ということだろう。この子も難しい恋をしているようだ。
「宗主だからこんな人と結婚せねばとか、蓮花塢の為にと自分の心を犠牲にしてはだめよ。」
江澄は責任感が強い。悩んでいるのはそんなところだろう。一生を囚われようとしている弟が不憫でならなかった。
癖になりそうな眉間を撫でてやると、ため息をひとつ、目を閉じた。
柔らかく傷付きやすい心を持っているのに、直ぐに怒ってみせたりして強いふりをしている。眉間の皺は鎧だ。そうやって家族と家を守っている。
ぽつりと漏らした言葉は、家族にだけ見せる本当の江澄だった。
「心がなければ強い宗主でいられますか。」
別に江澄は宗主になりたかったのでは無いと江厭離は知っていた。結局宗主として今立っているのは、立派な宗主になって欲しい、ならねばならないと両親が考えていたからだ。でももう、それを喜ぶ人達はいない。ただ父と母に愛されたかった。けれど、家のため民のためと宗主として生きるうちに、個人としての江澄は薄まってきていた。優しく甥を揺らす弟が消えそうに儚く、はっとして抱きしめた。
「姉上?」
「心を亡くさないで阿澄。あなたがどんな宗主であれ、いいえ、宗主でなくったって、あなたのことが大好きよ。」
江澄の唇がわなないたので、抱きしめ直して見ないようにする。金凌はまだ良く見えていない目でじっと叔父を見上げている。手の甲に温かい雨が降ってきた。
江澄は甥をそっと寝台に寝かせた。金凌は元気に手足を動かしつつも、今まであった温かさを探すように、ゆっくり当たりを見回している。
ぼんやり見えていたあの人はどこだろう。
「だから、姉さんに教えて、可愛い可愛い阿澄は一体誰が好きなのか。」
江澄はぐずぐすと鼻を鳴らしながらも小さく笑い
「言えません。」
と教えてくれない。
「その人は美しく慎ましく修為は高すぎないの?」
「いいえ、美しく慎ましくはありますが……俺より強いです。」
「まぁ!そんな人仙門にいらっしゃったかしら!?」
母の珍しく大きな声に驚いたのか、寝台に置かれたからか、それとも腹が減っただけなのか……金凌がまた泣きだした。よしよしと微笑みかけ、フワフワの産毛を擽る弟にほっと安心しながら頬を拭いてやった。
「条件に金凌を大切にしてくれる人を加えます」
「またそうやって難しくしようとする」
江晩吟はこういう人間なのだ。懐に入れた人間を心底愛する。深く深く。不器用とも言えるが、それが彼だった。
「阿澄に愛される人は幸せね」
「姉上の色眼鏡ですよ」
早くその人に阿澄を迎えに来て欲しい。弟の心を雁字搦めにしている色々なものを1本1本解きほぐして、自由にしてやって欲しい。そうすればこの子は一等美しく咲くのだろう。
「きっときっと幸せになれるわ」
姉はそう願いながら呟いた。