お前の投げたこの花が(『P O O L』番外)「ところで」執務机に向かい、提出されたばかりの海外出張任務の報告書に目を落としながらリゾットは事務的に尋ねた。「結果は?」
「そこに報告済みだ」背後から覗き込める位置に立ちながら、それとは真逆を向きプロシュートは事務的に答えた。「ところで」
プロシュートは続けた。「オレのブレイクショットでポケットしたのは何番ボールだった?」
一度は素知らぬ顔でさらりと躱した意図を投縄で引き戻すような問いかけに、リゾットは訝しみを覚えつつも記憶を手繰った。
確か、手番を変わった自分が落とした的球は連番だった。そして最終的にテーブルに残ったのは2つ、7番と9番。つまり、
「そう、8番」
リゾットの脳裏に浮かんだその色球のイメージを覗き見たようなタイミングでプロシュートが後ろから言った。
「誰かの大掛かりなトリックショットと違って、狙ってもねぇのに、勝手に、我先と落ちたんだよ。こういう――」
頭巾越しの後頭部が広げた指でそっと撫でられ、後ろ首に風が通る。
「真っ黒のが」
捲り上げられた布地の下の項に落ちた柔らかな温い感触が、たちまち鋭く熱い疼痛に変わった。
「ハ、悪ィ! くっきりいっちまった!」遠慮なく吐かれた温い息が耳朶を掠め、今度は取ってつけたように潜められた声がやんわりと耳孔を宥め賺す。「この暑ッ苦しいモン、今日は迂闊に脱げねーなァ?」
リゾットは椅子ごとゆっくりと振り返った。
「“キスショット”ってとこかな」間近に迫る整った顔が悪びれず、そんな名称の技法を名ばかり引用する。「おまえにだけ見せ場やんのも癪だろ」
「……つまり?」
至近距離で見つめ合った矢先、ドアが4度鳴った――つんのめるように2度、一呼吸置き、襟を正して2度。
またも唐突に割り入った、かの特徴的な4分の2拍子に瓜二つのリズムに、ふたりは絡んだ視線を引きちぎるように解いた。
気散じに打ちつけられた拳の持ち主は、外から戻ったばかりのホルマジオだった。
部屋の主の返事を待って入室するなり、「よォ、来てたのか」と汗を拭いつ声をかけた訪問者に、既にドア前で迎える位置に移動していた先の訪問者は涼しい顔で似た反応を返し、「つまり」と後ろに声を飛ばした。
「あんま調子乗んじゃねーぞ」
片手を上げて軽く言うとプロシュートは出ていった。
「お。捨て台詞、ってやつだ」とホルマジオの目はどこか嬉しげにその後ろ姿を見送った後リゾットを捉えた。「揉め事か?」
「いや……勝負事だ」
「そりゃあの負けず嫌いに勝ちゃあオメェ、調子にも乗るわなァ?」
気安い言葉に少し表情を緩めつつ、リゾットは続いた飲みの誘いを断った。
「すまないが今日は」仮初めの理由を幾つか頭に浮かべた後、端的に言った。「駄目だ」
暗がりの中、頚椎の茎の脇にひっそりと開いた小さな赤い花が放つ甘くスパイシーな香りは、日暮れから一層芳しく、そして朝まで漂いながら、知らしめ続けることだろう。あの白い頬が、金色の髪が、碧い瞳が、薔薇色の唇が、時にはここにあって、今はここにないことを。ここにない以上、どこかにはあることを。あるいは、そのどこかで上気し、ほつれ、潤み、震え綻び――
不意に訪れては調子を狂わせるあの不整脈のような独特のリズムが鼓動に乗り移り、駄目だ、と思わず口をついていた。外れた当ての代わりを探るよう、まだいるだろうかとドア向こうを振り返っていたホルマジオは、不満げに口角を下げた。
「アイツも?」
リゾットは少し黙ったあと、アイツも、駄目だ、とあらためて口にした。
(了)