ラウグエアドベント『ごちそう』「じゃあラウダってクリスマス、祝ったこと無いんだ」
「うん。お寺が経営してる児童養護施設だったからね」
軽く照明を絞った部屋の中、テレビの僅かな光に照らされた顔がこくりと頷く。
家庭教師のバイトが急遽休みになったラウダと、いつもだったら夜中まで勉強するけど冬期休暇のせいで大学図書館から閉め出されたグエル、暇をしていた俺、の三人で、集まってだらだらとホラーを見ている。
画面の向こうでは主人公の幼なじみでありすべての黒幕だったサイコパスが血みどろになって斧を振り回していた。いわゆるクライマックスというやつなんだけど、俺とラウダの会話を聞いたグエルは何の未練も見せずにくるりとこちらを振り返り、尋ねた。
「でも『前世』では? 俺たち一緒に暮らしてたんだろ?」
──また始まった。
そう、『前世で弟だった』とかいう嘘みたいな理由でいきなり家に押しかけてきた怪しい男と、『別に前世とか信じてないけどなんとなくほっとけないから』という理由で家族ごっこに付き合ってるお人好し、それが二人の関係らしい。
うーん、聞いているだけで頭がおかしくなりそう。
「あの世界にクリスマスに類する物はなかったかな」
「え」
「基本的に公的な行事での宗教色は薄かったような気がする。もちろん信仰を持つ人もいて、それは尊重されるべき事である、という意識はあったけれど。マジョリティではなかった」
「じゃあ祝日とかイベントとか何にもないのか?」
なぜかラウダは言いにくそうに口をもごもごとさせ、俯いた。
「グレイトフルデーっていう、身近な人に感謝を伝えるためにプレゼントを渡す日があったよ。お菓子とか、想いを伝える手紙とか」
いやそれ、バレンタインじゃん。
「へえ。なにか貰ったのか?」
ラウダは何かを思い出すように遠くを見ると、少しだけ微笑んだ。
「腹筋ローラー、かな」
ほお。
「……やっちまった、」
切れたビールを買いにラウダが部屋から出て行くと同時に、グエルがうなだれ始めた。こうなると大概めんどくさいんだが、一応聞いてやることにする。
「なにが?」
「ラウダへのクリスマスプレゼント、腹筋ローラーにしちまった。絶対プレゼントを真似たと思われる」
「いや、あの…、たぶん前世のお前だろ?プレゼントの主」
バレンタインデー感満載のイベントの日に弟にプレゼントをするだろうか?っていう疑問はあれど、俺の知ってるグエル・ジェタークとラウダ・ニールの距離感だと、そういうことがあっても別におかしい話ではない。
なにより腹筋ローラーっていうチョイスが大変にグエルらしい。
「俺からだったらあんな嬉しそうな顔しないだろ」
「……そうかなあ?」
「あー、今からでも別の買いにいこうかな。カミル、腹筋ローラー要るか?」
「もう持ってるから」
ていうかラウダにばれたらやばいことになるから。
「とりあえずあげてみろって。反応みてから判断したら良いだろ」
「まあ、たしかに」
新しい同居人についてグエルから話を聞いたとき、真っ先に『警察行こう』と言った俺が、二人で食事をするくらいにはラウダとも仲良くなって大分経つ。ときどき底がないんじゃ無いかってくらいネガティブで自責的なグエルの自尊心も、ラウダが来てからはうっすらと底ができたような気がする。
だから、この出会いは間違ったものじゃないと思う。思うんだけど、友人として一言言っておくことにした。
「グエル、ラウダから壺とか水を売りつけられたりは、してないよな?」
「無いよ」
「じゃあ変な儀式を一緒にしたり?」
「んなわけないだろ。なんの心配だよ」
「……だってお前、信じちゃってるじゃん。"前世"ってやつのこと」
あんなに『信じてる訳じゃ無いんだけど』って、言ってたのに。
「……っ、」
目の前の男がぱちんと瞳を見開いて頬を染めていくのを、ちょっとした驚きをもって眺める。やっぱり、いままで散々学んできた『物理』よりも『弟』の方を優先するんだな。
まあでも、こういうのは無自覚なよりは自覚があった方がいいんだろう。
グエルはだらだらと汗をかきながら言い訳でもなんでも無い言葉を、まるで言い訳かのように紡ぎはじめた。
「でも向こうは俺のしつこい癖毛の扱い方からコーヒーの趣味まで完全に把握してるんだぞ。それに、」
うわ。髪のセット、やって貰ってるんだ?
「それに、子供の頃、よく妄想したんだよな。俺に弟が居たら、クリスマスは素敵なプレゼントをあげて、二人でケーキをわけっこしてって。……そう、なぜかそういうときに出てくるのはいつも"弟"だった。だから、俺、おれ……」
そこまで呟いてから、グエルははっとした顔になって聞いてくる。
「クリスマス、どうしよう。ご馳走って何つくったらいい?ラウダって何が好きか、しってるか?」
「……本人に聞け」
喫煙者は俺一人なので、自分ちにもかかわらずベランダで煙草を吸う羽目になる。別に二人とも部屋で吸っても気にしないだろうが、なんとなくあの高貴なところのある"兄弟"を煙くさい部屋に置くのは気がひけるのだ。
窓を閉めてはいたが、部屋で話す二人の声がうっすらと聞こえてきた。明日のご飯なににするとか、洗剤そろそろ切れそうとか、そういうやつ。それに混じって、すこし不自然に意気込んだグエルの声が聞こえた。
「クリスマスのご馳走、何が良い?」
「ごちそう?」
「普段より豪華なもんとか好きなもんとか食べるんだよ、クリスマスの夜って……あれ、前夜だったか?忘れたけど」
「そうなんだ。じゃあ僕は……」
──マシュマロ
「マシュマロがいいな」
寒空の下でぼそっと呟いた俺の小声と、ラウダの迷いの無い声が重なった。
「マシュマロ?」
「そう。焼いてあるやつ、食べたい。兄さんに焼いて欲しいんだけど……だめ?」
「いや、良いよ。甘いし、暖かくていいな」
クリスマスのごちそうに、マシュマロ。どう考えても万人が連想するわけではない、奇妙な返答だ。だというのに、ラウダがそう答えるのを俺は知っていた。
なぜか?
量子力学でいうところの多世界解釈の結果として生じうるとされている平行宇宙において……と考えが巡るのをぶんぶんと振り払う。そんなオカルトめいた与太話、物理じゃ無いって。いつのまにか溜まっていた灰を落とし、冷えた空気を吸いこむ。それでもなぜか、二人揃って怪しい儀式を始めたりするまでは、黙ってみててもいい気がしてきた。
だって、前世の俺ならそうしたと思うので。