ボールルーム「Shall we dance?」
シャンパンを飲みながら談笑している鬼舞辻にダンスを申し込んだのは、秘書の黒死牟だった。
「どうした、いきなり」
「いえ……」
鬼舞辻が真顔で聞き返すと、耳まで真っ赤になっているのが解る。鬼舞辻から面白がって誘うならまだしも、あの堅物の秘書がこんな気障な真似をするのは珍しい。ボーイにグラスを渡し、黒死牟の差し出した手を取って、ダンスフロアの中央へ行く。二人の登場に会場の視線が一気に集まる。周囲に手を振りながら、鬼舞辻は黒死牟と向かい合い姿勢を正す。
「お前、フォローは出来るのか?」
「いえ……ダンスは不得手で……リード役の基本的なステップくらいしか……」
「だよな……よくそれで、私にダンスを申し込んだな」
気まずそうに真っ赤になる黒死牟を見て、小さな溜息を吐く。
「では、私がフォローに回る。ワルツくらいは踊れるか?」
「はい……」
燕尾服姿の二人が並び、黒死牟はそっと鬼舞辻の腰に右手を回し、鬼舞辻も左手を黒死牟の肩に置いた。反対の手を握り合い、美しい姿勢でワルツの三拍子に合わせて華麗なステップを踏む。
「1・2・3の2を意識して踊れ」
「はい」
踊り始めると、会場が揺れるほどの拍手に包まれる。その場にいた全員が二人とも酔っているのだな、と思い、次第に気に留めず、談笑する者、飲食する者、踊る者に分かれていく。
鬼舞辻が上手くフォローしてくれているので、黒死牟も苦手ながらも何とか様になり、他のペアとぶつかることなく優雅に踊っている。
身を寄せ合いながら、曲調に慣れてきた頃に鬼舞辻は小声で「どうした?」と声を掛けた。
「産屋敷の手の者が……」
「そうか」
そういうことだろうと思っていたが、鬼舞辻は苦笑いしてバックバランスで周囲を見る。
「皆の視線を集めていれば、流石に向こうも何もしてこないでしょう」
「安心しろ、このボールルームを血で染めるほど、奴も無粋な男ではない」
曲調がタンゴに変わる。アルゼンチンタンゴを好む鬼舞辻の為に演奏してくれたようだ。
「タンゴなんて無理です」
「お前の身体能力ならいけるさ」
鬼舞辻は更に体を密着させ、面白がって足を絡めてくる。ワルツの三拍子から四分の二拍子に変わり、黒死牟は戸惑いながらも即座に対応する。
先程より激しい動きと、鬼舞辻の長い足が映える動きに、黒死牟はついていくのがやっとだが、視線は周囲に向けている。
「よそ見をするな」
「ですが……」
スピンし、プロムナードポジションになる前に目が合い、鬼舞辻の色気に満ちた表情にドキッとしてしまう。
「まったく、私の方が背が低いからと言って、フォローをさせよって……」
「申し訳ございません……」
「今度、みっちりダンスを教えてやる。お前用のドレスも用意してやるからな」
「えっ!?」
「冗談だ」
二人は笑いながらダンスを踊り、周りには聞こえない密談を続けた。
しかし、キスをするような距離まで顔を近付けてくるので、黒死牟は時々、本気で動揺し、鬼舞辻の足を踏みそうになった。
再びワルツに戻り、二人はゆったりとしたテンポで優雅に踊る。
「そう照れるな。私たちが恋仲だということは、ここにいる全員が知っているだろう」
「ですが……」
「官能的であることもダンスでは大事なことだぞ」
わざと体を密着させ、周囲から拍手と笑い声が上がることを楽しんでいる。この賑やかさと、体を密着させていることで、鬼舞辻が何を話しているのか誰も解らないだろう。きっと愛の言葉を囁いているのだろうとしか思っていないのだ。
「目障りなネズミを始末してこい」
曲が終わり、黒死牟はボウアンドスクレープ、女性役に徹した鬼舞辻はカーテシーで挨拶し、またも周囲の視線を独り占めしている。
そんな拍手喝采の中、黒死牟は「御意」と口許に笑みを浮かべて返事をした。