SF 目覚めると、まず、サイドテーブルに置かれた手紙に手を伸ばす。
それは年月の経過を感じさせる古く茶色くなった封筒と便箋。年月と共に色褪せてきた万年筆で書かれた文字を読むことが少年の楽しみであった。
自分の名前が「俊國」であること、病気がちに生んでしまって申し訳ないという謝罪、「黒死牟」の言うことを聞くこと、そして幸せになれ、と書かれていた。
「おはよう、お父様」
窓から差し込む朝日の中で、少年は古い手紙を胸に当てて呟く。
それが父からの手紙であると一言も書かれていない。しかし、少年は、その手紙の主を父親だと信じていた。
自分の幸せを願ってくれる存在は父に違いない、と。
実際、俊國には莫大な財産と、黒死牟という有能な執事を遺してくれていた。そろそろ部屋にやってくる時間だと思い、俊國はサイドテーブルに手紙を置いて、黒死牟がやってくるのを待った。
「おはようございます、俊國様」
「おはよう、黒死牟」
いつも同じ時間に黒死牟はやってくる。そして、黒死牟に抱えられ、俊國は洗面所へと向かう。
以前は黒死牟がベッドまで洗面器を持ってきて顔を洗う日々が続いていたが、最近は体調が良く、黒死牟の支えがあれば、屋敷内は動けるようになっていた。
車椅子で良いと言っているのに、黒死牟は「座り心地が悪い」と言って、必ず抱き上げるのだ。過保護だと俊國も呆れていたが、そんな表情を見る度に黒死牟は言うのだ。
「こうすることが出来るのも、あと数年のことですから」
俊國の成長を喜びつつも、少し寂しそうな顔をする。そんな黒死牟が大好きで、俊國はぎゅっと抱きついた。
「お前なら、僕が大人になっても、こうしてくれるだろう?」
俊國の笑顔に黒死牟は切なそうに目を細める。その表情を見ると俊國は胸が痛んだ。黒死牟は優しい。自分を一番に思ってくれているが、自分に誰かの面影を浮かべ、その人物を見ているようなところがあり、どれだけ目を合わせても、彼の本心が読めないのだ。
「俊國様、今日はお誕生日でございます」
「そうだったか」
黒死牟曰く、今日は俊國の10歳の誕生日。何が食べたいか、何か欲しいものがないかと朝から色々と尋ねてくる。
「プレゼントは何もいらない」
朝食のスープを飲みながら俊國は言う。「そう言わず……」と黒死牟は困った顔をするが、俊國は意を決して伝えた。
「お父様のことを教えて欲しい」
真っ直ぐな俊國の瞳に、黒死牟は困惑の表情を浮かべるが、ゆっくり頷いて、俊國が朝食を終えるまで静かに待っていた。
「お父上のことが、それほど気になりますか?」
「あぁ。正直、お母様よりお父様の方が気になる」
「左様で……」
黒死牟は俊國を抱き上げ、一階の奥にある書斎へと向かった。大きな本棚を動かすと隠し階段が現れ、俊國を抱えたまま黒死牟はその階段を降りていく。
「俊國様は何歳頃からご自分の記憶がおありですか?」
「……3歳頃かな……」
体が弱く、幼稚園や小学校に通えなかったので、思い出というものが極端に少ない。だが、黒死牟が絵本を読んで聞かせたり、ベッドでも出来る娯楽を用意してくれたので、言葉や知能に遅れがなかった。
しかし、改めて言われると、本当にそんな昔の記憶があるのだろうか。昨日の記憶ですら曖昧で、親のことも何も覚えていないのだ。
重い扉を開けると、部屋の中央には繭のような大きな塊があり、時々、繭そのものが脈打つように震えている。しかし、俊國が驚いたのは、何基もの培養槽が並べられ、その中には乳幼児から自分と同じくらいの、数多くの「俊國」が入れられていた。
「これは……」
「俊國様ですよ」
黒死牟はにっこりと笑い、俊國を培養槽に近付ける。
「俊國様は10年前、この培養槽から生まれた、限りなくオリジナルに近い個体です」
培養液の中にいる自分の姿を見つめ、俊國は何も答えられなかった。
「俊國様は無惨様の細胞を元に作られたクローンです」
「むざんさま……?」
「俊國様が『お父様』とお呼びしている方です」
黒死牟は自分と無惨についての歴史を語った。
無惨は平安の世に生まれ、鬼となり、千年もの月日を苦しみ、道を切り拓こうと戦った。しかし、鬼狩りとの戦いに敗れ、自分に財産と知識、そして「俊國」を残して、この世を去った。
俊國の病を治すことが黒死牟に課せられた使命であったが、俊國は肉の繭から生まれても1週間で死んでしまい、残り数も少なくなってきた。
そこで黒死牟は俊國の病を治すことよりも、俊國の数を増やすことに切り替え、実験出来る個体が増えたら、病を治す手掛かりが出来るかもしれないと気付いた。
無惨の遺した財産があるので、某大学の研究室に援助を申し出、その代わりに、どの学会にも発表出来ない実験を依頼した。それはクローン人間の作製であった。
勿論、黒死牟も無惨の膨大な容量を持つ脳と知識が受け継がれている為、大学に頼る前に自分自身で試みた。
肉の繭から俊國の血液を採取し、足らずは自分の細胞を合わせて、細胞分裂を繰り返し、培養液の中で俊國の胎児を作り出した。このまま培養槽で育てるにも、栄養をどう与えるべきかに行き詰った黒死牟は誘拐してきた女の子宮に胎児を入れ、無理矢理着床させた。黒死牟の血が混ざることにより、驚くほどの生命力により女の子宮で急激に育ったが、逆に鬼の血で拒絶反応を起こした母体は急激に弱り、そのまま母子共に死亡した。
しかし、女の胎を裂くと、死んだ俊國の赤子は以前のように消滅せず、遺体として残っていた。
鬼の能力を使わず、無惨のヒトとしての細胞のみを利用すれば、俊國ではない、無惨そのものを作れるのではないか、ということに気付いた。
しかし、その無惨の細胞を持つ存在は俊國しかいない。
黒死牟は莫大な資金と俊國を連れて、俊國のクローン作製を依頼したのだ。
俊國の皮膚細胞に4つの遺伝子を入れて培養し、多能性幹細胞を作り出した。そのまま、それぞれの部位に細胞を分化させ培養させる予定であったが、黒死牟ははっきりと言った。
「欠損を補うだけでは、この子の体は持ちません。クローンを作って下さい」
実際、黒死牟が言うように、持ち込んだ俊國は実験の負荷に耐えられなかったこともあり、2日で亡くなった。目の前で消滅する遺体を見て皆が驚いたが、既に細胞と遺伝子配列を取り込んでいた為、別の人間の受精卵を用意し、そこに「俊國」の遺伝子を上書きして、1体の赤ん坊が誕生した。
「それが俊國様でございます」
同時に俊國から抽出したヒトであった頃の無惨の細胞を培養し、分裂させ、彼の病が何だったのか、彼の遺伝子のどこに異常があるか見つけ出し、同時進行でその遺伝子を書き換えた個体を作り出し、俊國の体の欠損と取り替えることを繰り返していた。その繰り返しで、俊國は10歳を越えたのだ。
「待て……では、僕にその部位を提供してくれた子はどうなったのだ……?」
「子? ただの部品でございましょう?」
腕の中の俊國をいとおしそうに抱き締めているが、培養液の中の「俊國」が、この俊國の弱った細胞を補う為の部品にすぎないと黒死牟ははっきりと言った。
「悪いところがあれば取り替えれば良いのです。その為の部品ならいくらでもお作り致しますよ」
実際、この研究は表には出せないが、既に一部の人間には活用されている。主な利用法は臓器移植だが、クローンが欲しいと願う人もいるのだ。大学が表立って宣伝することが出来ないので、黒死牟が裏社会のビジネスとして成立させ、大学と黒死牟は研究を継続する為の資金を調達しているのだ。
「俊國様、お父様にお会いしたいと仰られていましたよね」
黒死牟は研究室の奥に向かうと、この屋敷で最も頑丈な扉があり、そこは黒死牟の静脈認証でないと入ることが出来ない。
その部屋の中には一際大きな培養槽が置かれており、その中にいる人間を見て言葉を失った。
恐らく、自分が成長すれば、このような姿になるのだろうな、と思われる成人男性の姿であった。
「俊國様、こちらが無惨様でございます」
黒死牟は恍惚とした表情で、その「無惨」という男を見つめる。
「ここまで研究が進んだというのに、俊國様が病弱な理由は解明されず、未だ無惨様のご病気を完全に治癒する方法が見つかっておりません。その上、多能性幹細胞が悪性腫瘍化するエラーが発生しています。なので、暫くはお目覚めになることは出来ないのです」
父と言われてもピンと来ない、若い男の姿に恐怖を感じた。
「俊國様、元気に育って下さいね」
頬擦りし、甘い声で囁いてくる。しかし、以前と同じような愛情は感じられなかった。そう、今まで黒死牟に感じていた、自分を透かして違う誰かを見ているという違和感は、この「無惨」という男のせいであったと気付いたのだ。
多くの命の犠牲と共に自分の体が作られていることへの恐怖と嫌悪感。そんなもので幼い胸を痛めていると、その小さな手を黒死牟は握った。
「俊國様がこのまま立派な成人になれば、その体を使って、無惨様を復活させます。その時には鬼であった私の細胞も使い、二人で永遠に不老不死として過ごしていくのです」
無理矢理、顔を培養槽に近付けられる。眠っている無惨を見て、これがあの手紙を書いた人なのかと思うも、朝のような感動は微塵もなかった。
「さぁ、早く立派な大人になって下さいね」
黒死牟が誕生日を殊更喜んだ理由が解り、俊國は全身から力が抜けるのを感じた。
目覚めると、まず、サイドテーブルに置かれた手紙に手を伸ばす。
それは年月の経過を感じさせる古く茶色くなった封筒と便箋。年月と共に色褪せてきた万年筆で書かれた文字を読むことが少年の楽しみであった。
自分の名前が「俊國」であること、病気がちに生んでしまって申し訳ないという謝罪、「黒死牟」の言うことを聞くこと、そして幸せになれ、と書かれていた。
「おはよう、お父様」
窓から差し込む朝日の中で、少年は古い手紙を胸に当てて呟く。
それが父からの手紙であると一言も書かれていない。しかし、少年は、その手紙の主を父親だと信じていた。
自分の幸せを願ってくれる存在は父に違いない、と。
実際、俊國には莫大な財産と、黒死牟という有能な執事を遺してくれていた。そろそろ部屋にやってくる時間だと思い、俊國はサイドテーブルに手紙を置いて、黒死牟がやってくるのを待った。
「おはようございます、俊國様」
「おはよう、黒死牟」
俊國が笑顔で挨拶すると、黒死牟は満面の笑みで返し、こう言った。
「俊國様、10歳のお誕生日、おめでとうございます」