議員に秋波を送るホステスに向かって止せば良いのにマウントを取るような事を言ってしまう秘書 馬鹿いってんじゃないよ お前と俺は
ケンカもしたけどひとつ屋根の下暮らして来たんだぜ
馬鹿いってんじゃないよ お前の事だけは
一日たりとも 忘れた事など無かった俺だぜ
本当に「馬鹿いってんじゃないよ」である。
付き合い始めて3年目。これまでも、ちょこちょこ怪しい動きはあったが、恐らく今、正に「浮気に発展する瞬間」を自分は見届けている状態なのだ。
付き合いで来た銀座の高級クラブ。「付き合いで」と言っているが大嘘である。常連だ。何度もクレジットカードの明細で名前を見ているし、交際費で落とせと領収証を渡されている。
たまたま「付き合いで」連れてこられたのは黒死牟の方である。普段、黒死牟の目を搔い潜って来ているのに、今日に限って「お供致します」と黒死牟は着いてきたのだ。
「鬼舞辻君や秘書君のようにイケメンが来ると、俺たちは目立たないよな!」
VIPルームに案内された一同は笑っているが、黒死牟は愛想笑いをしているものの、腸が煮えくり返りそうな状態である。
ホステスはプロである。いくら無惨が常連だとしても、そんな様子は一切出さず、ご丁寧に飲み物を尋ねて、白々しく山崎の18年のボトルタッグを外して持ってきた。
「濃さはどのくらいになさいますか?」
「そうだな」
と無惨が答える時、黒死牟はロックグラスと山崎のボトルを取り上げ、黒死牟が水割りを作り始めた。
テーブルにいた全員、目が点である。
無惨が好む水割りの濃さを一番知っているのは自分だと言わんばかりに、氷、ウイスキー、水を入れ、軽くステアする。
おしぼりでグラスの周りを拭き、黒死牟はやや乱暴に無惨の前に置いた。
「どうぞ」
「はは……黒死牟……お前、この店に転職するのか?」
引き攣った笑顔と裏返った声。黒死牟が怒っていることは無惨も解っている。
この状態だと多分、何を飲んでも味など解らないだろう。
黒死牟がここまで怒っているのは、何もクラブ通いをしているからではない。
無惨の隣にぴったりと寄り添っているホステスが気に入らないのだ。
歳は30前後だろうか。控えめで落ち着いた美人で、長い黒髪を緩やかに巻き、黒いシックなロングドレスを着ているが、肌は露出していないものの体にぴったりと張り付いて、しっかり出るところは出て、括れている見事な体型を主張している。
つまり、無惨の好みそのものなのだ。
あぁ、彼女がお気に入りなのだろうな、と黒死牟はミネラルウォーターを飲みながら冷ややかに見ている。そして彼女も無惨に言い寄られて悪い気はしていないのだろう。そりゃそうだろう、鬼舞辻無惨だ。この冴えない政治家のオジサンの中で一際輝いている、俳優と並んだって見劣りしないレベルの美形である。
超がつく高級クラブなのに安い大衆店のようにベタベタしている二人を見ていると、あー、こいつら一線越えてるな、と山崎のボトルで殴ってやりたい気がしてきた。
そう言えば最近、事務所の打ち上げでカラオケに行った時、「3年目の浮気」をデュエットさせられた。
「よくいうよ 惚れたお前の負けだよ もてない男が好きなら 俺も考えなおすぜ」
あの歌詞、そのままである。
お前が身綺麗にしているのは、外に出た時に女にチヤホヤされたい為なのか? と小一時間問い詰めたい。
他の議員もいるから、これ以上不機嫌にしていると無惨にガチで叱られるので、黒死牟はテーブルの真ん中に鎮座したフルーツの盛り合わせを黙々と食べていた。
「そう言えば先生、今年も東寺のライトアップは行かれたのですか?」
「今年は京都に戻るタイミングがなくてな。旅行割も重なって人も多いしなぁ。去年も徐々に人出が増えてきていただろう?」
ん?
パイナップルにフォークを差した黒死牟の手が止まる。
会話自体は別に世間話として受け流せる程度の話なのだが、このホステスは無惨が去年、東寺に行ったことを知っているが、黒死牟は東寺のライトアップに行ったことを聞かされていない。
秋のライトアップは大体10月末から12月上旬。その間に京都に戻ったことすら聞かされていなかったし、もっと言えば、この二人の会話は一緒に行ったとも受け取れる。
フォークを持つ手に力がこもり、鈍い音と共にフォークは折れた。
「いいですね、東寺のライトアップ。今年の桜は綺麗でしたよね、無惨様」
「あ……あぁ、そうだな」
春のライトアップは無惨と黒死牟で行ったので、黒死牟は美しい笑顔を見せる。
「うちの鬼舞辻は我儘で困るでしょう? 人混みが嫌だ、不二桜が満開の時でないと行きたくないとか……あぁ、秋でしたら枯れてますもんね。桜は咲いてないか」
いらんとこに火がついたと気付いた無惨はホステスから距離を取って座る。黙って水割りを飲みながら知らないふりを決め込むことにしたようだ。
ここから黒死牟は「うちの鬼舞辻」を連呼すること数十回。挙句の果てには夜の様子までペラペラと語り出した。
「こんな我儘な男を相手するのは大変でしょう? 解らないことがあったら聞いて下さいね。私、鬼舞辻の公私とものパートナーですので」
無惨とホステスの関係が今夜終わったことは言うまでもない。
帰りの車の中、一切アルコールを口にしていない黒死牟の運転で二人の家へと帰ることとなる。あのVIPルームはお通夜のように静まり返り、無惨は店のママや他の議員に平謝りしていた。
「何を誤解したのか知らないが、私と彼女はそんな関係では……」
「どうでもいいんですよ、そんなこと」
黒死牟は運転席の窓を開け、珍しく煙草を咥えて火をつけた。
「ああやって牽制しておけば、誰も貴方にちょっかい出そうとは思わないでしょう。残念ながら、もうホステス相手にイイ男気取りはできませんよ」
いつもよりやや荒い運転で帰る黒死牟を見て、無惨は黙って大人しく助手席に座っている。
「私にだってその気になれば相手はいるのよ」
歌詞のワンフレーズを黒死牟が口ずさむと、無惨は「それは困る」と黒死牟を見た。
「え? 無惨様が浮気するなら私もしますよ」
「それは嫌だ」
「そんな我儘が通用すると思っているのですか?」
黒死牟に睨まれ、無惨は拗ねた表情をして黙る。
「もうしない」
「聞き飽きました」
「絶対しない」
「するでしょう? 無惨様が浮気をしたら、私もします」
「それは困る」
そんな言い争いをしながら、二人は空いた道を適度に飛ばしながら家に向かった。