吸血鬼パロディ 幼き日より自分の隣には常に「死」が纏わりついていた。
それは姿も匂いも音もなく近付いてきて、身近な人を次々と奪っていく。
祖父母を、両親を、兄弟を、立て続けに流行り病で亡くし、天涯孤独の身でありながら、家族の遺した財産で、住まいを移し、牧場の経営を始めた。経営が安定し始め、妻を迎え、穏やかで裕福な生活を送って、やっと「死」から逃げられたと思ったが、今回は身重の妻を「死」に奪われた。それは自分が仕事の為に首都に向かった、たった数日、家を空けた時のことであった。
こんな田舎町では珍しい猟奇的な殺人事件であった。当時、家にいた使用人も皆殺しにされた上、妻は腹を切られ、胎盤ごと子供が抉り出されていた。
胎児も含め、すべての遺体は体から一滴残らず血が抜かれており、それが死因だと説明を受けた。
「そんな馬鹿なことがあるか!」
村人たちは警察を責めた。たった一晩で誰にも知られず、そんな犯行が出来るわけがない、と。田舎町の警察なら、そんな犯行を証明しなかったかもしれないが、あまりに残忍な事件だったので首都から警官が大勢やってきて、最新の科学捜査とやらを行った結果だった。
妻子を一度に失ったミチにとって、そんなことはどうでも良かった。村人たちの「これは悪魔の仕業に違いない」という声も、警官の「科学に基づく捜査で出た結果だ」という声もさほど変わりはない。どちらにしても、何をしても死んだ人間は生き返らないのだ。
警官と村人が言い争う声を教会の礼拝堂で聞いていた。神の前なら安全が保障されるという根拠のない信頼を警察も信じている辺り、科学捜査もたかが知れている。
「旦那様、神父様がお見えです」
「あぁ、今行くよ」
ミチは憔悴しきっていたが、愛した者たちを1日も早く神の御許に送ってやりたいと思い神父を呼んだ。しかし、こんな事件の被害者を弔うこと、そして犯人が未だ捕まっていないことを理由に断られてばかりで、唯一引き受けてくれたのは「夜だけ」やってくる不思議な神父だった。
静かに遺体安置室に入ってきた神父は、思っていたよりも若い青年で、ミチと同じ移民だろうか。この辺りでは珍しい黒髪に黒い瞳で、美しい顔立ちをしていた。
並べた棺を前に十字を切り、祈りを捧げる。そして、神父はミチの前にやってきた。礼を言おうとした瞬間に、神父の細い指がミチの頬に触れる。驚くほど冷たい指先に驚いたが、ミチは久し振りの人との接触に僅かな安心感を得た。
「随分とお疲れのようだ」
「……はい……眠れなくて……」
屋敷はとても住める状態ではなく、近くにある小さな小屋を仮住まいにしていた。事件で家族を失ったが、家畜は生きているので牧場の経営は続けなくてはいけない。日中、どれだけ働いても眠ると悪夢を見る上に、自分も殺されるのではないかという恐怖が常にあった。犯人が見つかっていない今、ミチを狙って戻ってくるかもしれない。牧場経営という仕事は村に大きな恩恵を与えてきたが、このような事件が起これば、「殺した動物たちの祟りだ」と村人たちは陰口を叩き、ミチは完全に村の中で孤立してしまっていた。事件が起こってから、妻や子、使用人たちの死を悼むどころか心身が休まる日すら一日もなかった。
「少し休んだ方が良い」
「大丈夫です」
「私が傍にいます。少し眠ってはいかがですか?」
「ですが……」
「このまま貴方に何かあっては、亡くなった方々が悲しまれます。夜明け前に私は帰りますが、それまでの間……さぁ、こちらに」
ソファに導かれ、ミチは横になる。枕元に座った神父はミチの髪を優しく撫でる。
「安心して下さい。これは私からのサービスです。いただくお代は葬儀の分だけで良いですよ」
やや不謹慎だが、神父なりのジョークにミチは小さく笑った。流石は神に仕える職業だ、こうしていると心が安らぐ、とミチは穏やかな気持ちで目を閉じた。
「このまま病になって死んでしまったり……私も犯人に殺された方が楽になれる気もするんです……」
子供の頃から「死」が近い存在であったせいで、こうして根こそぎ奪われていくと、自分が生きていく意味を見出せない、そう言おうとしたら、神父の細い指先が唇を押さえた。
「そのような悲しいことを……」
神父はミチの手を握り、額にそっとキスをした。
「人々は残酷だ。普段は家畜の肉を当然のように食らい、その命を軽んじ酷使する。だが、誰かを責める時には、その家畜に突然、命の重みを与える」
心地好い声音に体が一気に重くなり、意識が遠退いていく。
「さぁ、おやすみなさい。眠れば、きっとすっきりしますよ」
その言葉を最後にミチの意識は途切れた。
目覚めた時、既に昼過ぎで、いつまでも現れないミチを心配してやってきた警官に起こされた。遺体安置室で眠っているので、妻の後を追ったのではないかと心配され皆に謝った。
ふと指先を見ると、ぱっくりと切り裂かれた傷が出来ており、乾いたばかりの血が傷を塞いでいた。このような傷があったか記憶になく、僅かに疼く痛みに記憶を辿っていると、そういえば家族を失った時、必ず体のどこかに傷が出来て……とミチは何かを思い出そうとしたがバタバタと葬儀の用意が始まったので、そこで中断となった。
あの神父のおかげか、眠れたことによりミチは冷静さを取り戻し、妻と子、そして使用人たちを無事見送ることが出来た。
神父が祈りを捧げ、人々が一輪ずつ棺の上に白い薔薇を供えた。遺体はとても見せられるような状態ではない。棺ごと墓地に埋め、あとは犯人を捜すだけの状態である。
使用人たちの遺体も共同墓地に入れ、神父とミチはひとりひとりに深い祈りを捧げる。時間も忘れ弔いの作業を続けていると、夜明けが近付いてきた。
「では、私はこれで……」
急いで去ろうとする神父の袖を掴んだ。
「神父様、どうかこれからも私の相談相手になってはくれませんか? 勿論、謝礼はお支払いします」
自分には親も兄弟もなく、妻も失った。悩みを打ち明ける相手がいない中で、ここまで心安らぐ存在に出会えたのは初めてだった。ミチが必死に迫ると、神父は口許に笑みを浮かべ、瞳を赤く輝かせた。
「そう焦るな」
日の光を避ける為に、神父はミチの腕を掴み、血の匂いが濃く残るミチの屋敷へと入り込んだ。
「やっと、この日が来た……」
大きな口を開け、尖った牙を見せる。そして、その牙でミチの首筋に噛み付いた。
痛みと血が抜けていくことで手足が冷たくなって、意識が薄れていく。これが「死」か、とミチは初めて己の身に「死」が迫っている感覚を知った。
「お前が『死』ではなく、私と共に『生きたい』と願う日々を待ち侘びていた。どうだ、私と共に永遠を生きてみないか?」
ミチの血で汚れた口を拭い、神父は笑う。そうか、自分から常に家族を奪い続けた「死」はこのような姿をしていたのか、と朦朧とした意識で考える。この男は常に自分の傍にいて、この男と同類として生きる選択をする日を待つ為に、家族を奪い続けたのだろう。
「私は……」
今にも消えそうな弱い声で呟くミチの唇を神父は己の唇で塞ぐ。
匂いや音や気配がしないと思っていた「死」だが、このように美しい姿で、甘い匂いと、甘美なくちづけを与えてくれるのかと思うと、ミチは思わず神父の首に腕を回した。