そうして今日も罠を仕掛ける真夜中。フランス。
眠っていた凛の枕元で、携帯が鳴った。無視しようとしたものの、コールは10回を数えてもなお鳴り止む気配を見せない。絶対あいつだ。怒りを抑え込んで、凛は通話ボタンを押した。
「おい、なんの用だ、おかっぱ」
「あのね凛ちゃん、手をね、ちょっとケガしちゃってね」
痛いんだよね、と蜂楽が電話の向こうから頼りない声を出す。凛はうんざりしていた。定期的にスペインからかけてくる蜂楽に、そしてそれに毎度付き合ってしまう自分自身に。
ことの始まりはブルーロック時代。蜂楽と凛は、二人きりで練習することがあった。それを凛は煩わしく思っていた。しかし、しつこく絡んでくるし、ここに呼ばれてるだけのことはあり、蜂楽もまあまあ上手いので練習相手にはちょうど良かったわけである。
その日も、二人は一緒に練習していて、もうそろそろ風呂に行くか、と切り上げるタイミングでそれは起こった。
「あ」
凛が振り返ると、蜂楽は尻餅をついていた。ボールが床を転がっていった。
「……どうした、おかっぱ」
「足ね、ひねったかも」
あちゃ、とベロを少し出して蜂楽は言った。おどけたような口調だが、その額には冷汗が流れている。
「……」
「凛ちゃん!大丈夫だよ!何ともない!ほら、歩けるし」
立ち上がったものの、言い終わらぬうちに蜂楽はよろけてしまった。地面に手をついてしまう、すんでのところで凛は蜂楽の腹に腕をまわし抱えるようにして転倒を防いだ。
「ごめんね凛ちゃん。たぶんずっとここにいれば、監視カメラ見てる誰か大人が、様子を見に来てくれると思うんだよね」
だから俺のことは放って、戻っていいよ、と蜂楽は凛に笑いかけた。そして蜂楽は、凛の反応を待たずに監視カメラに向かって手を振り始めた。凛は、最初から自分に期待していない蜂楽に、凛は怒りに似た感情を覚えた。
「やめろおかっぱ。お前がそんなことしてても、また悪ふざけしてるとしか思われない」
「んー、たしかに」
「そこでじっとしていろ。いいか、ぜったい動くなよ」
姿を消してしばらくすると、凛は救急箱と台車を持って戻ってきた。
「凛ちゃん!もう戻ってこないと思った!」
「足出せ。テーピングしてやる」
凛は蜂楽の片手で足首を掴み、もう片方の手で、蜂楽の足の裏を包んだ。
「直角にする。痛かったら言え」
少し足首に力を加えても、蜂楽の顔色が変わらないのをみて、凛は包帯を足に添える。足首を一周、足の甲を一周、クロス、手際よく蜂楽の足に巻きつけていく。
「ふふ」
「あ?」
「凛ちゃん、息かかってくすぐったい」
蜂楽がクスクス笑いながら自身の足の甲を指さす。凛は自分が顔を近づけすぎていたことに気づき、カッと顔を赤くする。
「うるさいおかっぱ!」
「ごめんごめん、せっかくやってくれてるのに、ごめんね。もう何も言わない。よろしくお願いします」
蜂楽を睨んでから、上体を起こし顔を離して作業を続ける。
「凛ちゃん、足首撫でないで、くすぐったい。んんん、凛ちゃんのエッチ!」
「黙ってろ」
「はい」
「できた。おかっぱ、台車に乗れ。医務室まで運んでやる」
「もうこれでよくない?気のせいだったのかも。もう痛くない気がする」
「黙って言うこと聞け。……廊下に誰もいなかったら、スピード出して押してやる」
「スピード?」
「ジェットコースターだ」
「ジェットコースター?!凛ちゃんジェットコースターだ!俺だけの!!」
「わかったら、さっさと乗れ」
「うん!!」
その後は凛はゆっくり慎重に蜂楽を運んだ。こんなんでも将来有望なサッカー選手である。
「いつ加速しやすか?!」
「次の角曲がったらだ」
「角曲がったよ?」
「ドア入ったらだな」
「着いちゃったよ?」
「残念、加速する前に到着だ」
「凛ちゃんのバカ!嘘つき」
「あの、こいつ足挫いたみたいなんで。先生呼んでもらえますか」
「凛ちゃんのバカ!」
結局、蜂楽の足は本当になんともなくて、けれども貧血など他の原因を疑われしばらく戻って来なかったのだった。
その後からである。蜂楽の凛に対する様子がおかしくなったのは。
「凛ちゃん、指、紙で切っちゃった」
「凛ちゃん、さっき階段で転んじゃった」
「凛ちゃん、シャンプーしてたら目に入っちゃった。目薬さして?」
何かあるたびに凛に指名が入るようになったのだ。凛も最初のうちは断固拒否していた。しかし蜂楽が、凛に相手してもらえないなら怪我は放置する、とストライキの構えをとった。結局、帝襟から泣きが入り、渋々、凛が蜂楽の手当を担当することとなったのだった。
八度目の時、凛は蜂楽に聞いた。
「お前、俺の手を煩わせて、一体どういうつもりだ」
すると蜂楽はキョトンと凛を見つめた後、花の綻ぶような笑顔でこう言った。
「凛ちゃん、手当する時は、俺のこと見ていてくれるから」
凛は、ため息をついた。怪我のうち、いくつかは、わざと自傷行為を行なったようなのである。潔からも蜂楽の不穏な行動について、凛は報告を受けている。
「やめろ、それ。サッカーしろ。サッカーで俺の気を引け」
「うーん、でもね、俺は、蜂楽廻を見てほしいんだよ。なんでもない、ただの俺を」
「こんなことしなくても、俺はお前を見ている。というか勝手に視界に入ってくるだろ。余計な手間を増やすな。大人しくしていろ。サッカーできなくなったら、お前と一生口聞かないだろうな」
それから、蜂楽の怪我は減った。仕方なく、凛から構ってやることが増えたからだろう。
「凛ちゃん、俺、凛ちゃんのこと、好きだよ」
ブルーロックを離れる日の朝、蜂楽が凛にかけた言葉は、たったそれだけだった。
「今は何時だ。言ってみろ」
「わかんない。携帯電池切れてるから」
「お前は今何で電話かけてきてるんだ?」
「あちゃ」
凛は大きくため息をつく。付き合いも長くなってきて、甚だ遺憾だが、凛は蜂楽のことがよく理解できるようになっている。蜂楽の「ケガしたよ」は、「寂しいです」「会いたいです」と同義なのだ。
「週末、予定空けられる。来るか?俺が行くか?」
「んっとね、来て欲しい、かな」
「わかった。あと3日、大人しくしとけ」
ありがと凛ちゃん、おやすみね、と言って蜂楽は通話を切った。
困ったやつだ。振り回されている、この糸師凛が。凛は、どこで間違ったのだろう、とブルーロック時代を振り返る。ただ、何度やり直したとして、きっと蜂楽に手を伸ばしただろうし、蜂楽は凛を捕まえるだろうと考える。
そして、それは案外、悪くないものだ、と凛は思うのだった。