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    nagi

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    nagi

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    ◆薄明の暁星(前編)◆
    ルシファーと人間界で過ごす10日間シリーズ。
    時系列ガン無視のMC捏造設定多め。
    前編はMC(ネームレス)視点。

    #obm
    #obeymelucifer

    薄明の暁星01.
     カーテンの隙間から溢れた光で意識が覚醒した午前八時。やった!晴れた!と思ってそれを勢いよく開けると、雲間から一筋の光が差し込んでいるだけだったので項垂れてしまった。ここイギリスでは、晴天という日は大変珍しいのだ。気をとりなおして、またすぐ雲に隠れた太陽に、おはようと告げる。
     毎日カレンダーにチェックを入れながらずっとずっと待っていた時間がやっときたのだから、そのくらいで気分が悪くなるようなことは絶対にない。
     クローゼットを覗き込むと、昨日準備しておいたミモレ丈のワンピースが今すぐ身につけて!と訴えてくる。昨日はこれが最適だと思って準備したのだけど、今見てみると気合が入りすぎなような気もしてくる。細身のパンツにニットを合わせるくらいの方がいいんじゃないだろうか、なんて。
     着て、鏡でチェックして、脱いで、また着て、を繰り返し、疲れてきた頃に結局最初のワンピースに決めた。出て行く前からこんな調子じゃこの先大変なことになっちゃうかもと苦笑しつつ、クロワッサンをアップルジュースで流し込んでさっとお腹を満たしたら、お化粧に取り掛かる。
     私の人間界での部屋はごくごく小さいスタジオフラットの一室。だけど、寝室とキッチンが分かれていてバスルームまである間取りであることを考えたら素晴らしすぎる空間であることには間違いない。こんないい場所に住めるのは偏に祖母がこの部屋を遺してくれていたからだ。こんな場所に自費で住もうと思ったら、まず間違いなく破産だったろう。
     日本で就職したはいいけど色々な事情があってロンドンに移住してきた私だったのだが、それ以上に色々あって魔界に留学することになり、結局この家に住んだのも二週間ほどだけ。それでも戻ってきてみれば意外と「自分の家」である実感はあり、割と馴染んでいたことを知る。
    「ま、もう魔界も実家みたいなものだけどね……よし!メイクもおっけー!」
     薄くグロスを塗った唇をんぱっと開けて準備は完了。メイク道具を片付けてバスルームを後にすれば、ちょうど出発の時刻になっていた。忘れ物はないか確認してから玄関に向かう。
    「あれっ……晴れてる……」
     部屋の窓から覗いた時とは打って変わって、空には青みがかった雲がいくつか流れているだけで、とてもよく晴れていた。珍しいこともあるものだなぁ、と思いはせど、晴天で嬉しいことには変わりはない。願いが叶ったと吊るしておいたてるてる坊主にお礼を言いながら、ローヒールのパンプスに足をおさめ、青空の下に躍り出た。
     魔界から帰ってきてから代わる代わる遊びにきてくれていた兄弟たちのルーティンがついに一巡りして、ルシファーの番になったのが今日。珍しくも『時間が取れるから十日くらいはそっちにいられそうだ』なんて嬉しい申し出があったのを二つ返事で受け入れたのだけど、その「時間」が途方もない苦労のもとに成り立っていることを、私はちゃんと知っている。知っているからあえて口にしなかった。こっちでゆっくりしてもらうことが、一番のお返しだと思ったから。
     そんなことを考えていると自然と早くなる足取りにちょっとだけ息が上がってきて、そんな自分に恥ずかしさがこみあげる。このまま行ったらだいぶ早くついてしまうけど、待つ時間だって楽しいから別にいい。それに本当なら部屋に直接扉を繋いで貰えばよかったのを、恋人っぽいことがしたいから街中で待ち合わせしない?、なんてわがままを言ってこうしているのだ。ルシファーを待たせるだなんてもってのほか。三十分くらいなんのそのーーそういう気持ちでいたのだけど。その姿を目に捉えた私は思わず目を見張ってしまった。
    「なんで、いるの……っ!」
     一体どのくらい前からそこにいるのか。駅前に広場があるからそこにいてね、と言ったのは私……なんだけど、ちょっと絵になりすぎるその立ち姿に思わず足を止めてしまった。が、こんなことをしている場合じゃない。どれだけ待たせているのかもわからないのだ。すぐに気を取り直して近づいていく。
     彼の視界に入るような場所からの登場になっていなくてよかった、とばかりにルシファーの背中に勢いよく抱きつけば、身体はびくともしなかったけれど、すぐにこちらに振り向いた。それを感じ取って背中からそっと視線を上げると、ルシファーの紅の瞳に私が映る。途端、自分のした行為があまりにも子どもっぽく思えてきて、かけるべき言葉が口から出てこなくなった。
     なんていう予定だったんだっけ、私。久しぶり?元気だった?人間界に来るの大変だったでしょう?あ、いや、扉をくぐるだけなんだから大変ではないのか。えーっとえーっと……と頭がぐるぐる。
    「……ま……待たせちゃっ、た、よね?」
    「いや、今来たところだ」
    「っ、ぁの、!」
    「ははっ、なんだ、そんなに緊張して」
    「き、緊張なんてっ」
    「大衆の前で抱きついてきたのはおまえの方なんだが、それについては問題ないんだな」
    「!?」
     声にならない声をあげてバッと腕を上にあげた私を見てまた楽しそうに笑ったルシファーは、ふわりふわりと私の頭を撫でてスッと目を細めた。その奥に滲む色は、愛おしいと告げてくる。
    「久しぶりだな。元気そうでよかったよ」
    「っ!」
    「それから、会いたかったのが俺の方だけじゃなくてよかった」
    「んなぁ!?」
    「熱烈な出迎えに応えるにはキスの一つでもおくるべきかな、俺は」
    「っちょ、だめだめだめ!いくらここが魔界じゃなくたってそういうのはだめぇっ!」
     久しぶりの甘い台詞の数々に、体温が急上昇するのは止められない。鼻から下を手で覆ってもだもだ足踏みをしてNOの意思表示。すると案外かんたんに「それは残念だ」と言ってくれたのでほっとした……のも束の間、なぜかルシファーの顔が近づいてきてビクッと身体が固まった。
     それをルシファーが見逃してくれるはずもなく。腰を取られて少しそちらに引き寄せられたと思ったら、耳に直接吹き込まれた言葉に、ノックアウトしたのは当然のことだった。
    「この続きはおまえの家でやらせてもらうことにしよう」
    「ひぅっ!」
    「今は、そうだな。せっかくだからまずはランチでも。それからおまえの行きたいところに連れて行ってくれ」
     パッと離れたころには、私の手からハンドバッグが無くなっていて、さぁ行こうと促される。
    「えっ、るしふぁ、それ私のっ」
    「おまえに案内させるんだ。これくらいはさせてくれ」
    「でもルシファーの荷物は!?」
    「俺のことは心配するな。それとも俺と歩くのが嫌か?」
     思ってもいないことを口に出され、ぐっと喉が詰まる。そんなことがあるわけない。従う以外どうしようもなくなった。ここは開き直って今までのぶん、目一杯楽しもうと決意して、ルシファーの腕に自分の腕を絡めると、そのまま逆方向へ引っ張る。ちょっとくらい私の行動で戸惑うルシファーが見たいなんて天邪鬼かな。
    「そっちじゃなくてこっち!」
    「そうなのか」
    「カフェに行ってから観劇するの!チケットも取ってあるから、行こ!」
    「なるほど。わかった。……いや、その前に」
    「なに?」
    「今日の服、似合ってるな」
    「は、」
    「RADの制服やパーティードレスとも違って、いい」
    「っ……もぉ〜!!ルシファーのばかぁ……恥ずかしい……」
    「一生俺にだけ振り回されてくれ」
     にこやかな笑顔に敵うわけもなく、真っ赤にした顔のまま、私はルシファーと連れ立って街に繰り出したのだった。
     それから数時間。私とルシファーは普通のカップルのようにデートを楽しんだ。慣れない土地だからあまり詰め込み過ぎもよくないなと思って、今日は観劇と美術館を訪れる程度にし、夕飯の買い出しをすると早々に部屋へと戻る。
    「ルシファーの部屋より小さいからね、あんまり期待しないでね?」
    「俺をなんだと思ってるんだおまえは。独り暮らしの女性の部屋が豪華だなんて想像は元からしていない。それくらいの人間界の常識はわきまえてる」
    「それはそうなんだけど……この前マモンが来た時ドアで頭ぶつけて『ちっせぇな!』って怒ってたから一応」
    「俺とあいつを一緒にするな」
     注意喚起もそこそこに部屋に招き入れ、何か言われる前に、奥のドアの向こうが寝室になってるからそこに買った日用品を置いといてもらえる?、と声をかける。それから私は買ったばかりの食材を片付けてしまおうと冷蔵庫に向き合う。
    「うーん……全部入るかなぁ」
     人間界で二人分の食材を一気に買い込むことなど皆無なので、冷蔵庫の大きさを見誤ったかもしれない。ここにこれを入れて……などと悩んでいると、ルシファーが「おい」と、何故かとても不機嫌そうな低い声をあげたので驚いてそちらに顔を向けたら、彼は寝室の扉を開け放ったままで固まっていた。
    「?何してるの」
    「おまえの部屋はここだけか」
    「え?だからそう言ったでしょ……っあー!やっぱり小さいって思ったんでしょ。常識があるんじゃなかったの?」
    「違う。俺が言いたいのは広さのことじゃない」
    「じゃあ何が気になるの?」
     何かそんな変なものがあったかと心配になってきた私は、手を止めてルシファーの方に歩み寄り、ドアを支えたままになっている彼の腕の下から自分の部屋を覗き込んだ。くるりと見渡すも、出発した時と特に変わった様子はない。
    「別に何もないじゃない?」
    「あるだろう」
    「ええ……?ご、ごめん、あの、わかんない、デス……」
    「おまえの部屋にベッドは一つなのか」
    「ベッド?……あ、うん、独り暮らしだし二つもいらないからね……?」
    「この小さいベッド一つか?」
    「ルシファーの部屋にあるようなベッドがこんなとこに置けるわけないでしょ!?」
     ルシファーが何が言いたいのかわからずちょっとムクれ始めた私に対し、咎めるような視線が私を射抜いた。
    「っ……な、なん……でしょう……?」
    「あいつらと寝たのか」
    「は…………はぁ!?なんて事聞くの!?そんなわ……あっ、えっ……ええ……そういうこと……?」
    「そうなんだな?」
    「ちょっちょちょちょ、落ち着いて!?」
     狭い室内だ。数歩後ろに下がればキッチンに置いているテーブルに背中があたり、それ以上逃げられないことを悟る。ルシファーの手が私を囲い、テーブルにつけられたら逃げられない。
    「待って!誤解!誤解だから!寝たってそういうことじゃないし、えっとえっと、マモンはソファーで寝るからいいって言って聞かなかったしレヴィとはゲームしてたからそもそも眠ってないし、サタンも買った本を一日中読んでて朝になってたし、ベールの体格じゃこのベッド小さすぎたからベールもソファーで寝てたから本当に」
    「アスモとベルフェは」
    「っ、」
    「言えないのか?」
    「あ〜……あの二人は……ベッド、使ってくれたけど……っでもだからって何かやましいことがあるわけじゃないったら!」
     目と鼻の先で黒い笑みを浮かべたと思えば、ルシファーはとんでもないことを口走った。
    「あいつらには今後、人間界に宿泊する権利は与えないようにしよう」
    「ええっ!?理不尽すぎじゃない!?」
    「何を言っているんだ。このベッドで寝ていいのは、俺だけだ。そうだろう?」
    「っ〜……!!」
     ルシファーにとってもこのベッドは小さいよ、とは口に出せなかった。だってそうしたかったのは私も一緒なんだもの。こういうやりとりにだって、実のところ嬉しいやら愛おしいやらで胸が煩くて身体が熱くなってくるのを止められないのに。
     精一杯の抵抗で目を逸らしたけどそんなことが許されるはずもなく、赤いマニキュアで彩られた指が頬に伸びてきた。たいして強い力でもないのに、つつつ、と肌を滑っていくその感覚に抗うことができず視線が絡み合う。
    「それはそれとして。半日以上も我慢してたんだ。キスの一つくらいさせてほしいんだが」
    「でも、その、ゆうごはん、が」
    「そんなものはいつだっていい。それに俺を満たせるのはおまえだけだしな」
    「ッ、るしふぁ」
    「それとも、そうしたいのは俺だけか?」
     ずるい。そんな風に哀愁を漂わせてそんなセリフを吐くなんて。私が嘘でも否定の言葉を音にできないのを知っていて、そんなことを言う。降参、の二文字も、今この状況で口に出すのは少々難易度が高いので、胸の前でモジモジさせていた手を伸ばしてルシファーの首筋に触れると、キョトンとしたルシファーが次第に口元を綻ばせた。
    「くくっ……おまえは変なところで恥ずかしがるんだな。ここには俺とおまえしかいないのに」
    「……っそういうのは、関係ないのっ!」
    「もう少し素直になれ」
     そうして優しく囁かれてしまえば、本音を言う以外の選択肢は取れなくなった。小さく、会いたかった、と呟くや否や唇を塞がれ、あとは気の向くまま甘い唇を貪り合う。
     今日からたった十日だけど、二人きりでいられる時間が楽しい時間になりますようにとの願いは、人知れず空を滑ったお星様だけが知っていればそれでいい。


    ∞∞━━━━━━━━━∞∞━━━━━━━━━∞∞

    02.
     カチャカチャと、小さな音が耳に届いて意識が目覚める。
     ぼやける視界の向こうには、天井。そこに薄っすら射し込む光を見ると、どうやら今日も晴れているようだ。
    「……るしふぁ……?」
     昨晩共に眠りについたルシファーの姿はベッドの上にはなく、サッと青ざめた。あれは幸せな夢だったのかと。しかし、身体を起こそうとしたところで腰が重くてへにゃりとベッドに逆戻りしてしまい、そこでやっと「あ、これは」と思い当たって今度はカッと耳が熱くなる。全く忙しい表情筋だ。
     そのタイミングを見計らったかのように、キッチンからルシファーが顔を覗かせた。
    「お目覚めか?」
    「おはよ……。う……起き上がれないなんて……そんな……」
    「ははっ!久しぶりだったからな」
    「っ……そんなに晴れやかな顔で言うことじゃないよぉ……。昨日食べられなかった分、朝くらい腕を振るうつもりでいたのにぃ……」
    「気にするな。魔界でもやってることだ。それよりも、キッチンまで運んでやろうか?」
    「いいっ!!も……!!これ以上恥ずかしがらせないで!」
    「昨日も言ったが、誰もいないんだ。存分に甘えるといい」
    「それはこっちのセリフだよ。せっかく魔界から出てるんだからゆっくりしてほしかった」
    「あいつらがいないだけでもう十分すぎるほど平穏だ。ほら、冷める前に来い。それともまだ抱かれたりないか?」
    「ッそんなわけないでしょっ!」
     目を逸らし、言い返した言葉に対して囁かれたのは、なんのことはない。今夜の予定だった。
    「ゆっくり……というなら今夜はバスタイムで決まりだな」
     ベッドに腰掛けて私を引き寄せたルシファーは、頬にチュッとリップノイズを響かせて心底楽しそうに笑った。
     そんな朝のひと時の後、やっとダイニングテーブルに着き、いただきます、と手を合わせれば、「おまえのそれを聞くのも久しぶりだ」と言われ、恥ずかしくなってしまう。なんだか夫婦みたいだなぁとは口には出さなかったけど、何を考えているのかバレているような気もした。
     出来たての朝食を一緒に食べられる、その事実に頬が緩む。起き抜けのふにゃふにゃな顔がさらにどうしようもない状態になっているのか、緩みすぎだと、今度は苦笑された。
    「それで、今日の予定は?」
     もごもごと口を動かす私の前で優雅にコーヒーを嗜みながら、ルシファーが訊ねる。手を止めて頭に思い描くのは十日間分のプランだ。
    「んー、本当はね、ルシファー、来たばっかりだし、一日中家で休もうと思ってたんだけど……こんなにいい天気だとちょっともったいないなって」
    「さっきも言ったが、俺はあいつらがいないだけで随分心も身体も休まっているから気にする必要はない」
    「口ではそう言っても疲れは溜まってるよ絶対。ルシファー、ワーカーホリックじゃん?」
    「ワーカーホリックな自覚はないな」
    「えっそれで!?」
     自覚がないワーカーホリックほど怖いものはないと思うけど。たまーに魔界でもくたくたになってるのに。
     しかしながら、それはそれとして。そういうことであれば、せっかくの機会、色々と行きたい場所はあったので、あまり大変そうでないプランを脳内ではじき出す。
    「……そこまで言うなら……じゃあドライブしよう!」
    「ドライブか。それは構わないが、」
    「運転は私がしまーすっ!」
    「……………………できるのか、運転」
    「ちょっと!何そのまなざし!何その間!できるよ運転くらい!免許だってちゃんと持ってる!」
    「……不安だ……」
    「っそういうルシファーは運転できるの!?」
    「あたりまえだ」
    「えっ、ほんと?」
    「おまえは俺がおまえの何倍長く生きてるか知ってるだろう。そのくらいできなくてどうする。大体マモンの車も見たことがあるんじゃないか?あいつが乗れて俺が乗れないわけがない」
     そう言われると妙な納得感はあるけど、マモンが車に乗ってるのもちょっとびっくりしたんだもん。デモニオちゃん、だったか。あれを部屋にどうやって運び入れているのかはいまだにわからない。
     ルシファーが電車に乗るって言っても不思議だけど。でも乗る対象が自転車になってももっと不思議だし。結局のところイメージできないだけなのか。自分の想像力が欠如しているのかもしれない。
    「ちなみに箒も乗れる」
    「わっ!そのイメージもなかった!でもルシファーさ、悪魔姿なら羽根で飛べるんじゃないの?必要なくない?」
    「それでもだ」
    「……暇だったの?」
    「そういう言い方をするんじゃない」
     お咎めの視線がジトっと私に向けられたところで、ごめんごめんと謝った。
    「頼ってばっかりになっちゃうけど、本当にいいの?」
    「そのくらいなんてことない。おまえが運転する車に乗る方が気持ちが休まらないしな」
    「言い方!っもー!」
    「くくっ……!で?どうするんだ?」
    「レンタカー予約する!ルシファーが運転してくれる?」
    「最初から素直にそうすればよかったんだ」
     と、そんなやりとりの暫く後、街を抜けた私たちは、抜ける様な青の下、海岸沿いのドライブコースを走っていた。
     本人の言う通り、ルシファーの運転は完璧だった。様になりすぎて怖いくらい。制限速度ギリギリラインで車を走らせ、ブレーキを踏むこともほとんどないからか、人が運転する車に乗ると酔いやすい私でも全然苦にならなくて驚いた。もしかしなくても、これまでは運転手の腕があまり良くなかっただけかもしれない。
     時々横顔を盗み見していることに気づかれていないといいのだけど。遠くを見つめる紅眼に映っているのが、ただこの先の景色なのか、それとも私が見ることができない何かなのか、ちょっとだけ不安になったりしてしまうなんて、あまりにも馬鹿げている。
    「実のところ、この国の言葉はあんまり得意じゃないの」
    「ん?そうなのか」
     運転中に運転手に触れるなんてことはできなくて、だから唐突に会話を始めた。内容なんてなんでもよかった。ルシファーが、今ここにいてくれていることさえわかったら。私の声に耳を傾けてくれるのはルシファーだけ。会話を邪魔しない程度にかかっているラジオからは、知りもしないのにかっこよく聞こえる英語の歌詞が聞こえてくる。なんだか映画のワンシーンみたいで不思議な感覚だった。
    「うん。そこそこはわかるんだけど、うまく意思疎通できない時もあって。そういうとき、言葉の壁って分厚いなって思うの。同じ国に生まれて、ずっと同じ文化で育ってきてても隣にいる人とまるで違う考えを持っていたりして分かり合えないって言うのに、文化圏も言葉も違うんだから仕方ないけど」
    「それはそうだな。俺たちも七人で長い間生活しているが、いまだにわからないことだらけだ」
    「ふはっ……!確かに!みんな個性ありすぎだもんね」
    「そう言うことだ。だからそんなに気にするな」
     ルシファーについてもわからないことは多いけど、こうやって同じレベルで言葉を理解しあえる距離にいられてよかった。ソロモンに魔術を教わっている間は一人ではないし、みんなが入れ替わり遊びに来てくれていた間も一人じゃなかった。それでもやっぱり、多くの人に囲まれている環境に慣れすぎていてちょっと不安だったんだなと、何気ない会話の中で思い知る。今更ながらにホッと外に息を吐き出すと、少しだけ心が軽くなった気がした。
     開け放たれた窓の外、海に反射する眩しい太陽の光に思わず目を細める。絶えず風が吹き込んでくるのは爽やかなんだけど、それと同時にブルッと身体が震える。だいぶ暖かくなってきたとはいえ、ちょっと冷えるなと腕をさすったら、いつの間にそれを見たのか、ウィインと音がして窓が閉められてしまった。
    「あっ」
    「閉めておけ。窓越しでも十分外は見えるだろう」
    「風、気持ちよかったのに」
    「ナビ通りならもうすぐ街に出る。そこで適当に車を停めて風にあたればいい」
    「はぁい」
    「なんだ。納得いかないようだな」
    「え?全然そんなことないよ?ルシファーお父さんの言うことはちゃんと聞かなくっちゃね」
    「ほぉ?」
     実際その行動に対して私は何も思っていなかったし、むしろもう閉めようと考えていたところだったからさすがルシファーだなぁと感じた上での冗談だったのだけど、声のトーンが悪かったのか、ルシファーからの返事がちょっと怒ったような声だったのにはしまったと思わざるを得ない。沈黙が重くて居心地が一気に悪くなった。やっぱり同じ言語の会話でも、伝わらないことも多いみたい。
    「……何か気に障った……?」
    「……」
    「えっと……あの、わあっ!?」
     スッと視線だけこちらに寄越されて言葉に詰まっていたら、グルリと車の進む向きが変わった。この車に乗って初めて身体が横揺れしてびっくりした刹那、それは音もなく止まる。何が起こったのかわからない。けれど、視界に入る景色を見る限り、どうやらさっき言っていたように、街の入り口に着いたようで。とすればここは駐車場なのかもしれなかった。
    「ルシフっ」
     名前を呼ぶのと同じタイミングでグッとルシファーが助手席に身体を乗り出してくる。それを認識した瞬間、私の視界はルシファーでいっぱいになった。
    「おまえには、もう随分教え込んだと思ったんだが」
    「ッ、な、なにを……?」
    「俺は、おまえにとってただの家族なのか?」
    「え……家族……って、あっ!?」
     そこでやっとルシファーの気に障った言葉に合点がいった。
    「あれはちょっとした冗談!!違うよ、だいたいルシファーは私の家族じゃないし!?」
    「そうだな、おまえは当初から長い間、自分はリリスじゃない、と騒いでいたからな。それと同じだ。俺の、そろそろわかってもらわないと怒るぞ、という気持ちもわかるな?」
    「わ、わかる!わかってます!ごめん!やっぱり伝わらないことも多いね!?同じ言葉使ってても、あ、あはは……生きてきた場所が違うから、かな……?」
    「しらばっくれるなよ。さっきの話とこれは訳が違う」
    「ウソウソ!?一緒だよ!本質は一緒!!」
     これ以上近づいたら唇がくっついちゃう!と二人の顔の間に入れようとした手は、事前に予想されていたのか簡単に絡め取られてシートに縫い付けられてしまった。
     触れるだけのキスをひとつ。
     それから、ごめんね、といえばもうひとつ。
    「ンッ……るしふぁーは、お父さんなんかじゃないよ、私の、……こいびと、だよ」
    「それなら二度と他の言葉で俺を表現しないことだな」
     最後に降ってきたのは唇を食むような、ちょっとだけ長いキスだった。ゆっくりと離れていく間に、ルシファーが自分の唇をペロリと舐める。それがとても大人っぽく見えて、私も大人なんだけど、生きた年数の差を見せつけられた気がした。
    「そんな顔をして、俺を誘惑するつもりか?」
    「え……」
    「車の中で、なら、こんな場所では無理だぞ。俺はおまえの可愛いところを見せびらかす趣味はない」
    「……ッ!?」
     暗に情事のことを仄めかされてブワッと身体が熱を持った。一旦降りよう、と車のドアに手をかけたルシファーに、このままやられっぱなしは癪だなとばかりに、背にもたれかかって彼を引き留める。
    「どうした」
    「……私だって、ルシファーの色っぽいとこ、他の誰にも見せたくない、もん」
    「おまえは……」
     振り返って私を見下ろすルシファーの耳は少し赤く染まっていて、それを見た私の頬はもっと赤くなったに違いない。そんな私の顔をむにっと挟むと、ルシファーと額がコツンと合わさった。
    「帰ったら覚えていろよ」
    「っ!」
    「明日、本当に立てなくなっても俺は知らないからな」
    「それは、」
    「だが今は、せっかくここまで来たんだ。デート、したかったんだろう。おまえのしたいことは俺のしたいことだ。しっかりエスコートさせてくれ」
     苦笑したルシファーは、私の頭をぽんぽんとしてサラリと車を降り、そのまま回り込むと助手席の扉を開ける。
    「ほら、お手をどうぞ」
     そんなエスコート、王子様みたいだ。ああもう敵わないなと、私は満面の笑みを浮かべて、その手を取った。
     今日は、長い長い一日になりそうだ。


    ∞∞━━━━━━━━━∞∞━━━━━━━━━∞∞

    03.
     昨日は遠出をしたのでなんだかんだ二人ともグッスリ熟睡だった。
     あんなに晴れていた空は、家に着く頃には私たちの疲れを代弁するかのように泣き始め夜通ししとしとと降り続けたようだ。起きたのは普段に比べたら遅めの十時ごろだったけどそのときはまだどんよりと曇っていた。湯船にお湯を溜めながら、ロンドンらしいなと窓の外を眺めていたら、いつのまにかルシファーまでもがバスルームに入ってきてなし崩しに一緒に湯に浸かることになったのは言うまでもない。
     けれど、そんな長い長いバスタイムが終わりブランチを食べていたころにはダイニングの窓から明かりが差し込んできて、あまりのタイミングのよさに目を輝かせた。
    「あーっ!陽が出てきた!」
    「雲が切れたのか」
     食事の途中でマナーがなっていないけど、つい立ち上がって窓を覗く。苦笑しながらもルシファーも後に続いて窓に近づいてくれた。
     ぴちゃん、ぴちゃんと屋根から雨水が滴る音が心地よい。少し顔を覗かせると、道路の水溜りに陽が反射してキラキラと眩しかった。どことなく空気も爽やか。雨が降った後の世界は一段と美しい。
    「ねぇ、せっかくだからお散歩しない?この辺り、公園もあるしちょっとした商店街もあって移動カフェみたいなのもたくさん出てるの。夏場だとアイスとかも売ってるんだけど……今はないか……。でもパウンドケーキくらいならあると思う!ちょうどおやつに」
    「今食べたばかりなのにもうおやつの話か?」
    「ちっ、違うよ!ちょっと歩いてもし小腹が空いたらの話!」
    「くくっ……!冗談だ。そうだな、その時は食べたらいいさ」
     いちいち子ども扱いされるのがちょっと悔しい。でも齢何千歳の悪魔からしたら私なんて赤子みたいなものなんだろうなとも思う。ぷく、と頬を膨らませるくらいしか抵抗ができずにいると、「ほら、さっさと食べ切れ。出かける時間がなくなるぞ」と急かされて、毒気を抜かれてしまった。なんだかんだ、ルシファーには一生敵いそうにない。
     それから暫く、準備を終えた私たちは、ふらふらと街を歩いていた。
     こうしていると、魔界も人間界もあまり変わりはないので不思議な感覚だ。違うのは太陽があるかないか、そのくらい。天界はさすがにちょっと空気感も違ったけど、もしかしたら私が出ていっていない場所に街のようなものもあるのかもしれないし、そう考えると殿下が思っているよりも三界を好きな時に好きなだけ行き来できるようになる日は遠くないのかな、という気もする。でもそれは素人の理想的見解ってやつなのかな。私にも何か、もっとできることがあればいいのに。私の指にはいつも光の指輪がはまっている訳だけど、これだって三界を壊しちゃうからつけてるってところもあるし、なんだか私ってなんなんだろうなぁ。むしろいない方が全然いいんじゃないか、なんてところまで行き着いてしまって、だめだ暗いことを考えるのはよそうとルシファーに話しかけようとしたら、そのルシファーはD.D.D.を見ながら眉間に皺を寄せていて、私よりも悩んでるようだ。
    「どうしたの、そんな顔して。何かあった?」
    「ん?ああ……少しトラブルがあったみたいでな。本当にどうしようもない」
    「えっ、大丈夫なの?それ、帰った方がい」
    「こら」
     コツンと額に拳が当たって、「わっ」と反射で声を上げると、ルシファーはものすごい苦笑を浮かべた。
    「せっかく時間を作ってきたのに、こんなに中途半端に魔界に戻ろうなんて思うわけないだろう」
    「でも……だって、ルシファーが魔界のことより私を優先してくれるなんて」
    「なんだその言い方は。失礼だぞ。俺だって自分を優先するときもある」
    「……魔界にいた時はいつだって執行部のこと優先してたよ?自覚なかったの?」
    「む……そうだったか?」
    「そうだよ。だから……」
     その先の言葉は言っていいのか悪いのかわからなかった。下手なことを言ったらただの我儘に聞こえそうだったし、そんな足枷を作りたいわけじゃなかったから。だけど、いつも、いつだって、その気持ちから視線を逸らして黙っていた。
    「だから、寂しかった、か?」
    「へ、」
     なのに、まさに私が呑み込んだ台詞がルシファーの口から飛び出して、驚きで目を見開いてしまった。
    「すまなかった。どうにも時間感覚には疎くてな」
    「えっ、あっ、そ、んな、ルシファーが謝ることじゃ……だってそれは仕事だから」
    「聞き分けがいいのは助かるが、良すぎるのも心配になる」
    「で、でもほら、そんな、やらなきゃいけないことの邪魔なんてしたくないし」
    「少しくらい、束縛してほしい」
    「、は」
    「なんて言ったら、呆れるか?」
     困ったように眉を下げたルシファーは、そう言って笑う。
    「ルシファーはみんなに頼られてるし、私だけがそんな……そんなこと、できないよ」
    「俺のマスターは謙虚すぎる。いいと言ってもダメだと言うし」
    「だって、」
    「おまえが俺のものであるように、俺もおまえのものだ。契約とはそういうものだ。肝に銘じておけ」
     そこまで言われては、私だって黙っちゃいられない。聞き分けがいい?謙虚?ああ馬鹿みたいだ。自分が思っている以上に、何も伝わっていなかった。私はとても欲深いし、ルシファーのことは誰よりも好きだという自信だってある。人間界にいる時くらいは、何もかもぶつけてみるのもいいかもしれない。
    「ルシファーっ!」
     歩き出したその背中を、名前を呼んで止める。ほんの一歩の距離を離れるのも嫌で、ずいっと詰め寄ってルシファーの腕を取った。
    「人間界にいる間は、D.D.D.禁止!私のことだけ見てて。私のことだけ考えてて。私のために、ルシファーの時間を使って。……じゃないと、拗ねちゃうんだから」
     本心を曝け出すというのは、なぜこうも恥ずかしくて泣きそうになるのか。こんなことすら素直に言えないなんて、逆に情けないからなんだろうか。む、と唇を突き出してちょっと潤む瞳を誤魔化すと、一瞬ポカンとしたルシファーはふはっと吹き出して破顔した。
    「普段からそのくらいわかりやすくいてくれると助かるよ」
    「……重くない?」
    「なにが」
    「ルシファーのこと、好きすぎるから」
    「愛情の重さなら俺も負けるつもりはないな」
    「っ……ずるい!そんなこと言われたらもっと好きになっちゃう!」
    「ああ、そうしてくれ。俺がいないと生きれないくらいで丁度いい」
     恥ずかしげもなくそんなことを言われて、白旗を上げたのは私のほうだった。何を言ったって勝てるわけないんだ。ルシファーになら一生負けたままでいいやと思ってしまう私は、マスターに向いてないのかもしれない。人ごみに紛れて歩く私たちが、普通のカップルに見えていたらいいのに。マスターとか悪魔とか、そういう肩書きよりも手に入れたいそれは、きっと生涯手に入らないものなんだろう。指にはまっている光の指輪はとても大事なものだけど、今はなんだか陳腐に感じて悲しくなった。ルシファーにとって大事なものをそんな風に思いたくないのにな。なにか、なにか私の気持ちを具現化したものもあればいいのに。形ないものももちろん大事なのだけどーーと、そんなことが頭を掠めた時だった。
    「あっ」
    「ん?」
    「きれー……」
    「……ネックレスか」
     ショーウィンドウの向こう側できらりと光を反射したそれは、小さな石。立ち止まって詳細な説明に目を通すと、道理で一際光っているわけだ。たった一粒輝いていたのは稀少な宝石だった。
    「へぇ……アレキサンドライト……あ、これ、六月の誕生石なんだって。ルシファーの石だ。光が当たると青から赤に変色しますって、ふふ、本当にルシファーみたい」
    「そうか?俺はこういうものにはあまり興味がないから、俺みたいと言われても実感が湧かないな」
    「魔界にはもっと綺麗なものもたくさんあったし、それも仕方ないかもね」
    「……おまえは好きなのか」
    「え?まぁ人並みに綺麗だとは思うよ、もちろん。でもさ、身の丈に合わないものはダメだよ。私なんかに身につけられたらこの石も可哀想」
     さ、もう行こう、とルシファーの腕を引いたけれど、思いの外そこに留まろうとする力が強くて引き戻されてしまった。珍しいなと、そちらを見遣る。
    「ルシファー?」
    「おまえは魔界でもそうだったが」
    「ん?」
    「ものさしを変えた方がいい」
    「……?ごめん、どういうこと……?」
     意味がわからずクエスチョンマークを返すと、ルシファーは私の腕を引いてその店に足を踏み入れた。カランと乾いたベルの音が鳴ると店員がこちらににこやかな笑みを浮かべ、挨拶をしてくる。それに対して「これを試着したい」と告げたルシファーはわざわざネックレスをショーケースから取り出させ、そしてそれを、あろうことか私の首に着ける。買う気などさらさらなかった私はオロオロするばかり。さっきチラ見した値段は、さっと計算できない数字だったから困ってしまう。
    「ちょっ……!ルシファー、私、こんなの買えないって……」
    「見てみろ」
    「え……」
     鏡の中、私の首元できらりと光った一粒の青緑はとても綺麗だ。けど、やっぱり高貴すぎるというかなんというか、私には合わない気がして苦笑まじりにルシファーの方に視線を向ける。
    「ルシファー、綺麗だけどこれは、」
    「いいか。最初から決めつけるんじゃない」
     もう一度鏡と向かい合うように顔の向きを戻されて、それと同時、私の顔の真横にルシファーの顔が並ぶ。人間離れした綺麗なその顔の横に自分がいるのが滑稽で、でもルシファーはそんな私にお構いなしに、鏡の中の私を見つめる。
    「ほしいものややりたいことがあったら、身の丈に合わないと諦めるんじゃなく、努力しろ」
    「!」
    「どこぞの兄弟みたく強欲になれと言っているんじゃない。せっかく心を揺さぶられるものに出会えたんだとしたら、最初から諦めるのではなく、少しくらい貪欲になるのも悪くない、ということだ」
     おまえが俺を手に入れたときみたいにな、と笑ったルシファーは、ぽん、と私の肩を優しく叩くと、私を残してどこかに行ってしまった。鏡の中の私はポカンとした阿呆面。そんな私には、お世辞にもこのアレキサンドライトは似合っていない。それでもなんだか、いつかの未来でこれが私の首元にしっくり収まっていたらいいなと願ってしまった。
     そっと首元に指先を這わせた私を、店員さんが優しく見つめていてちょっと恥ずかしい。
    「……手に入れた、か」
     ルシファーとは確かに契約はしたけど、あんまりそういう意味だとは思っていなかったし、なんなら他の兄弟全員とも契約したときも手に入れたなんて微塵も考えていなかった。ベルフェに言われていたのもあったから余計かもしれない。そもそも悪魔とはいえ、命のあるものを「手に入れた」なんていうのもおかしな話だ。君が俺のものになるんだ、なんて言われるとも思っていなかったし。ていうか俺のものってなに。ソロモンは悪魔は使役するものだと言っていた。それとは何かズレのある表現だ。光の指輪の時もそうだったけど、なんだかその言い方は、主従とかではなくて共に在りたいと願うような……そう、結婚、みたいで。
    「待たせたな」
    「!」
     物思いに耽っている間に戻ってきたルシファーに、行こうか、と背中を取られた。慌てて待ってと引き留める。
    「これ、外さないと!」
    「いい」
    「は?」
    「それはおまえのものだ」
    「……ま、……え!?」
    「そのままつけていろ」
    「っ嘘でしょ!?買ったの!?」
    「『俺みたいな』宝石らしいからな。おまえ以外の元に行かせるのは惜しいだろう?」
    「〜〜……ッ!」
     首元から額まで真っ赤にされてしまった私の口はパクパクとすることしかできない。そんな私を見て楽しそうに笑うルシファーは、ああ、とさらに追い打ちをかけてきた。
    「ちなみにだが」
    「ま、まだ何かあるの!?」
    「おまえはそのままでも十分だからな」
    「なッ」
    「努力しろ、と言ったのは、おまえ自身が納得いっていない様子だったからで、俺からしたらおまえは少しやりすぎなくらいだ。手を抜くところは抜いてもいいんだ。もっと俺を頼れ。俺に甘えろ」
    「は、ひ」
    「さっきも言ったが、俺がいないと生きれないくらいで丁度いい」
     私の中で雨が降ったって、ルシファーがすぐに雲一つない晴天に戻してくれる。
     それはもう、ルシファーがいないと私がダメになっている証拠なのに。
    「……大切にする」
    「そうしてもらえると嬉しいよ。俺も、その宝石もな」

     手始めに、まずは素直になるところから頑張ってみようかな。
     彼の手を取って指を絡めて見せれば、それはそれは幸せそうに目を細めたルシファーに、満たされたのは私の心だった。


    ∞∞━━━━━━━━━∞∞━━━━━━━━━∞∞

    04.
     ぽかぽか。春みたいな陽射しが空から降り注ぐ。家から少し離れた公園の芝生の上に寝転ぶ私。あまりに長閑なのでここがどこだか忘れてしまいそう。
     今朝、今日は何しようかと話していたときに、そういえば兄弟だけでなくディアボロにまで土産物をせびられたんだったとルシファーが頭を抱えたので、じゃあお土産ショップ巡りをしようと外に出てから二時間あまり。休憩がてらここにきた。
    「贅沢だなぁ……」
    「なにがだ?」
    「わっ!!」
     真っ青な空と私の間に突然割り込んできた端正な顔に驚かされた。もう随分と見てきたはずなのに未だ慣れることはない。好きの気持ちは近くにいればいるほど加速している。会えば落ち着くだろうと思ったのは、ただの主観だったみたいだ。
     そんなに驚かなくてもいいだろう、と笑いながら隣に座ったルシファーの手には、コーヒーと、それからアイスクリームが握られていた。
    「ほら、こっちはおまえのだ。食べたいと言っていたろう」
    「もう出てたの?」
    「このところ暖かくなってきたしいい天気が続いているから早めに出しているそうだ。運がよかったな」
     手渡されたアイスクリームは欧米サイズとでも言えばいいのか、コーンから溢れ出そうなくらい大盛り。慌てて縁の方から急いで舐めとる。ルシファーはそんな私を見てははっと笑った。
    「笑ってる場合じゃないってば!ああこっち側も!」
    「そんな小さなスプーンで掬ったり舐めたりするよりかぶりついたほうがいいんじゃないか?」
    「家で一人ならやるよ!?でもこんな外で」
    「あ」
    「へ……あ、」
     ぱかっと口を開けたルシファーは私の手を徐に握ったと思ったら、そのまま自分の口までそれを運び、ぱく、とアイスを齧った。
     開いたそこに吸い込まれていったアイスクリーム。伏せられた瞳にささやかな影を落とすまつ毛。それから唇の端に残ったものを舐めとった艶かしい赤い舌。離れていく間にゆっくりとまた開いていく瞼の合間から紅が覗く。
     それら一つ一つをスローモーションで眺めた私はポカンと口を開けたまま思考停止した。
    「ん……案外甘いんだな」
    「……」
    「どうした。落ちるぞ?」
    「ッハ!!」
    「早く食え」
    「なっ、なぁっ!?私のっあ、あいっ」
    「一口くらいいいだろう」
     私とは対象的に涼しい顔のルシファーは、コーヒーを口に含むと、おまえの淹れる苦さが一番うまいな、などと漏らすのでもうどうしようもないくらいに頬が赤くなったのがわかった。
    「るしふぁーがてんねんたらしだぁ……っ……」
    「聞き捨てならないな。俺が誰にでもこんな風じゃないことくらい、おまえが一番よくわかっているはずだが?」
    「そ、れは……っ……そう、だけど……私がこれ以上ルシファーに夢中になっても困るでしょ……」
    「それは好都合だ。どこまでも俺だけ見ていろ」
     揶揄うでもなくそんなことをとても嬉しそうに目を細めて言うルシファーに、もじもじしながらアイスを頬張る私。とてもじゃないけどこの悪魔にこんな人間じゃ釣り合わないなと思う。そもそもなんでルシファーは私のことを好きになってくれたんだろう。こんな小娘を。
    (理由、聞いたことあったっけ……?)
     今更という感じではあるけれど、突然気になりはじめて、気になったら聞きたくてソワソワしてしまうのは仕方ない。アイスを口に運びながらルシファーの顔をチラ見すると、すぐその視線に気づき、不思議がる彼は子どもみたいだ。
    「なんだ?」
    「ん!?いや!?なんでもないよっ!?」
     しかしよく考えてみれば、私だってルシファーを好きになったのに決定打があったわけではない。徐々に、ごく自然に、兄弟の中でもルシファーに惹かれたのだ。冷静沈着そうで意外と表情豊かなところ。なんでも卒なくこなす傍で、ピークに達すると信じられないような格好で寝こけていること。朝が弱いところ。実は甘すぎるくらい甘いところ。傲慢とは名ばかりでとても優しいところ。それら一つ一つを知っていく中でルシファーのことを好きになっていった。だからきっと、こんな質問は野暮だ。というか聞き返されても困るから聞かないのが吉だろうと、開いた口をそのまま閉じた直後。ぼーっと前に向いていた視線がもう一度ゆっくりとこちらに向けられた。
    「いい機会だから聞くが」
    「へ?」
    「おまえはなんで俺を選んだ」
    「は、」
    「兄弟全員と契約し、それから俺のところへ来たな。その間にいろいろあったろう。兄弟たちは皆難儀だが、RADでも一目置かれる存在だ。それでもおまえは俺がよかったんだろう?なぜだ?」
     その返事には唖然とせざるをえない。だってそんなの、あまりにも人間的な思考じゃないか。ともすれば小さなことを悩むなと一蹴されそうな話題かと呑み込んだのに、それをこの、ルシファーから言われるなんて。驚いてぽろりと、考えていたままの言葉がこぼれ落ちる。
    「……ルシファーでも、そんなこと、思うの」
    「おまえは俺のことを何だと思っているんだ。俺だって人並みに嫉、」
     尻切れトンボの言葉の先は、私を喜ばせるのに十分だった。だってそれは、ルシファーが私のことを大切にしてくれている証拠の感情に違いなかったから。
     今のは忘れろ、という台詞を吐くと、ルシファーはいつもの優雅さがまるでなくなった装いで、コーヒーをぐびっと流し込む。そんな姿を揶揄うなんてどうしてできようか。むずむずする顔を抑えることもできないままにルシファーに体重を預けてぐりぐりぐりとその腕に顔を押し付けると、戸惑ったようになんだと言われてまた顔が熱くなった。
    「ルシファーじゃないとダメだからルシファーと一緒にいるんだよ」
    「……そうか」
    「なんでかって聞かれたら、いっぱい言いたいことあるけど、今ここで言ったら日が暮れちゃうかも」
    「いや、もういい」
     そっと見上げたルシファーの顔が真っ赤。思わず破顔した私をジトっと見返したルシファーはちょっと眉を寄せていたけど、それはきっと恥ずかしさからくるどうしようもない表情なんだろうな。本当に可愛いと晴れやかな気分だ。
    「ふふっ!ルシファーの恥ずかしいポイントってよくわかんないね」
    「む……」
    「私だけ、いつもいつも恥ずかしいんだと思ってたから嬉しいっていう意味だよ?」
     こちらも照れ隠しで笑って、残り少しだったアイスを全て口の中に放りこむ。
     周りに知り合いがいなくてよかった。勢いとはいえなんだか恋人みたいなことを平然としてしまったな。そんな自分に驚きつつ何気なく周囲を見回すと、とあるカップルが目について、目についてしまえば心惹かれてしまう。コーヒーカップを手持無沙汰に振っているところを見ると、ルシファーも全部飲み終わったようでいいタイミングかもしれない。ねぇねぇと袖をちょっと引きつつ座り方を変えてぽんぽん膝を叩いただけで、眉を顰められた。
    「……おまえの言いたいことがなんとなく分かった。遠慮する」
    「えっ!?なんで!!」
    「一体どの流れでそんなことを」
    「この流れならできるかなと思ったんだけど」
     視線で、あそこの二人を見て、と促すと、素直にそちらに向いた眼。それと同時に、なるほどな、と溜め息も聞こえた。ちょっと調子に乗りすぎたかななんて思い直して、ごめん、冗談だよと座り方を正そうとした刹那。
    「!」
    「この角度から見るおまえも新鮮で悪くないな」
     ぽすんと膝に乗せられたのはルシファーの頭で、ふわりと抜けていった風に彼の前髪がさらさらと揺れた。
     徐に差し出された指が頬を滑っていくのを、真ん丸に開けた目の端っこで捉えた私は瞬時に頬を赤く染め上げる。
    「ははっ!やりたがった本人がそんな風でどうするんだ?」
    「頬を撫でるオプションとか聞いてない……!」
    「このくらいサービスの一環だ」
    「どこぞのいかがわしいお店みたいなこと言わないでよ……」
    「わがままだな」
    「だって、」
    「冗談だ。俺がしたいからする。それ以上も以下もないよ」
    「っ!」
    「おまえが望むならキスもつけるが」
    「公衆の面前でそれはだめ!」
    「膝枕がOKでキスがNGな理由は?おまえが言う理論なら、周りのやつらもしているからOKなんじゃないのか?」
    「そ、それはっ」
    「まぁいいさ、それは帰ってからたっぷ、ッ」
     ルシファーの言うことも一理ある。さっき自分でも思ったじゃないか。『周りに知り合いがいなくてよかった』と。だからちょっとだけ恥ずかしい気持ちは脇に置いておいて。太陽の光を遮ると、私は膝の上のルシファーの唇を奪った。
     唇が触れて、離れていく瞬間。ルシファーの紅の瞳が陽を反射してキラキラ光ったのに、心をわしづかみにされる。かっこよくて綺麗でって、やっぱりズルすぎる。少し遅れて朱色に染まった彼の頬を見て、お転婆な私が微笑んだ。
    「ふは……!ルシファーこそ、自分がしたいって言ったのにっ!」
    「っ……不意打ちはよくない……」
    「それはこっちの台詞だよ。いつもされてる私の気持ち、わかった?」
    「ああ、今後は考慮するよっ、ンっ」
    「!?」
     考慮する、と言った傍から後頭部に回った手に引き寄せられてもう一度重なった唇は、先程よりもちょっとだけ熱かった。あまりにも突然で、瞼を閉じる暇もなく。絡み合った視線にくらくらとする。
    「っは……。考慮して、仕返しだ」
    「~~っ~~!?」
    「一生翻弄されてくれ」
     髪を梳いて落ちていった手に手を握られてしまえば騒ぎ立てることもできない。
     昼下がりの公園は、普段の数倍、甘かった。

     こんなひと時も、あと六日で終わってしまうなんて、今だけは忘れてもいいよね。


    ∞∞━━━━━━━━━∞∞━━━━━━━━━∞∞

    05.
     今日も引き続きお土産を求めて有名な場所を訪れることになった。ディアボロやバルバトスが好きそうな酒や紅茶類はこの国では定番な商品だからこそ、ルシファーの頭を悩ませているようだ。
     ただ、そうやって悩んだだけあってやっとのことで一級品の、二人が好きそうなものが手に入った頃にはほっと安堵のため息を漏らした。

     一日などすぐに過行くもので、ふらついていたらあっという間に夕方になっていた。せっかく近くまで来たのだから記念にロンドン・アイに乗ろうと、ルシファーの腕を引いて観覧車へと歩を向けたのが今しがたのこと。おまえはこう言うものが好きだなと苦笑されたけど、乗りたいものは乗りたいのだから遠慮は不要だ。
    「魔界でも観覧車、乗ったよね。覚えてる?」
    「ああ、デビルズコーストか」
    「うん。一回目は違法カジノのときで二回目はルシファーが記憶喪失になっちゃったとき」
    「覚えてるさ」
    「素直な気持ちの告白、嬉しかったなー」
    「おい、それは忘れろ」
     ロンドン・アイは珍しく空いていて、待ち時間なくそのままゴンドラに乗り込めた。観覧車にしてはあまり見ないタイプのロンドン・アイのゴンドラは、一つ一つがとても大きく、立ったまま景色を眺める人も多い。私とルシファーもそれに倣って、ガラスに近いところに並んで立って外を眺める。そうしてから、先の台詞に対する回答を告げた。
    「忘れるなんて、い・や!」
    「おまえな」
    「……忘れられるわけ、ないよ」
    「え?」
    「ルシファーと過ごした時間は、全部、全部忘れない。お墓まで持って行くの。これだけは誰の指図も受けないって決めてるから、いくらルシファーの命令でも無理だよ」
     ふふっと笑い返したら、思いのほか神妙な顔つきでルシファーがこちらを見てくるものだから、ちょっと戸惑ってしまう。
    「えっ……そ、そんなに、いやだった?あの、こうは言ってるけど私も物覚えがいい方じゃないし、鮮明に全部覚えてるわけじゃないから安心し」
    「確かにおまえは俺たちのように気の遠くなる時間を生きることはできないが、寿命の話をするのはやめろ」
     斜め上のその言葉に、つい、ぽかんとしてしまった。だって、ルシファーが言ったのに。おまえの生きる場所は魔界ここじゃないって。
    「ルシファーは……私を人間のままでいさせたいみたいだったから、そんな風に思われていたなんて、ちょっと意外」
    「おまえを悪魔に堕とすようなことはしたくないだけだ」
    「私が天使の子孫だから?」
    「そんなことは言っていないだろう」
    「冗談だよ。ごめんね茶化して」
     なんだかルシファーの顔を直視するのは恥ずかしくて、手すりに寄りかかって外を眺めながら「意外だと思ったのは本心だけど」と紡ぐ。
    「それ以上に嬉しい」
    「なにが」
    「だって少しでも一緒にいたいって思ってくれてるってことでしょ?嬉しい」
     あまりにも乙女なことを口にした自覚が湧いてきて、すぐに、「あっ、ねぇあれ見て!昨日行ったところ!」、なんて話題を変えようとしたが、そんなことは許されるわけもなかった。
     私の背中側から、私に覆いかぶさるようにして手すりに手をついたルシファーは私の耳に唇を寄せて囁く。
    「この先何があっても、おまえは俺のものだ」
    「!」
    「魂まで俺が喰ってやるといっただろう。逃れられると思うなよ?」
     忘れていたわけではないけれど、改めてそれを告げられてハッと振り向くと、柔和に細められた紅と視線が絡んで、途端顔が熱くなる。その視線から目を逸らすなんてできるはずがない。
    「おまえが嫌になったとしても絶対に逃がさない」
    「っ……その言葉、一生忘れないんだからね……」
    「忘れたとしても何度でも思い出させてやるから安心しろ」
     そう言ってククッと喉で笑ったルシファーは、どこで満足したのかわからないけれど満足気な表情をすると、ぽすっと私の頭に顎を乗せて遠く沈みゆく夕陽が空を赤く染めていく様に目を向ける。
     そのあと私たちは一言も言葉を交わさなかった。

     景色を眺めていれば観覧車の一周なんてすぐに終わりが来て、乗客たちはみな思い思いの感想を交わしながら乗り込み口に向かっていった。
     止まることのない観覧車。
     降りなければ、次に乗る人達の邪魔になる。
     降りなきゃと、そう思うのだけどなんだか胸がいっぱいでその場から動けないでいると、ルシファーの大きな手が私の頭を撫でた。
    「ほら、行くぞ」
    「……ん」
    「そんな顔するな。気になるならまた来ればいい」
    「そだね」
     こちらに背を向けて歩き出したルシファーからは色濃い影が伸びていた。
     そういえば、悪魔にも影はあるのか、なんて今更なことが頭をよぎる。魔界はずっと暗いからあまり気にならなかったのかな。いや、そんなことはないか。ライトはたくさんあるし室内は明るいし。するとやっぱり人間の姿になったときだけ影があるのか。人間界ここでの存在を疑われないように。魔術だったらそのくらいできる気がする。
     そんなことを考え出したら、あれ?もしかしてルシファーの存在のほうがあやふやなんじゃ?なんて。なんだかそれは私の心に不安を運んできた。
     ルシファーは私の寿命のことを気にするけど、リリスは天使だったのに亡くなったわけだし、そういう意味ではルシファーだってーー。
     止まらない負のイメージに怖くなってルシファーの腕をぎゅっと掴むと、ゆるりとこちらに顔が向いた気配がした。
    「どうした」
    「ううん……なんでも、ない」
    「そうは見えないが?」
    「っ……」
    「言いたくないなら今すぐ言わなくてもいいが、」
    「るしふぁー、」
     空にはすでに紺色の幕が掛かり始めていた。見上げたルシファーの向こう側に広がるグラデーションは涙を誘うほどに美しい。
    「ルシファーは、いなくならないよね」
    「……」
    「ずっと魔界で待っててくれる?」
     私の台詞は大層矛盾を孕んでいたことだろう。さっきの今でこんな思考に陥っているなんて、自分で自分を笑い飛ばしたいくらいだ。
     それでもどうにもならない気持ち。相手に押し付けるにしても重い、こんな気持ちを吐き出してしまって申し訳ないとも思った。でも飛び出した言葉はもうしまうことはできない。
     一瞬きょとんとしたルシファーだったけれど、何か思うところがあったようで、困ったように眉をハチの字にして笑った。
    「心配するな。仮にも七大君主の長男の俺がそう簡単にいなくなるわけないだろう」
    「……うん」
    「俺に対峙したときとは大違いのしおらしさだな。お望みなら俺がここにあることを夜通し教えてやってもいいが?」
    「お願い」
    「ははっ!おまえはそう言うと思……は?」
    「お願いっていったら、してくれるの?」
     ありえない幻想におびえるなんてまっぴらごめんだけど、自身ですぐに払拭できなくて残りの貴重な五日間をこんな気持ちを抱えたまま過ごすなんてもっと嫌だ。
     だったら。だったら、明日私の腰が立たなくなったって、たくさん愛してもらったほうがきっといい。ね、素直になるって決めたもの。
    「……はぁ……。そんな目で俺を見るな」
    「んっ、」
     私が抱きしめているほうではない側から腕が伸びてきたと思えば、すっぽり頬を包み込まれた。反動で瞼を閉じると、その上に暖かな感触が触れる。
     熱が離れていくのを肌で感じて薄っすら瞼を開くと、嬉しそうなルシファーの顔が瞳に飛び込んできてトクンと胸が跳ねた。
    「るしふぁ、」
    「おまえが何に怯えているのか全部は理解できないが、おまえが俺を喜ばせるのが得意なことだけは理解した」
    「え、」
    「今夜は眠れないと思え」
     指を絡めとられ、歩き出す。
     隣を歩くルシファーに、もう影なんて気にならなくなっていた。

     私、こんなにも単純だったっけ。
     ううん、違う。
     ルシファーが私の不安、全部拭い去ってくれるんだ。

     家に戻ったら、きっと、飽きもせずルシファーからのキスを受け入れて、その胸に抱かれて気を失うまで愛してもらうことになるにちがいない。

     それはなんて素敵な物語の結末なんだろう。
     私を幸せにしてくれてありがとう、ルシファー。
     いつかこの身が朽ちたって。
     ルシファーのこと、ずっと愛するよ。
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    😇😇😇👼💙💗💒💒💒🙏😍
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