無題『英様、到着しました』
「ああ、すまない」
その声はどこか人ならざる者のような感じがしてならなかった。
目と鼻の先だからいいと断ったにもかかわらず中央は実家に送迎の車を寄越した。フルスモークの真っ黒なセダンは英を乗せて指定の場所へと連れて行く。
人でごった返すセンター街を入って少し歩いた先の路地にある中華料理店のあるビルの地下にそれはあった。
届けられた隊服と刀を身に着け、必ず徒歩でセンター街の入口のアーチをくぐれとの指示にばかばかしいと思っていたが、そこにはあちらへの入口があると知り中央の趣味の悪さには呆れるしかなった。
隊服と刀を身に着けると存在が曖昧なものとなるらしく、このような身なりでも誰も気に留める者はいなかった。
それどころか、こちらとあちらを行き来する低級な妖が見え始めた。
最もここはそのような者が見えても、己のような身なりでも、なんでも受け止めて溜めていくような街だ。この間まで軍の最前線にいたのでこの街の雑多さと猥雑さとある意味平和さには驚かされる。生まれ育った場所なのに、居るもの全てを他所者と見ているような気すらする。
古いビルの急な階段を降りながら中央のジジイ共が降りれる訳がないと思い、ここは単なる入り口でしかないと知る。一段一段降りるごとに地上の光が届かなくなっていき、気温が下がっていく。カツン、と何もない空間に靴音だけが響き、それと同時に行燈に照らされた古めかしい扉だけが現れた。
この扉に手をかけたらそこはもこの世なのかあの世なのか曖昧な場所になるのだろう。
扉開けてソコに入ると静かではあるが、仰々しい派手な和風なのか中華風なのかどちらともつかないような内装の部屋だった。
「英です」
誰もいない空間に向かって声を掛けるとぼうっと灯りが付くように一人、また一人と中央の人間らしきものが現れた。
「やあ、ご足労だったね」
薄紙一枚の向こうから聞こえてくるような声は本当に人の声なのか怪しくすら感じる。
ーー刀衆への配属ーー
聞かされた時は何故そんな軍人の墓場に行かねばならぬのだと憤りを覚えたものの、決まった事は翻らない。一日でも早く戻れるよう努めるしかない。
「いえ、任務ですので」
灯影街に行くためにここに来て配属の命を受ける。式神が英に必要なのかどうなのかわからない和紙の封筒を渡す。持った瞬間それはあそこへ行く手形だとわかった。
「…まぁ、不満もあるだろうけど、最前線から抜けて暫くゆっくりするもいいだろう」
「…はい」
「はっはっは、そう不貞腐れるな、働きが良ければ又戻れる。あいつらを締めてやれ」
一人、また一人、心にもない言葉を掛けてくる。
「…あそこには、二人、年増がいてのぉ、少々手を焼くかもしれないが、まぁ適当に相手してやれ」
「……」
誰の事を言っているのかはわかっている。一人は中央で問題を起こして刀衆に左遷された元上官の詠と、士官学校で同級生だった重だ。
特に重の方は士官学校を出て直ぐに刀衆に行ったので相当異例だった。自分と差のない成績であったのに閑職と言われる刀衆に配属された事に暫く嫌な噂を沢山聞いた。今でも思い出すと胸糞悪くなる。
「…重はね、ぼくのお気に入りやからね、ヤリたなっても手ぇ出したらアカンで」
それまで一言も喋らなかった者が急に口を挟んで来た。その後続いた会話は本当に胸糞悪くて、士官学校を出たばかりの頃に聞いた話と合致しているのではないかと、出したくも無い答えが出てきそうだった。
気付けば地上に出ていて、センター通りを歩いていた。さっきまでのことが夢ではないかと思えるような感覚に陥る。
だが、手にしている和紙の封筒は現実である事を知らしめる。
そして、目の前に現れたのはしょぼくれたセンター街のアーチではなく、灯影街への大門だった。