2月のおはなし。2月5日:壮五
「こんな時間にお出かけですか?」
大和が玄関で靴を履いている所で背後から声がかけられる。
「ソウ…あービール買おうかなと思ってあそこのドラスト行こうかなと…ってかソウもどっか行くのか?」
声をかけてきた壮五もまた大和と同じくコートを着てそこにいた。
「シャンプーが切れたので買いに…」
「寒いから今日はお兄さんの使えば…ってソウの髪に合わないか…ってかドラストにあんの?」
「お心遣いありがとうございます。普通に売ってますよ。大和さんこそビールを…」
「あああああ行こう行こう!」
このままでは『我慢されたらどうですか』と言葉が続きそうだったので急いで切り上げさせた。そっとドアを閉めて外に出ると冷たい空気がマスクで覆われていない肌に刺さる。寒いな、と声にするとそうですねと小さく返ってきた。
適当に選んで履いてきたスニーカーは少し底が薄くて足元も冷えてきた。
寮から一番近いコンビニより少し先にあるドラッグストアは深夜まで営業しているので時々利用する。距離を考えてコンビニで済ます事も多いが、買いたいものがコンビニには無い場合はここに行く事も多い。
明るい店内に入ると暖かい空気に包まれホッとする。メガネが少しだけ曇ったが直ぐに戻り始めた。
店内に入ると壮五と分かれて買い物をする。予め買うものは決まっていたので直ぐに終わり、同じような買い物時間だった壮五とレジで一緒になった。サッカー台で買った物を詰めていると隣に来た壮五がくすりと笑う。
「……」
「大和さん、明日の朝は環くんと一織くんが喜びますね」
「ついでだって…」
「そうですね、ついでですよね」
久しぶりに高校生組に弁当が作れる時間ができたので食材をチェックしたら少し足りなかったので買い足しに来たのだった。もちろんビールも買ってはいるがあれもこれもとそれなりの量になってしまったし、壮五にはしっかり伝わってしまっていた。
「明日はみんなで朝ごはん食べられますね」
「そうだな」
帰り道で見上げた夜空は明日もまた晴れると告げていた。
◇◇◇◇◇
2月4日:環
大和が一人、入浴していると勢いよく扉が開いた。
「ヤマさん!!!!!」
「えっ?!タマ?!!」
名前を叫びながら裸の環が飛び込んできた。隠す必要も無いのにギャグ漫画の入浴中を覗かれた美少女キャラのように胸を隠す仕草をしてしまった。シャワーで身体を流しながらヤマさんウケる、と言われ盛大にスベった気分になってしまった。
環は今日は単独の仕事で一番帰りが遅くなるとは把握していたが、少し先に帰ってきた自分の入浴中に飛び込んで来るとは思わなかった。
一応二、三人位は入れる作りにはなっているが、大和は一人で入る事が圧倒的に多かった。最も一人で帰宅が一番遅い事も多いのでそうなる事は自然だった。
「ヤマさんに話したい事があってさ」
浴槽に環が入るとお湯が溢れ、ざぁっと音が響く。環の声が嬉しそうなので何か良い事があったのだろう。風呂に突撃してくる位待ち切れないという事は欲しい物が手に入ったとかテストがよく出来た事とかなのだろうか。
「俺が風呂上がってくるの待てない位にか?」
「うん」
温まって頬がピンクになっていくのを見ながら聞く。艶やかな肌に笑顔が乗っている。
「今日カントクが、ヤマさんの事誉めてて」
「俺?」
環は今ティーン向けの学園ドラマのゲストキャラとして3話分出演する事になっていてその撮影中だ。だからカントクとはそのドラマの監督なのだろう。
「俺のエンギがいいって言ってくれて、ヤマさんからちょっと教えてもらったって言ったらヤマさんの話でもりあがった!」
確かに演技の事で環に聞かれた事に答えた事はあるが、後は環のセンスなのだからそんなに喜ぶような事なのだろうか。
「カントクが、ヤマさんのエンギもいいけど、歌もいいねって言っててさ」
「へぇ」
珍しい。と素直に思う。IDOLiSH7の歌は陸の事が真っ先に上がるし、環ならMEZZO“もある。歌う事は嫌いじゃないし、センター曲もあるし、ライブは好きだけど自分は一歩引いているポジションの自覚はある。
「みんなの事を後ろで守ってるみたいなのびがあってリーダーだなぁって。俺さ、わかってんじゃん!ってなってめっちゃ嬉しくて」
大好きな王様プリンを食べている時みたいな幸せそうな顔で話す。いつの間にか、自分以外の人が誉められている事を嬉しくなったり、大和の事をそういう風に見ている事にも驚いた。
ただ、今は少し恥ずかしくてずぶずぶと湯に沈む位しか出来なかった。また環の「ヤマさんウケる」という言葉が浴室に響いた。
◇◇◇◇◇
2月3日:三月
大和が風呂上がりのビールを求めてキッチンへ行くダイニングテーブルで三月が何やら書き物をしていた。
ビールのプルタブに手をかけながら三月の側へと行く。
「なに書いてんの?」
「今度出る番組のアンケート」
「うわー面倒臭いな〜テキトーでいいんじゃない?」
ビールを一口飲んで濁音のついた唸りをあげると三月から「おっさんくせぇな」と笑い声がする。三月にも勧めてみるが「酔って書いたアンケートは出せない」と断られた。確かに悪ノリをしてしまいそうな予感があるだけにそれ以上は勧めなかった。
「で、ミツは何を悩んでんの?」
「お兄ちゃんにするなら誰ってやつ」
「メンバーで?」
「うーん多分番組的にはうちと…交流ある人たち…ってとこかな」
こういった事は悩まず決めていそうな三月が悩んでいるのは珍しいなと思ったが、すぐに番組を盛り上げるためのベストな答えを考えているのだと気付いた。三月のバラエティでの活躍ぶりを考えるとアイドルらしい無難な答えなど出せないと思っているのだろう。
「モモさんか…十さんが納得のベストな答えだよな…」
腕を組んで考えながら話をする姿は結構ベタな構図ではある。いっそアルコールを摂取した方がいいんじゃないか?と再度勧めたらそんなに一人で飲むのは寂しいのかよと言われてしまった。
「ミツの本心的には?」
「実際のところわからん。兄貴がいたら〜なんて感覚、21年も兄をやってると浮かばない」
「そういうもんなんだ」
「それに弟がかわいいしな」
「へぇ〜じゃお兄さんは?」
「へ?大和さん?考えた事ねぇな…」
「うそぉ」
ちょっとガッカリしてしまった。生粋のひとりっ子なりに頑張っていたと思うが、本物の兄さんには敵わないのか。本心を隠すように少しオーバーなリアクションをしてみた。
「大和さんは…近所のカッコいいお兄さんとかかな…付かず離れずで…たまにいらなくなったエロ本くれるみたいな」
「なんだそりゃ」
「うーん、なんとゆうか…今の関係が良いってこと!大和さんが俺の兄貴だったら一緒にグループ入ってねぇだろ」
「それはなかったかもな…」
実際のところ、大和もメンバーとは過程があっての今の関係が一番いいと思っているのだが、なんとなく気恥ずかしくて言わないでいた。
代わりに千の名前を出して「想像つかな過ぎて逆に浮かんだ」って事にしたらどうだろうと提案してみた。
三月にはそれは大和さんが同じ質問された時にとっておけと言われてしまった。
◇◇◇◇◇
2月2日:大和(とモブと紡ちゃん)
雑誌の取材の撮影場所は万南ホテルで、バーラウンジやチャペルでスーツをきたり、客室のバスルームで濡れたシャツになったり。アイドル雑誌ではなく女性誌だとう事で普段グループで行う撮影より少し大人向けになっている。インタビューと撮影とでそれなりの時間がかかった。撮った写真をいくつか見せてもらい、どれかが表紙になると言われた。
「大丈夫ですかね〜俺が表紙なんかで」
「何をおっしゃっているんですか!アンケートでもよくお名前が上がっているんですよ、二階堂さん」
「それは…ありがたい…ですね」
編集者に冗談っぽく言えば、力のこもった目と口調で返されるので何とも言えない感じで返事をする事しか出来なかった。
「…二階堂さん、白い花似合いますよね」
撮影担当のフォトグラファーの男ががポツリと漏らした。アイドル雑誌の現場で会うフォトグラファーは賑やかに盛り立て撮影をしてくれるタイプの人が多いので、今日担当してくれた彼は穏やか指示を出して淡々と仕事をしていた。アイドルを撮るなんて不本意なのだろうかと思ってしまうくらい静かだった。そんな彼が突然言い出したので大和は驚いた。撮影した写真をパソコンのモニターに出して大和に向けて見せてきた。画面にはチャペルで撮ったもが写し出されていた。ブライダル特集というわけではないが非日常感が良い具合になっている。クラッシックな佇まいの落ち着いたチャペルは都会の大人向けといった感じだろうか。式場らしく白い花が飾られている。
「この、少し淡い緑がかった花びらと二階堂さんの髪がグラデーションみたいで良いですよ」
「そうですね〜!二階堂さんだとクールな画面考えちゃいますけどお花に囲まれるの良いですね」
「いやぁ、なんか花が似合うとか言われた事ないんで驚いています」
「似合いますよ、綺麗です」
仕事中より少し柔らかい雰囲気と口調になったフォトグラファーは大和が言われ慣れない言葉をいくつか言ってきた。
仕事終わりにマネージャーの運転する車の中で「俺って花とか似合うのかね?」と聞くと「ええ、とってもお似合いですよ!」と元気に答えてきた。彼女の見る目に間違いがあるとは思ってはいながい、立て続けに言われると照れが勝つ。
「はは…そう…」
「花は大和さんの柔らかいところが引き出されます!本来の育ちの良さも出て…あと、色気が増し増しになります!」
また更にはきはきと続けていくので、もう…やめて…と座席に沈んだ。
◇◇◇◇◇
2月1日:一織
空気が澄んでいる冬の夜空は綺麗だ、とは思うものの乾いた空気と寒さは疲れた身体にはこたえる。単独の仕事で遅くなる事が多くメンバーとろくに顔を合わせていない気がする。ここ二、三日弁当を作る事すら出来なかった。既に殆どが自室で寝ているであろう時間の帰宅。そっと玄関を開けてリビングを覗くも暖かい空気も賑やかな声もなく暗く静まりかえっている。こんな空間を寂しいと思うようになった自分に驚く。手早くシャワーをしてまたリビングへと行く一本だけ、とビールをあけてソファーに座る。今は誰もいないけど、皆が集まるこの場所は不思議と安心する。追い詰められていたあの頃でもここに居たりした。テレビもつけずに時計の秒針が動く音だけのするリビングで、微かな気配と共にビールを呷る。こんな夜も悪くない、本当は一人じゃないから。ガチャ、と扉の開く音がして「おかえりなさい」の声がする。
「イチ…こんな遅くに」
驚いた顔のまま返事をしてしまった。
「トイレに行こうと部屋を出たら明かりが見えたので居るのかと思ったんです」
「ありがとな、顔見れてよかった。今日は朝から誰にも会ってなかったから」
「私だって遅く帰って来た人を労う位はしたいですよ」
「夜更かしなんて珍しいな」
「…ちょっと読んでいた本が面白くて」
「へえ」
何かと問えば、最初は渋っていたものの、教えてくれた。今、大和が撮影中のミステリーの原作だった。
「つい、読む手が止まらなくて」
「たまにはいいでしょ」
「そうですね、いい作品です」
一日の終わりのちょっとした会話は想像以上に暖かくなるものだった。