神に捕らえられた蜘蛛「なあ巻ちゃん、『神』は人を平等に愛していると信じて疑わない人間は、とても傲慢だと思わんかね」
最初、巻島裕介は東堂尽八が何を言っているのか分からなかった。
とあるマンションの高層階の一室、それが二人の家だった。お互いプロとして、はたまた実業家として世界を飛び回っているのでここに帰る日は少ない。今日はそんな二人が揃って家に居る数少ない日のひとつだった。
「……なんショ、突然」
突拍子もない東堂の問いに、読んでいた本から目を離した巻島は、質の良いソファの隣に座る男に恐る恐る言葉を返す。真面目そうに聞こえたその言葉は、なにかの比喩だろうか。そう思い思考をめぐらすが巻島にはさっぱり検討がつかなかった。そんな巻島に東堂はにこりと笑うと話を続けた。
「いやね。オレは山神と言われているだろう。だからか知らんが、最近過激なファンの子らが多いようでね。困っているのだよ」
確かに、と巻島は思い起こす。確かに最近東堂にはストーカー紛いのファンからの攻撃とも取れる行いが日に日に増えていて、目に余るようになってきていた。そのことか、と納得して、巻島は本に視線を戻す。しかし東堂は不思議な話を続けた。
「いやはや本当に烏滸がましい。神は人を救うが、それは『仕事』だからであって『情け』じゃないのにな」
「クハ、哲学かァ?」
「いや、経験談だ」
「……は?」
思いもよらない言葉に、巻島は持っていた本を落とした。それを見て東堂は「本が痛むぞ」と言って拾い上げる。ぽかんとしている巻島に本を差し出すと、東堂は話を続けた。
「一説には、神は慈悲深いとされている。神はあらゆる人間を愛し、救うとしている。まあ、そういう宗教はそれで良いと思う。けどオレの知っている神は違う。アレはもっとこう、事務的なんだ」
「お前、変な宗教にでも入ったか?」
「失礼な! 事実を述べているまでだよ」
東堂があまりにも真剣で、巻島は怖気付いた。とりあえず最後まで聞こうと東堂に向き直る。「で?」と巻島は問うた。「続けろヨ。それとファンとどう関係があるんショ」
そうだ。そもそもファンの話が飛んでこんな話になったんだ。そう思い巻島は問い質す姿勢をとった。それに対し東堂は全く怯むことなく言葉を続ける。
「神は事務的だ。願われるから応える、単純な構造だ。願いという仕事を受けたから叶えるという業務をこなすんだ。それはオレも同じだ。声援があるからそれに応える。結果を出す。しかしだな、神もオレもなんでも叶えてくれる存在では無いのだよ。神に願ったとてそこに本人の努力が伴わなければどんなことも成就は難しくなるし、オレに恋愛を期待してもオレには巻ちゃんがいる」
なるほど、なんとなく理解出来る。つまり神と人間の関係性に自分とファンの関係性をなぞっているのだろう。多分そうだ。
「で、経験談ってのは」
問題はそこだ。ややこしくしているその言葉。東堂は巻島の訝しがる目に、まったく動じずに答えた。
「子供の頃言われたんだ。神様に」
「はァ?」
「山神様に言われたんだ。『お前も自分と同じようになる』ってな」
意味がわからない。分からないが、分からないなりにゾッとした。そう答えた東堂の、表情や佇まいから醸し出される信憑性は巻島にその言葉をすんなり受け入れさせてしまった。『それはそういうものなのだ』と、信じさせてしまった。リアリストの巻島にとって、それはとても怖い体験だった。
「実際なった。オレは山神だ。……そうだ、神様はこうも言っていたな」
そうして続けた言葉に、巻島は己がとんでもない男に捕まえられたのだと察することとなる。
「神は気に入った存在の願いは、なんでも叶えるんだ。その存在を手に入れることを対価にな」