無人島 没SS(姫視点)「ぬぁー……!」
栖夜は組んだ両手を空に向け、思いっきり伸びをした。
明るい陽射しと心地よい海風に吹かれていると、些細な悩みなど、空の彼方へ飛んで行ってしまう。渚をでびあくまと歩きながら、栖夜は軽やかな潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
目の前にはエメラルドグリーンにきらめく海が広がっている。碧く透き通った波が寄せては砕ける様、繊細な泡のレースが引いていく様は、一つとして同じ形を成さず、その力強くも儚い美はずっと見つめても見飽きることがない。
栖夜は麦わら帽子の鍔をついと持ち上げ、さりげない仕草で後ろを振り返った。岩場の岬の突端に、釣り糸を垂らす人影がある。誰あろうレオナールだ。角付きのサングラスは麦わら帽子を被るには邪魔らしく、鍔の上に乗せられている。長い尻尾はリラックスした様子で、左右に揺ったりと揺れていた。のんびりと風に吹かれならがら糸を垂らしている様は、なかなか堂に入っている。
(よかった)
正直なところ、釣りの楽しさは理解しがたい。たった一匹の魚を釣ることに長い時間をかけるのは、栖夜にはどうも非効率に思えるからだ。どうせなら網や罠でさっさと釣果を得て、残りの時間は睡眠に充てたい。人知れず悩み、悪夢に魘される夜が続いていたなら尚更だ。
だが、遠目に見るレオナールは至極楽しそうだった。思い詰めた様は鳴りを潜め、いつもの彼らしい穏やかな顔で波に揺れる釣り糸を見つめている。
釣りの極意は無心と聞く。勿論、ただ単に呆としているのではなく、波や潮の流れを読んだり、餌を付け替えたり場所を変えたりと色々考えることがあるらしい。釣りに意識を集中することが、彼を一時でも懊悩から解き放ってくれていることは、栖夜にとっては喜ばしいことだった。
(サーフボードも持ってきてあげればよかったな)
あれも釣りと同じく、良い波が来るたった一瞬をひたすら待つスポーツだ。波が立ち上がり、崩れるまでのほんの数十秒を楽しむ遊び。寿命が長い魔族だからか、それとも長く生きているからか、レオナールは、待つことを楽しむのが上手だ。栖夜はくすりと笑い、前に向き直った。
「む! ……むぅ!」
さくさくと砂浜を鳴らして歩いていると、子供用のくまでを手にしたでびあくまが波打ち際で声を上げた。ぽふぽふと走っては屈み込む。濡れた砂を掘ってみても出てくるのは小さく割れた貝殻と砂ばかりだ。が、楽しそうである。
海から吹き寄せる風に、栖夜は麦わら帽子を押えて押さえて辺りを見回した。
汀には海に向かって出っ張った高まりと、円弧を描いた低まりが交互に並んでいる。ビーチカスプと呼ばれる地形だ。海にぽつんと浮かぶ無人島には波が正面から入ってくるから、こうした地形ができやすい。
ビーチコーミングをする場合、適しているのは円弧の内側にある砂地より、海に向かって突出した岬の方だ。流木や千切れた海藻が打ち上げられた中には、貝殻や珊瑚などが混ざっていることもある。海の音を閉じ込めた大きな巻き貝や、お洒落なボタンに出来そうな黒蝶貝はあるだろうか。
「ね、向こうの方に行ってみよ?」
「む!」
空っぽのバケツを埋める宝物は、この島のあちこちに溢れている。くまでを元気よく振り上げたでびあくまと並んで、栖夜はサンダルの踵を速めた。