やさしい時間COffEE HOUSE CAT’S EYE
夕日も沈み、辺りにネオンが輝きだした頃、客のいない店を早めに閉めようと、店主の男は、外の看板を店内に仕舞った。
男がガラスの扉にかかる『営業中』の看板を吸盤ごと外ずし、扉の鍵を閉めると、店主の妻が部屋の明かりを落とした。
そのまま、妻は、カウンターにキャンドルを置きマッチで火をつける。
視力のほとんど無い男にも何となくそれはわかった。
「……どうした、美樹?」
そう問いかけると、続いてカチャンとカウンターに何かを乗せる音がした。
グラスの重なる音、氷の音、液体の揺れる音。
「……酒か?」
「たまにはいいでしょう?ファルコン」
優しく微笑みながら、妻は、愛しい男を見た。
「珍しいな。まあ、たまにはいいな」
エプロンを外し、カウンターの端に置く。
そのまま、カウンター席に座る妻のとなりのスツールを引くと、体の大きな店主の男は、器用に座った。
若干、椅子の脚がグニャリと曲がったが…。
隣に妻の存在を感じる男は、お酒の作られる音を聞きながら静かに目を閉じた。
カランカラン……
マドラーを回すと、グラスに氷が当たり、心地よい音を立てる。
コトリ…
やがて、自分の目の前に、酒の入ったグラスが置かれると、男は、自分の体と比べると小さく見えるそのグラスを持ち、一気に飲み干した。
「………」
「…ファルコン?」
「…美樹、お前…これ…」
男は、真っ赤になり、困り顔で、手で口を押さえながら言った。
「なんで、お前が、これを…」
「あら、変な味だった?」
妻は、自分の分にと同じように作ったもう一つのグラスを持ち、一口のんだ。
「あら、よく出来てる。これよ、これ。懐かしい」
あっけらかんという妻に、海坊主は驚いた。
「…お前が何故、この酒を知ってる⁈」
「あら、やだ、昔、みんなで隠して飲んでた癖に。バレてて怒った?」
「そうじゃない。なんで、こんな酒をお前が知ってるのかだ」
真顔で言う海坊主に、ちょっとびっくりした美樹が答えを言った。
「や、やあね。そんなに怒らないでよ。たまたま、軍に一緒にいた時に、ファルコンの荷物の水筒から、一口だけ水をいただこうと飲んだことがあって、中身がこれだったの。」
「…お前な…ひと口で…」
ちょっと赤くなりむくれた顔で美樹はそう言ったが、夫の驚き具合でやり過ぎたと感じ、ふぅと息を吐き話しを続けた。
「…ダグラスに聞いたのよ」
「……ダグラス、ダグラス・グリーンか」
ふと二人が同じ戦場にいた時を思い出す。
「水筒の中身に驚いてダグラスに聞いたら、眠れない連中が眠るために作ったものだって。中身を聞いてびっくりしたわよ。強いお酒がこれでもかって混ぜてあるんだもの」
美樹は、ちょっと呆れ気味に言った。
母親に怒られているような気分になり、ちょっと恐縮し、小さくなる男。
美樹は睨んだ目から、ふと穏やかになり、自分の夫を見て、そのまま語り続けた。
「……でも、ダグラスが言っていたの。あなたのは特に強いもので、戦いというより、何か他のものを紛らわそうとしているかもと」
「!」
美樹にそう言われた海坊主は、驚きの表情をした。
「その後よ、あなたが私の前から去ったのは……」
美樹は少し寂しそうな笑顔で海坊主の顔を見た。
「それがわかった時、貴方があたしのことで苦しんでいたと気がついたの。だから、違うと、貴方の側にいることがあたしの幸せなんだと伝えたかった」
そう言った美樹が今度は苦しそうな顔をした。
その気配を感じとった海坊主は、美樹の頭を優しく、くしゃりとなでた。
「…その想いは伝わった」
「ファルコン…」
優しく撫でられ、頭に置かれた海坊主の大きな左手を、美樹は両手で包むように掴み、自分の頬へうつす。
二人の左の薬指には、あの日に誓い合った証の指輪が輝いていた。
「…夜は長い。もう少しゆっくり飲めるものを作ってくれっ」
海坊主は、照れながら、この状態にちょっと耐えられずそう言った。
「はい」
美樹は少し目頭に光るものがあったが、笑顔で応えた。
カランカラン……
ふたたび、マドラーが氷を回す音が聞こえてくる。
男の前に、コトリとグラスが置かれる音がする。
笑顔で互いの顔を見ながら、グラスの口の端を重ね合わせる。
「「 乾杯 」」
外の雑踏の音も感じない、二人の間には静かで穏やかな時間が流れていた。