死別だとは夢にも思っていないよくある二級任務に向かった恋人が泣き腫らした顔で帰ってきた。それだけで大事件なのに、抱きしめることも触れることも許されず、極めつけには"七海だけが入れない帳"を下ろして自室に引きこもってしまった。手も足も出ない状況に、渋々頼り甲斐だけはある先輩たちを召喚したのだった。
***
「失恋しました」
「は?」
先輩たちの説得で天岩戸から出てきた灰原の第一声。信じられない内容に思わず声が出た。
「灰原の恋人は私だよな?」
「うん」
「…フった覚えはないし、フラれた覚えもないんだが?」
「…」
口を真一文字に結んだかと思うと目元が潤む。なんで泣くんだ、泣きたいのはこっちなのに。
「今日の任務で何かあった?」
苛立ちだした私の様子を察して夏油さんが助け舟を出す。いつもなら煩わしいが、今日ばかりはありがたい。
「…今日は時空の狭間での任務だったんです」
灰原の発言に、知っていた私は頷き、五条さんは「あれか」と呟き、何も知らないのであろう夏油さんは「時空の狭間?」と聞き返した。
「あれだろ?不定期に現れる、違う時空の人間同士を引き合わせてタイムパラドックスおこさせようとする呪霊」
「そうです」
「随分厄介なのがいるんだね」
「倒し方は簡単なんだけどな、扱いが大変なだけで」
だからか、と夏油に説明していた五条は改めて灰原を見る。
「時空の狭間での任務だから詳細は言えない、と」
「そうです」
違う時空の人間を引き合わせ、それぞれの認識を変化させ過去もしくは未来を変える呪霊。その特異性のため、任務中はできるだけ同じ空間の相手の状況を探らないこと、終わったら任務中で見知ったことは墓まで持っていくことが言明されている。
「でも時空の狭間で七海にフラれたってことは、中で会った奴が規定違反でなんかやらかしたんだろ?」
五条さんのもっともな指摘に灰原は大きく首を横に振る。
「いえ、あの人は悪くないんです。偶然時空の狭間に出くわした呪術師だったみたいで」
「あーなるほど」
時空の狭間は不定期に現れる。今回は発生場所と時間が大体わかっていたから灰原が対応に向かったが、領域に入っても気がつかないものも多いという。
「っ…!すみません。これ以上は…」
「五条家当主命令だ、話せ。責任は俺がとる」
家の話すら嫌がる五条さん(悟)が当主命令!?と三人共目を見張るが、本人は「こんな面白いこと見逃すわけねえだろ?」とケロリとしていた。
***
「あれ?どこだここ?」
時空の狭間を倒すタイミングを見計らっていた灰原の後ろから声が上がる。振り返ると帽子を被った人の良さそうな男性が一人。呪術師であることはわかるが見覚えはない。窓の報告によると今回の時空の狭間の定員は二人。ということは、彼が灰原にとっての過去か未来の人になる。現状を説明しなければと口を開いたその時だった。
「なあ、あんた、七海サン見なかった?」
「ふぇっ!?」
突然出てきた恋人の名前に戸惑い奇声をあげる。だが相手は気づいていないようで話を続けた。
「せっかく今日二人で飯に行く約束だったのに…。呪霊の仕業か?早く片付けようぜ」
頬を染めながら楽しそうに話す姿に不安が募り、つい話題を深掘りしてしまった。
「あの…七海とはどういう関係ですか?」
「七海サン」
「え?」
「七海サン、だろ。あんた、高専生なら十は年下なんだから」
改造制服で呪術高専と見抜けるとは、高専出身か、呪術師の家系の出身だろうか。
「あ、はい。えーと、七海さんとはどのようなご関係で…?」
「ゴカンケイ、ねえ。なんで言えばいいのかな。…ただの後輩じゃねえな。自慢じゃねえが、七海サンの一番信頼してもらってる存在だと思うぜ!」
その後どうやって呪霊を倒したか覚えていない。気がつけば全て終わっていて、補助監督の運転する車の中にいた。
***
「『一番信頼できる人』があの人なら、あの人の時間軸に行く前に僕はフラれるんだ…」
「…私が愛想を尽かされていた可能性もあるのでは?」
灰原に愛想を尽かす自分は想像できないが、愛想を尽かされる自分は想像できる。そうならないために努力はするつもりだが。
「どちらにせよ、僕と別れてあの人と幸せになるんだね」
なら今別れても一緒じゃん、と睨まれ、話を逸らすべく五条さんを頼った。
「任務前に時空の狭間の資料を私も見たんですが、アレは必ずしも同じ時空の人間が会うとは限らないんですよね?」
「そうだな」
不定期だが確実に出現するので研究目的の任務も過去にはあったようだ。それによると、出会った人間が話し合うと前提になる過去が違ったり、その時話した未来と違う結果になったりしている例がいくつかある。研究結果は「『並行世界』というものが存在し、時空の狭間で出会うのは同じ時空の人間の場合と他の時空の人間の場合がある」だった。
「…考えたくはないが、私と灰原が別れる世界が存在したとしても、それが今ここにいる私たちだとは限らないだろ」
「あんなに人が良さそうな人、七海が好きにならないはずがないもん」
灰原は何故か時空の狭間で出会った彼に全面の信頼を寄せている。『人を見る目』がそうさせているのだろうか。だが、今回ばかりは信用ならない。話を聞く限り相手はいわゆるリア充、陽キャのようだが、元々そう言うタイプとの付き合いは得意ではない。もし将来そういう人間とも仲良くなれているのだとしたら、人が好きな灰原の影響だろうと容易に想像できた。
「…僕が七海の好みじゃなくなるから捨てられるんだ」
「は?」
「七海は僕がオッサンになったら捨てるんだ!」
「は!?」
「仮にあの人の世界の七海が二十六だとして、あの人が二十歳前後だとしたら、今この世界のあの人小学生だよ!このショタコン!!!」
「冤罪に冤罪を重ねるな!!!」
灰原の想像の中の私は一体どれだけ酷い奴なんだろう。問い詰めたいが、発言を撤回させる方が先だ。
「アラサーが十代に手を出すなんて!」
「人の話を聞け!!!」
自棄になる灰原に手を伸ばすのに全て振り落とされてしまう。そんな頑なな態度に、はじめは困惑するだけだったが流石にキレた。
「そこまで言うなら!これから約十年で愛を証明してみせる!二十七の私の誕生日まで灰原一筋なら私の勝ちだ!その時は覚悟しろ!」
「…僕に愛想を尽かされない、も追加で」
「決まりだな」
***
「おはよう灰原、今日も可愛いな愛してるぞ」
「おはよう七海、今日も好きだよ残念なことに」
あの日から高専を卒業した今も、この殺伐とした愛の挨拶だけは欠かさず続いている。だが、それも今日までだ。
「明日は楽しみにしていた私の二十七の誕生日だ。君の仕事が終わり次第迎えに行くから良いスーツに着替えて待ってろ」
「用意した服が無駄になっても泣かない準備はしておくよ」
約束の日だというのに、灰原は有給を使わなかった。明日授業するんですか?休みましょうよ?と過去にこの件で胃に穴を開けたことのある猪野の説得にも折れずに。
「どちらかといえば明後日動けなくなる心配をしてほしいんだがな…」
七海の発言を聞いて猪野は勝手に灰原の明後日の有給申請を出した。ある意味今回の事件の一番の被害者の彼にはその権利があると伊地知も何も言わずに受理した。
***
「七海、報われてほしいよね」
「灰原のために学生で一級倒せるくらい強くなったもんな」
「薬なら用意しとくから頑張れよ灰原ー」
七月四日、医務室に薬をもらいにきた灰原を囲んで宴をはじめた先輩組三人を責める者は誰もいなかった。