ほんとうのキス からだの芯まで凍りつきそうな深夜。
俺は汗をかきながら、家まで二駅の距離をひたすら走っていた。
客演先の劇団の舞台稽古が長引いて、そのあとああでもないこうでもないと言い合っていると、気がつけば日付けをまたいでいた。
しまった。
もちろん終電は逃している。
みんな演技への熱があるがゆえ、こんなことはしょっちゅうだし、演者とスタッフたちはこの後飲みに行くと言っていて、普段なら俺も飲み会に参加して始発を待つのだが、それよりも今日は一刻も早く帰りたい理由があった。
今夜は俺が出るドラマの放映日なのだ。
観てないかもしれない。けど観てるだろうなという確信がある。
至さんは俺の仕事に無関心なように見えて、実はつぶさにチェックしてくれてるらしい。というのはたまたま掃除中に落ちてきたせいで見てしまったスクラップブックで知った。およそきれいとは言い難い至さんの字で【国宝】とタイトルが書かれたスクラップブックの中身はすべて俺が載った雑誌の切り抜きで、カラーだけじゃなく白黒の写真も、文字だけのごくごく小さなインタビュー記事まで、マスキングテープで丁寧に貼られていた。これだけ集めるとなるとけっこうな労力と金額になるはずだ。ゲームが一番でゲームの課金のために働いてると豪語してるのに、俺に隠れて俺の写真をこそこそコレクションする至さんかわいすぎる。
まぁタイトルはどうにかなんねーのかとは思うけどな。
そんな至さんだから、俺が出るドラマを見逃すはずがない。応援してくれてるのは嬉しいが、今回のは見ないでほしかったのが本音だった。
演技とはいえ、恋人に他の人とのキスシーンを見られる気まずさは、何度やっても慣れることはない。
走って乱れた呼吸を整えて玄関のドアを開けると、案の定リビングの明かりがついている。
「ただいまー」
「あれ?おかえり。稽古長引いたって言ってたのに帰ってきたの?電車なかったんじゃない?泊まるか飲みに行くかと思ってた」
「あー…二駅だし歩いて帰ってきた」
「マジか。飲んでなかったら迎え行けたのに、ごめん」
「いいって、そんなの」
ソファに近づいた俺の袖をくい、と引いた至さんにおおいかぶさるようにして軽くキスをする。
手元を見るとグラスの中身は琥珀色のウイスキー。いつもならコーラか、飲んでもビールなのに。
「めずらしいっすね」
「んー、たまにはね。万里も飲む?」
「俺はいいや」
「ふぅん」
つぶやいて、またキス。
酒の匂いがする柔い唇を味わいながら、髪を撫でる。
俺と同じシャンプーの香り。
ふふふ、と嬉しそうに笑った至さんが俺の背中に腕を回した。
「する?」
「ん……」
ドラマや芝居で俺のラブシーンを見たあとの至さんは、甘えたになる。
時短こそ至高。これ考えた人天才だよね、とのたまうほどめんどくさがりのくせに、愛用のリンスインじゃなく俺のシャンプーとトリートメントを使ったり、やたらとキスをしたがったり、くっつきたがったり。だけど本人は無自覚だ。
だから俺もなにも言わない。
「好きだ」としつこいくらいに何度もささやいて。まぶたに、頬に、唇に、顔もからだもあますところなく、ほんとうのキスを愛する人に贈る。