3×9=「福沢さん。あーけーて!」
僕の両手は現在塞がっている。だから、玄関先で大きな声を上げた。あまり待たずにがらりと戸が開く。
福沢さんは、まず僕が抱えている荷物に目を向けた。
そりゃあ中身が気になるよね。普段は荷物を持たない僕が大きめな袋を抱えているんだから。
「ありがと」
手が伸びてきて、ひょいと荷物を引き受けてくれる。あー重かった。
いつもだったら横をすり抜けて先に家に入る。けれど動かない僕に、福沢さんは首を傾げた。
「今日は桜の日なんだって。桜が3(さ)×9(く)=27の語呂合わせとか色々理由はあるみたい。毎年お花見しているけど、記念日と由来は知らなかったよ。まあ、そんなことだからお花見しよっ!今から!」
福沢さんが僕の言葉に袋を広げる。そうそう、中身はお花見のためのものだよ。
「春酒か……」
袋から片手で取り出したのは、華やかな桜のラベルの一升瓶。
少しだけ弾んだ声色に僕も嬉しくなった。
「福沢さんの好きな銘柄の春季限定酒だって。お酒屋さんで最後の1本だったんだよ。与謝野さんと一緒に選んだ〜」
福沢さんがこちらを見る。うん。一緒に選んだのに?って思ったでしょ。
「僕もね、与謝野さんも一緒にお花見しようって誘ったよ。けれど、『久々なんだから二人でゆっくり過ごしな』だって。だからさ、今日は二人きり!」
僕が嬉しさを隠さずに告げると、福沢さんはふっと顔を綻ばせた。
「直ぐ支度をするから、ここで待ってろ」
「はーい」
年度末に向けて、二月から三月は例年慌ただしく過ぎていく。会社としてやらなきゃいけないことが色々あるから、社長である福沢さんも忙しい。
まぁ、僕の仕事はいつも通りだけどね。けれども仕事以外はいつも通りじゃなくなる。
まだまだ寒いのに炬燵は撤去されそうになるし。福沢さんはずーっと仕事だし。本来休みである日も、会合だなんだって家に不在のことが多くなる。僕はこの時期をあまり好きじゃない。
それでも三月半ば過ぎると、寒さの緩みと共に社内の雰囲気も落ち着いてくる。
ここ何日かは暖かな日差しが続いている。おやつに出されるお菓子からも、そろそろ春なんだなって感じていた。
満開まではいかずとも、木々が薄桃色に彩られてきている。これはもうお花見をした方が良いという合図だ。そこで僕は社長のためにお酒を準備しようと思い立った。でもお酒はあまり詳しくないから、与謝野さんに相談したってわけ。
「行くぞ」
福沢さんが玄関先まで戻ってきた。
「うん!あ、お菓子は途中で買おう。お酒が重いし真っ直ぐに来たんだ。いつもの和菓子屋さんに寄ってね」
鍵をかける福沢さんに後ろから抱きつく。背中が見えるとついこうやって抱きつきたくなるんだよね。昔は良くおんぶしてもらったからかなぁ。すごく落ち着く。
「乱歩……」
「大丈夫。ちゃんと隣を歩くから安心して」
戸惑う声にぱっと離れる。僕をじっと凝視めてくるその瞳に、欲が浮かんだ。
なんとも言えない顔。これはだいぶ精神的にお疲れのようだ。あまりくっつきすぎるとお花見に行かずに家の中に逆戻りになるな。
そりゃ僕だって久々の福沢さんだから同じ気持ちだ。
でもさ、見てよ。こんなに天気が善いんだよ。
せっかく運んだお酒を呑んでもらわなくっちゃだし。
「帰ってきたら、だよ」
今日はのんびりしようね。
約束通り僕の分の和菓子を買い込んで、目的の場所に到着した。
河川敷の桜並木は丁度見頃になっている。
桜の種類や場所によっても違うからどうかなって思ったけど、まさしく桜の日にぴったりな咲き具合だ。
福沢さんが敷物を広げてくれたので、靴を脱いで座る。桜餅、お花見団、あんみつとまだ少し肌寒いからおしるこも。並ぶと春っぽいよね。
僕は福沢さんが水筒に用意してくれた温かいお茶。あともちろんラムネ。
福沢さんは僕が用意した日本酒。
「かんぱーい」
「乾杯」
向かい合って、互いに飲み物を軽く掲げ視線を合わせた。福沢さんはぐい呑みに口をつけて、一口。ゆっくりと味わった後に、残りはくいっと傾けて一気に呑んだ。
「美味しい?」
「嗚呼」
「ふふふ。善かった。後で与謝野さんにお礼言わなきゃね」
「そうだな」
僕は福沢さんの左隣に座り直す。姿勢を少し変えてくれるのは、僕のための準備だ。
遠慮なく肩に寄りかかる。
「ねぇ。僕にも頂戴」
「……珍しいな」
「せっかくだから、同じの呑みたくて。いいでしょ? お団子と交換」
なみなみとお酒が入った酒器を福沢さんがちらりと見る。半分ぐらいまで減らしてから僕に向けてきた。
「そんなに直ぐ酔わないよ」
「少しずむ呑め。間に茶もはさめ」
「自分は水なしでぐいぐい呑むくせに。また過保護って言われるよ」
武装探偵社での飲み会でも、社長は僕がお酒を飲むかどうか確認する。飲む時は僕のそばに控えている。
別に僕、お酒で失敗したことないんだけどなぁ。周りが周りだからそんなに呑まないし。
「日本酒は度数が高い」
「わかった、ちょっとずつね。その間に福沢さんもお菓子どーぞ」
ん。呑みやすいけど、確かに強いかも。
間のお茶の代わりに、間にお汁粉や和菓子を挟む。甘味とお酒の相性が善いことは、与謝野さんが教えてくれた。
「お花見で桜を見ながら食べる甘味は、また格別だよね」
僕が言うと緩やかな笑みが返ってきた。
眼差しから、昔を懐かしんでいることがわかる。
これまでの僕とのお花見が思い浮かんでいるのだろう。
初めて一緒にお花見をした時には、僕は花より団子を体現していた。正直桜の咲き具合はどうでもいいから、お菓子がたくさん食べれるのが嬉しかった。
その後も、食べてそのまま眠くなって、気づいたら家にいるなんてこともあった。
数を重ねてから、桜の咲き具合を気にするようになった。そしてだんだんと、二人で寄り添い桜を眺めるようになったんだよね。
僕達はそれだけ一緒に過ごしてきた。
福沢さんは、僕にも桜を愛でるという楽しみがわかってきたのだと思ってる。成長したなって。そんな顔しているもの。
確かに僕だって桜自体を綺麗だなって感じるよ。
でもさ
「あ、」
急に強い風が吹いて、花びらが視界で舞い散る。
ゆっくりと地面に向かっては、風に巻きあげられて再び舞う。不規則に揺れている。
僕の横では桜吹雪に、福沢さんが空を見上げていた。
「綺麗だね」
「そうだな」
明るい陽射しに、福沢さんの銀髪がきらきらと光を放つ。髪の毛先が、風にゆらゆらと揺れている。僕が大好きな光景。今年も目に焼き付ける。
福沢さんは格好良い。結構面白い。たまに可愛い。
そして桜を楽しむ横顔は、本当に綺麗なんだ。
僕が桜の咲き具合を気にするのは、そんな福沢さんを見れるのが嬉しいから。
これだけじっと視線を送っても、自分が綺麗って言われてると思いもしないんだろうな。
「咲いてるうちに、また来ようね」
肩に頭を乗せる。
「福沢さんの隣だから、桜もより綺麗に見えるんだよ。僕の特等席」
「……俺もだ」
撫でてくれる手の感触を感じながら、僕は目を閉じた。
「乱歩、起きろ」
「ん〜。あと5分……」
「……だから言っただろ。呑みすぎるなと」