レイチュリ🗿🦚 甘やかし「レイシオー、いる?」
彼の自宅にやって来て真っ先にバスルームを覗いたけれど顔が見られず、リビングもハズレで書斎に顔を出せば気難しい顔に眼鏡をかけた彼が端末にかじりついていた。
「あれ? 仕事中かい?」
本に没頭するでもなく、家で仕事なんて滅多にないことだ。視線はこちらに向かなかったが「ああ」と返事が返ってくる。
何やら集中した様子でキーボードを打ち込むレイシオを見れば、自分の望むものも得られそうにない。
「そう、なら後でいいや」
「何か用事だったか?」
「用事というか……」
「なんだ」
答えを渋ると、すいっと視線が上がって目が合った。気を引くつもりもなかったのに。
大したことじゃないんだと前置きして、唇をむずりとさせた。
「ただその、……甘えたくて来たんだ」
言い慣れない言葉が気恥ずかしくて視線を床に落とす。すると深い溜め息が聞こえてきて慌てて手を振った。
「本当に邪魔をするつもりはないよ! また出直すから君は仕事に戻ってくれて構わない。ああ、差し入れが必要だったかな。気が利かなくて」
「やかましい」
一息に謝ろうとしたところをぴしゃりと遮られて肩を竦める。
けれど彼は出て行けとは言わなかった。
「区切りがつくまで待て」
そう言って、手招きする。その仕草に戸惑いを覚えた。けれどここで問答をすると彼の時間を無駄にしてしまう。それこそ邪魔になる。
何より、存在を許されるのかと思うと自然と部屋の扉を跨げた。
そろりと近付いてみると腰に腕が回される。
「わわっ」
簡単に抱き寄せられて浮いた体はたたらを踏んでレイシオの膝の上にすっぽりと収まった。それから髪をくしゃりと撫でられる。これはかなりの高待遇だ。
彼の胸の中から見上げれば、もう意識が仕事に向いている。
「進捗具合は?」
「二時間もあれば終わる」
終わるまでここで猫のように丸まって大人しく待っていろということらしい。ここに訪れた目的はほとんど果たせたようなものだ。ごろごろと喉を鳴らすみたいに「わかった」と返事をした。
抱き込まれたままの体勢では据わりが悪くてもぞもぞと身を捩っても気にする素振りは見せない。かなり集中しているようだ。
居所を決めて厚い胸板に寄りかかる。恋人の匂いに帰ってきた心地がしてきて深く息をした。
くつろいで周囲を観察すれば大量に積まれた本や書類の山。モニターにも資料がたくさん表示されていて、それらを睨みつけながらキーボードを叩いている。
きっとここで眠ったっていいのだろうけれど、仕事をしている人間の傍でというのは気が引けてスマホを取り出して次に取り掛かるであろう案件の下調べを始めた。
しばらくして思案顔のレイシオに右手を取られる。顔を上げても視線が合わないままレイシオの長い指先が手のひらをくすぐったり、指に絡む。思考中の手遊みなんだろう。
そのまま好きにさせていると、するすると器用に片手で指輪を外された。ひとつ握って、もうひとつ。指で挟んですりすりと撫でるように虚栄心が抜き取られた。
表情を一切崩さず行うのだから堅物そうな男でも掏摸の才能がある。
レイシオは外した指輪を丁寧にモニターの前に並べると、時計も外して盗品コレクションに加えた。それなら次は左腕のブレスレットだろう。スマホを握ったままの手からどうやって抜き去るのか見物だなと楽しみにすれば、レイシオが掴んだのは右手首。もう金目のものは取ってしまったのに。
細い手首を掴んだ手から伸びてきた人差し指がグローブの下に滑り込んで手のひらをくすぐった。
「っン」
思わず声が零れて口元を隠す。けれどそれに反応しない辺り、この行為に他意はないらしい。
隙間にするりと中指も差し込まれ、ぐっと折り曲げた二本の指がゆっくりと割り開かれるとグローブがめくれ上がっていく。グローブの下から男の無骨な長い指と、しっとり汗ばんだ白い手のひらが明るみに出た。そのまま指先が手のひらを滑って、指に絡む。
何度も手を握り直すような仕草でグローブも脱ぎ払われた。
これを無意識にできるほど何度もベッドの上でキスを交わしながらしているということだ。まじまじと見てしまって決まりが悪い。
だがそのことにレイシオは気付きもしない。取り上げたグローブも戦利品のひとつとして並べ、満足気に手を握ってくる。身体の内に火をくべたことも知らないで。
熱っぽい息を吐き出して、左手でレイシオの頬をぺちぺちと叩いた。
「なんだ?」
煩わしげな視線を寄越されて、恨みがましく睨み返す。
「……こっちを取り逃してるよ」
こちらの顔は見られないようにレイシオの眼前で左手を広げて見せた。脳のリソースのほとんどを仕事に割いているらしい彼は大して文句もなさそうな顔で「ああ」と頷くと、左手からも同じようにブレスレットとグローブを取り払った。
身軽にはなったけれど、幾らかそぞろになってしまう。仕事という気分でもなくなってレイシオの手を時折くすぐり返しながら、ナナシビトの星核くんからのガチャ代行依頼メッセージに返信して暇を潰した。
星核くんのガチャ結果をからかい、惚気話に付き合っているとレイシオが不意に髪にキスを落とす。
「終わったぞ」
「もう?」
時計を見やれば想定よりも半システム時間ほど早い。
「君がここに居れば余計な思考に気を持っていかれずに済むからな」
ふんと息をつくレイシオに髪をくしゃくしゃにかき混ぜられる。目の前に居れば心配させずに済むからだろう。数時間前まで命をルーレットに賭けていたなんて教えたらまた辟易とされるのだろうなと笑顔を取り繕った。
「ちゃんと保存したかい?」
「もちろんだ。バックアップも抜かりない」
「お疲れさま」
体を起こしてレイシオの首に腕を回し、よしよしと頭を撫でながら唇にキスをする。軽く触れるくらいでは物足りなくて何度か食んで味わった。
レイシオの眼鏡を取り上げると、その腕を掴まれる。
「おい、甘やかしてほしいんじゃなかったのか?」
「もう十分だよ」
命を賭けた仕事を終えて、ガタガタと震える身に生きた心地を取り戻したかっただけだ。この男の腕の中でひと息ついただけで目的のほとんどは満たせた。
それがまさか髪を撫でられ手を繋いで睦み合うとは。その充足感に耐えきれず飲み物を取りに行くと言ってキッチンで呻いたほどだ。
加えて、傍に居たことで仕事の能率が上がったとまで言われれば申し分ない。
「あとは一緒に寝られれば満足だから、今は仕事を終わらせた恋人を労るつもりさ。今度はグローブなんかじゃなくて、ちゃあんと服を脱がせてくれよ、レイシオ?」
「は?」
挑発した言葉の意図が伝わりきっていないレイシオに机の上の戦利品を示してやる。それらを見ても、レイシオの仕草がどれだけ艶めかしくそそるものだったかは伝わりきらないだろう。
お宝を見つめるレイシオの顎を指先ですくい上げて口付ける。どれだけ熱を燻らせたのかは理解してもらわないと。やられっぱなしは性に合わない。