断片【ドッペルゲンガーはもう殺した】
父親、母親、家族というもの。そんなものは最初から持たずに産まされたモノはきっと人間のどの区分にも属さない。それは絶望に似ていただろうか。しかし幼いクルーゼにとっては自己認識の始まりであり確立だった。そんなものは無くても生きていけると証明もした。ただ、まさか、ドッペルゲンガーに二人目がいることなどは予想もしなかった。一度は殺して終わらせた。――さて、二人目は。腕の中の赤子をどうするべきか。その時点で既にクルーゼに殺すという選択肢は無かった。殺してやった方がいいだろうか、という迷いはあっても殺意は無かった。滑稽な自分にこんなにも弱いもうひとりの自分。それが世界を肯定する要因のひとつになっていくとは思いもよらない。世界というのはなんて醜悪で面白い。クルーゼはいつも秤を用意して釣り合いを眺めている。そういう性分だ。だから自分の行く末すら眺めたかったのかもしれない。
「…まるで違うな」
予想に反して赤子は自分と違った成長を見せていた。先ず、髪は真っ直ぐで結ぼうとするとそれがするりと抜けるほど細かった。はて。遺伝子は同じはずだが。
『おれは、ピアノをひいてみたい、です』
選ぶ一人称も違った。音楽は好きだが、楽器を弾きたいとは思った時もない。この子供は自分である。なのに自分とまるで違う。手がかからないという点では似ている。自分は親ではない。親になどなれるものか。
『…帰ってくるまでに、』
『うん?』
『――新しい曲を覚えます。ラウに聴いてほしい』
なにより自分はこんなに純粋では無かった。一人称の違う自分。ピアノを弾きたいと言う自分。それはクルーゼにとって世界を肯定する予想外の要因だった。
「レイ、『あれ』が欲しいか?」
「いいえ、俺はいりません」
指し示した先にあるのは父親、母親、幼子。その三人だろうか。『あれ』とは何のことだろう。少年には興味が無かった。何故ならラウが此処にいるからだ。『あれ』は別に欲しくない。『あれ』を選んだらラウが代わりにいなくなってしまう気がする。
「ふむ。お前が欲しいなら直ぐに用意するのだがね」
そう言うラウは微笑んでレイを腕に抱き上げた。ラウは『あれ』と同じものではないのだろうか。自分はラウに『あれ』と同じものを渡せていないのだろうか。胸元にしがみつく少年はうとうとと目を閉ざしていく。レイには記憶があった。はじめて抱きかかえられた時の腕の温かさをレイはずっと覚えている。いまここにあるものすべてだ。
〇トヤメイ増えねえかな
それはメイリンにとって結構な大改革だった。実際の経験は培ってきた偏見を覆すのに充分だった。助けられた先が今まで戦っていた人々の中で、ナチュラルの人たちがこわくてこわくて仕方なかったのに、それでもそこにいる人々はメイリンに優しかった。身体を気遣い、怯える自分を労わってくれた。
「あいつ、頼むな。私は一緒に行けないから」
敵地である。けれど彼女のその言葉でメイリンは肩書を与えられた。亡命者のように庇護された。
「――無事を祈る」
答えが見つかるまで此処にいていいと言われた。敵なのに?敵なのにこの艦にいる人々はその姿とあまりにもかけ離れている。――どうして。
「どうして戦うの?なんで戦うのよ!」
お姉ちゃん、私、助けてもらったんだよ。そう泣き喚きたい幼い自分がそこにいた。敵だと思っていた人間を、敵じゃないと知ってしまった。それを無かったことにする?知りたい。見たい。今までそこで止まることが多かった。だからだろうか。もうどうしてもそれをしたくなかった。
『オーブは自国から動けない。手一杯な筈だ』
通信を傍受する。だからターミナルがあるんですよ~(^^♪とウキウキルンルンな訳でもないが突っ込みながらメイリンは会話を聞いていた。会話を聞きながらも手元は早くカタカタとキーボードを叩いて行く。
私は重いものは持ちたくないし、持てない。だから自分からそういうものを持とうとする人、持っている人は尊敬に似てる感情を持つ。自分がしたくない、できないことをしてしまう人間性に羨ましさもあると思う。
「コーディネーターとナチュラルが共存できるとお思いか!?」
思いますけど。そう頭の中で答えながらメイリンは通信を切った。ア~~~~~いらいらする。そのイライラをぶつけるように戦闘援護のドローンを飛ばした。
「…トーヤくんはえらいねえ」
世界の運命がどうだとか、それに従っていられたら良かったのかもしれない。
「忘れてました」
「?」
「お帰りなさい、メイリンさん」
トーヤは笑ってメイリンに言った。…癒されるわあ……。私この職場本当に好き。
自分は実は笑うより笑わせる方が好きなのだ。笑ってくれる人が好き。そう思いながらメイリンは今日も仕事に精を出す。